三十番地キリスト教会 第1談話室

63570
ようこそ! ここはヴァーチャル教会「三十番地キリスト教会“iChurch.me”」の談話室です。
よろしければ、 第2談話室にもお越しください。

どうぞご自由にご発言ください。ただし以下の注意事項に従ってください。

(1)自分以外の個人または団体のプライバシーを許可無く公開しないでください。
(2)自分以外の個人または団体を中傷・攻撃したりしないでください。
(3)質問、相談事は、ご自身や周囲の方のプライバシー保護に問題があるため、DMをご利用ください。
(4)信仰や神学についての討論は結構ですが、相手を尊重しない論戦やけんかはお断りです。
(5)その他、管理者から見て、不適切であると思われる発言に対しては、指導または削除を行う可能性があります。
お名前
件名
メッセージ
メールアドレス
ホームページ
文字色
編集/削除キー (半角英数字のみで4〜8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

落ち葉の季節? - トマス

2009/11/23 (Mon) 21:19:13
*.aol.com

秋ですねぇ。

西日本は落ち葉の季節。ということでいいでしょうか。ウチの辺りだけということはないよね。今日は久しぶりに朝から良いお天気となり、落ち葉拾いをするにも暖かく、久しぶりに窓全開して押入も全開して空気を入れ換えました。

このよいお天気、いつまで続くのかなぁ。
またすぐに寒くなるのかなぁ。

Re: 落ち葉の季節? 牧師 Home

2009/11/23 (Mon) 22:39:22
*.infoweb.ne.jp

明日は、午後から雨だそうです、西日本は。
大阪、京都は、暖房つけずに部屋にいると、部屋の中でも、吐く息が白い時があります。

Re: 落ち葉の季節? - トマス

2009/11/24 (Tue) 11:34:15
*.aol.com

結局暖かかったのは1日だけでしたね。

さっきストーブがピーピー言い出したので何かと思えば灯油切れでした。あ〜、ポリタンクも空だし、今日中に買いに行かなきゃ。ということは雨になる前に行きたいですね。

明日・明後日はまた少し天気がよくなるようですけど、なんかこのところお天気スッキリしませんねぇ。

小沢氏のキリスト教観 牧師 Home

2009/11/14 (Sat) 11:41:45
*.infoweb.ne.jp

民主党の小沢氏が、全日本仏教会(という団体もよくわからないんですが)の代表との会談の後、記者会見で「キリスト教もイスラム教も排他的だ」「欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ」などと発言して波紋を呼んだとのことです。

あんまりぼくとしてはうれしくない偏見だけど、そう思われても仕方がない振る舞いをしているクリスチャンは多いし、良かれと思ってそうしている人たちもいるから、なんとも複雑な気分ですね。
行き詰まっているのは欧米社会だけじゃないだろう、と思いますが(笑)。
イスラームはここのところ、欧米でもどんどん信者を増やしているそうですし……。

Re: 小沢氏のキリスト教観 - ノンクリ

2009/11/14 (Sat) 13:14:04
*.dion.ne.jp

 小沢氏が本気でそう考えているのか、それとも、相手(仏教徒)へのリップサービスが過剰で、本人も調子に乗りすぎて、そういう発言になったのか?が不明ですね、今のところ。

 ただ、クリスチャンとかキリスト教といっても実に様々だし、一枚岩でもない、ということは少なくとも、わかっていない、理解していない、というのは確実ですね。

 これ、海外で報道されると騒ぎになるんじゃ?と思いましたが、日本の政治的影響力、海外(キリスト教、イスラム教圏)における日本の政治家の認知度の低さが幸いしてか、今のところ騒ぎにはなっていないようですね。

Re: 小沢氏のキリスト教観 - がん子

2009/11/14 (Sat) 21:54:53
*.mesh.ad.jp

たまにしか発言しないがん子です。

うまく言えませんが・・・
「キリスト教は・・」と言われるのって「町単位で裁かれる」ようなモノなのかなあ、と思いました。

Re: 小沢氏のキリスト教観 hotaro

2009/11/14 (Sat) 23:19:53
*.bbtec.net

小沢氏のキリスト教観は、ある意味私たち平均的日本人の持っているキリスト教観です。あいかわらず、キリスト教は欧米の宗教だと思っていますが、キリスト教徒の数は、今やアジアが一番多く、世界の現代史においては、キリスト教は、アジアの宗教と言っていいわけです。これは、英語が、英米の言語ではなくて、アジアの共通語になっているのとよく似た現象です。それから、個々人に色々なクリスチャンがいるなどと言わなくても、民衆の神学によって、民主化闘争を勝ち抜いた韓国のクリスチャンがいるし、文化大革命を生き延びた中国のクリスチャンがいる、解放の神学の元に共同体を作っている、フィリピンや中南米のクリスチャンもいる、という具合に、世界中どこでも、虐げられた、小さく貧しくされた人々のいるところに、イエスは今でも現臨して、そこに彼の共同体を作っていくのです。そこでは、アメリカみたいな覇権的えせキリスト教国家が、国ぐるみで裁きにあわないように、真剣に祈らなければならないほど、事態は、終末的だと思います。

Re: 小沢氏のキリスト教観 - コナー Home

2009/11/17 (Tue) 16:23:00
*.bbexcite.jp

小沢氏の発言、私は悲しみと怒りを感じました。
確かに、キリスト教にもイスラームにも、独善的・排他的な面はあるでしょう。でも、良いところがありますよね。だから信徒がいるのに、公の場で大勢の人を傷つけるような発言は、政治家としても、一人の人間としても、大きな過ちだったと思います。

加えて、「仏教は誰でも仏になれる寛容な宗教」とも言っていませんでしたっけ?これも、仏教側に対して配慮のない発言ではないかと。原始仏教ではあくまで悟りを開かないと仏にはなれないわけで。
全日本仏教会の会長は真言宗の方でしたが、この方は小沢氏の発言をどう思うのか…そのあたりも気になりました。

Re: 小沢氏のキリスト教観 牧師 Home

2009/11/17 (Tue) 21:02:42
*.infoweb.ne.jp

オバマ大統領にお聞かせしたいですね。(笑)

Re: 小沢氏のキリスト教観 - トマス

2009/11/17 (Tue) 22:51:37
*.aol.com

キリスト教連合会 小沢氏に抗議文

2009年11月17日(火)8時0分配信 産経新聞

 民主党の小沢一郎幹事長が高野山・金剛峰寺(和歌山県)を訪ねた際、キリスト教について「排他的で独善的な宗教だ」と述べたことについて、日本キリスト教連合会(山北宣久委員長)は16日までに、発言撤回を求める抗議文を小沢氏に送った。(以下引用略)

http://news.nifty.com/cs/topics/detail/091117207688/1.htm

だそうですよ。
寡聞にして日本キリスト教連合会なんて組織は知らんかった。勉強不足がバレますな。

Re: 小沢氏のキリスト教観 - 異教徒

2009/11/18 (Wed) 03:14:37
*.eonet.ne.jp

私は政治家小沢が大嫌いです。しかし、私は小沢氏の考えとかなり近いものをもっています。ここのキリスト教信者が排他的だとは感じたことは一度もありませんが、世界の歴史が証明していると思います。「欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ」というのはどうかと思うけど、欧米型社会が(自然を崇拝せず、破壊で富を築く社会)地球温暖化を産みだしたと言ったら、言いすぎでしょうか?そして原因はやはり、旧約聖書だと私は感じています。

Re: 小沢氏のキリスト教観 牧師 Home

2009/11/20 (Fri) 01:57:11
*.infoweb.ne.jp

確かに、森を切り開いて牧場にするやり方や、産業革命以降の温暖化ガスの放散を最初にやり始めたのは欧米かも知れません。
また、その背景には旧約聖書の、ある種の解釈があったかも知れません。
しかし、それを単に欧米が先にやり始めたというだけで、それは全世界規模で拡大してしまったわけでしょう。
欧米ではそういうやり方をしているけれども、アジアやインドや中東や南米では、そういうやり方に抵抗している、というわけではないですよね。

日本なんて、自分たちは美しい四季の国日本……なんて思ってるかも知れないけど、じっさいには、そんなに美しくない所ばかりです。どこを行っても、同じようなコンクリートのビルが並んでる町か、大して美しくもない田舎に、高速道路ができたり、トンネルができたり、鉄橋ができたりして、自然をいじり倒しているわけでしょう。
それで、高速道路無料化だなんていって、更に温暖化ガスをまき散らしてやろうと考えている人たちがいるわけでしょう。
それを、「欧米のせいだ」と言うんだったら、それは責任転嫁だと思うんですよ。

Re: 小沢氏のキリスト教観 - 異教徒

2009/11/20 (Fri) 15:48:45
*.eonet.ne.jp

>そういうやり方に抵抗している、というわけではないですよね。 
牧師さん、産業革命時、インドのシルクの産地でおきた惨事を知ってたら、そんなことを言えないと思いますよ。産業革命初期、イギリスで生産された服を植民地に売りつけようと考えた。だけど、初期の機械で作られた服なんて着心地は悪いし、粗末なものでした。初期の目論見は外れ、安い服は売れなかった。インドには絹で作られた世界最高品質の服がもともとあったから、インド人は誰も買わなかった。そこで、イギリスはどうしたと思います?賢いキリスト教徒のイギリス人はインドの職人を一箇所に集めた。で、どうしたか?手首を切り落としたんですよ。何千年かけて世界最高品質まで高めたインドの文化を一瞬にして消し去ってしまった・・・・・この話はイスラム教徒が書いた本で知りました。

>アジアやインドや中東や南米では、そういうやり方に抵抗している、というわけではないですよね
なんてよく言えますね。どこも最初は欧米には抵抗しましたよ。しかし、アフリカ人が形容した白い悪魔には残念ながらどこも勝てなかった。どこもかしこも植民地化され文化を破壊されましたよ。南米のどこの国に原住民に主権がありました?主権がないのにどうやって抵抗するんですか?
パプアニューギニアあたりは自給自足の文化でしたよね。そこに最初に宣教師が乗り込んでゆく。で、キリストの愛を説くわけです。文明を持ってね。美味しい食品や、薬を携えて乗り込んでゆく。そして現地人は初めて、自らの文化に否定的な感情を抱くようになり、貧乏と言う単語を教えられる。でも、永久に無償で与えるわけじゃない。宣教師がきた後に企業が乗り込んでくる。商品を買うためには、自給自足の生活を棄てなくてはならない。そして原住民の独自の薬なんかも、キリスト教によって悪だとされる。独自の薬ってのはシャーマンが使う幻覚剤なんかで、確かに効力はゼロに近いんで、悪だと言えば悪でしょう。でも、彼等にとっての精神的主柱のような物を規制されれば、文化は衰退しますよね。そして少しずつ緩やかに確実に、欧米の文化が原住民に受け入れられてゆく。

Re: 小沢氏のキリスト教観 - 異教徒

2009/11/20 (Fri) 15:49:39
*.eonet.ne.jp

パプアニューギニアで行われたキリスト教徒の政策は世界中で行われましたよ。(宣教師に悪意があったかどうかは私にはわかりませんが宣教師が利用されただけなのかもしれません)もちろん、日本にもフランシスコ・ザビエルなんかもきましたよね。九州では隠れキリシタンってのがありました。大塚宗麟でしたっけ?農民にもキリスト教は大歓迎だったでしょう。そりゃ、風邪薬を持ってきて、天国を約束してくれたら、大塚宗麟がキリスト教に改宗するのもわかります。でも、宣教師の役目は偵察だったでしょ?違う?日本全土がキリスト教に染まってたら、その後には鉄砲を持った白い悪魔が現れて、日本も植民地化されたでしょう。白人が日本を特別に愛してたなら別でしょうが・・・・(違う意見があれば、言ってください。大歓迎です) でも、幕府は鎖国したましたね。でも幕末に、日本は開国を迫られるて、不平等条約を結びましたね。欧米の鯨漁の基地が欲しかったらしいですね。鯨殺して、油だけをとる為だけに・・・・鯨可哀想・・・鯨を減らしたのは白人なのに、今では日本が槍玉にあげられてます。話がそれました。すいません。日本は欧米に負けまいと頑張りました。欧米化を目指します。つまり強国に仲間入りしようとしました。竜馬達、幕末の志士が命を懸けて新しい日本を作りました。(ここが他の国と違って日本、やりました!!)でも、欧米に負けないために、植民地化政策までも日本は取り入れました。中国やアジアの皆さん、ごめんなさい。ただ、日本も必死だったんです。白い悪魔に負けないためには植民地かも正当化されたんです。でも、やっぱり、間違ってたんでしょう。欧米の真似をするなんてことは・・・・・・・日本人の心に隙が生まれたんでしょう。日本人も西欧人に負けないくらいに心がすさんでいったのかもしれません。第二次世界大戦に参加しました。で、やっぱり、負けました。
ここで日本はまたまた欧米化をします。GHQ万歳!!日本良くなりました。戦争放棄!政教分離!キリスト教に改宗はしなかったけど、西欧のルールってのを植えつけられました。もしも日本が勝って戦中の日本が続いてたらぞっとします。アメリカありがとう。でも、日本はアメリカの新植民地化政策?みたいにアメリカの属国になりました。日本人の古きよき心の大部分が失われていったような気がします。ここでまた日本は欧米に追い越せ追い抜けって頑張りました。アメリカの真似をして工業国になり、牧師さんの言うとおりに日本の国土はコンクリートに覆われて不細工な、見てて悲しくなる日本になりました。安部ちゃんが言ってた「美しい国」なんて何処にある?って聞きたいくらいです。でも、日本にはこの道しかなかったんじゃないですか?

自然を愛した文明はどこも白人に壊されました。白人に対抗するためには白人の真似をするしかない。自然に敬意を払ってたら、白人に植民地化される、もしくは食い物にされる。下手したら、全滅もありえる。んじゃ、白人のようにするしかない。しかも白人が作る工業製品ってのは、結構いいもんじゃね〜か。生活は楽になる、楽しくなるって感じで機械が世界に広まったと思うんですけど、これを責任転嫁だと牧師さんが言うなら、責任転嫁かもしれませんね。

Re: 小沢氏のキリスト教観 - 異教徒

2009/11/20 (Fri) 15:50:56
*.eonet.ne.jp

>それを単に欧米が先にやり始めたというだけで
でも他の人種、宗教じゃ、機械化、なんて出来なかったと思うんです。なぜって、自然を愛してたから。インディアンに2000年与えても機械を生み出すことは出来なかったと思いますよ。私がなぜ、旧約聖書に原因があると感じるのか。それはやっぱり、天地創造にあります。世界は人間の為にあるって書いてあるから、自然破壊が進み、機械が生み出されたと思います。仮に産業革命が無かったとしても、やっぱり、地球温暖化は緩やかに進んでゆくと思います。人口増加と自然破壊だけで、十分な時間があれば、地球温暖化は進むでしょう。イギリスを見てください。原生林なんてものは存在しません。西ヨーロッパには原生林がほとんど残っていません。これが本当に旧約聖書のせいなのか?ひょっとするとエジプト、ギリシャ文明から続く学問のせいかもしれません。それならば、私のロジックも崩壊しますね。

最近、アメリカのNYの教会で天地創造を見直して、動物にも天国への門を開放しようと教会に動物を入れているニュースを見ました。ちょっと安心。

私のせいで大きく話がそれました。
小沢さんに戻しましょう。「欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ」っての、
>がん子さん。一般の異教徒にとってキリスト教に何個宗派あるなんてのほどんど誰も知らないと思います。カソリックとプロテスタントぐらいの名前はしってますが、違いを挙げろと言われたら、分かりません。どうように仏教やイスラムの宗派の違いをエスキモーに聞いてもわからないと思います。私も、西欧=白人=キリスト教が同一になってしまうことが多々あります。 すいません。
そしてhotaroさんの言われる通りにアメリカ=キリスト教になってしまった。ブッシュが十字軍なんて言うから・・・ブッシュの馬鹿!!
小沢氏の頭の中もアメリカ=キリスト教になっていて、キリスト教=力での制圧、そして金融統治、で、アメリカ=「行き詰まっている姿そのものだ」になってしまったのでしょう。多分。単純! でも、これって日本人がキリスト教に抱いてる感情なんじゃないでしょうか?
で、仏教へのリップサービスなのか?どうかは分かりませんが小沢さんが仏教寺院でこの発言。日本の仏教が日本のキリスト教より勝っているとでも言いたかったのか?どうかは分かりませんが、日本の仏教って腐ってますよね。比べることじゃないけれど、日本のキリスト教の方が日本の仏教より、人を助けてると私は感じています。仏教が貧困層を助けてるっての聞いたことが無い! 炊き出しとかしてるキリスト教会は見たことあるけど、仏教は一切聞かない。でも、仏教国が他国に侵略するニュースってのも最近はないですね。ただ単に仏教国に軍事力がないだけなのかもしれませんが・・・・

小沢さんは「キリスト教もイスラム教も排他的だ」とキリスト教とイスラムを同じ土俵に上げています。
イスラムはどうか?残念ながら、「文明の衝突」の著者ハンチストンが指摘するように、イスラムの境界線では衝突がいつも起こっています。だからと言ってキリスト教とイスラム教を同一視するのはどうなんでしょうか?キリストと、イスラム、皆さんはこのへんどう思われます?

>キリスト教連合会 小沢氏に抗議文
「キリストの教えでは右のほほを打たれたら左もさしだせ」、ってのと、「隣人を愛せよ」 ってのがキリスト教の教えだ遥か昔に教わりました。抗議文ってのはキリスト教的じゃないようなきがするのですが・・・・
目には目をハブラビ法典を取り入れてるイスラムなら分かるのですが・・・・


反論まってます。なぜなら、キリスト教に対する私の考えを変えたいと思ってます。

Re: 小沢氏のキリスト教観 - トマス

2009/11/20 (Fri) 21:16:06
*.aol.com

反論と言うほどのことでもないですが&そろそろ週末でゆっくりと考えをまとめている時間がないのですが、

>抗議文 (の所だけとりあえず)
イエスの言動の全体を見たときには、時の宗教的あるいは政治的な支配者に対する強烈な抗議であるように思います。エボリューショナリーではなくレボリューショナリーなものであったようです。だからこそ、殺されなければならなかった。と考えていいようです。
その意味では、「抗議」することはきわめてキリスト教的であるように思います。
むしろ異教徒さんが思っておられる(この場合の)キリスト教的対応とはどんな物をイメージしますでしょうか?何を言われても黙っていることでしょうか?そうだとすると私には違和感があります。
イスラムとの絡みについてはもう少し考えないと書けないのでまた機会ありましたら。

Re: 小沢氏のキリスト教観 牧師 Home

2009/11/21 (Sat) 00:43:08
*.infoweb.ne.jp

なるほど、異教徒さん。私が考えが浅かったかも知れません。
あまり深く考えていなかったなあと感じさせられました。

抗議文についてはトマスさんの見解とほぼ同じですが。

Re: 小沢氏のキリスト教観 - 異教徒

2009/11/21 (Sat) 23:50:09
*.eonet.ne.jp

>イエスの言動の全体を見たときには・・・・・・・・
イエスがローマに抗議したことは一度もないと記憶してますが違いますか?トマスさんが言われる支配者とは同じ仲間(ユダヤ教)ではないでしょうか? 小沢さんがあなたの仲間なら抗議はイエスに反してないと思いますよ。つまり、キリスト教に抗議するキリスト教徒なら、イエスも納得すると思います。(すいません、異教徒なのに生意気なことを言って) 

>キリスト教的対応
その1.悪魔の囁き編 ブッシュのアメリカみたいな覇権的えせキリスト教国家(hotaroさんの言葉を借りました)のように攻撃されたら10000000倍返しで反撃する。これもキリスト教的対応ですね。でも、これをやったら、確実に日本のキリスト教徒が非難されます。
その2.暗黒時代編 魔女だとでっちあげて火あぶり! 小沢氏がキリスト教徒じゃないからこれも無理。 
その3.現代の常識編 抗議文! 確かにこの方法は常識の範囲で平和的です。でも普通ですよね・・・企業や、占い師でもこの方法を取るでしょう。小沢さんのHP−10ポイント。

今回の小沢氏の発言を無理やり聖書に当てはめるなら、小沢氏は「迫害者」にあたると思います。
マタイによる福音書5章43〜48節に、迫害する者のために祈れ、と書いてあります。これってイエス自身の言葉ですよね。イエスが語られている言葉より、イエスの生き方を勝手に解釈して権力者に抗議するほうが、キリスト教的ですかね?まして聖書にイエスが「私の生き方を模倣しろ」みたいなことを言ったことはなかったと思いますよ。 なので、私が考える小沢氏に対するキリスト教的対応改め、イエス的対応は、祈る!じゃないでしょうか。もしも、キリスト教連合会がマスコミ集めて小沢さんのために祈りますって言ってたら、小沢さん、何も言い返せなかったと思いますよ。

私は正直に言えばキリスト教が好きではありません。どっちかというと嫌いです。キリスト教国家が犯した過去の過ちや、現在の世界情勢(イスラムVSユダヤ&キリストの構図や白人至上主義)に腹立たしいです。何やってんだよイスラエル!アメリカ!ビンラディン!って叫びたいくらいです。旧約聖書にあった奴隷解放制度を無くしたキリスト教に怒りすら感じます。
でも、やはりイエスは偉大です。神の子かどうかは私には分かりませんが、イエスの愛は異教徒の私にも素晴らしいものです。 矛盾してますね・・・・・

Re: 小沢氏のキリスト教観 - トマス

2009/11/22 (Sun) 16:26:00
*.aol.com

>イエスの言動
そうですね。ローマに直接抗議したことはおそらく無いと思われます。ただ、福音書の記述で見る限り、イエスと衝突したのはエルサレムの(いわゆる)宗教貴族層であったようです。とすると、彼らは宗教的指導者でもあると同時に世俗の権力者でもあったと考えてよいのです。その意味で、先の私の書き込みの「宗教的あるいは政治的な支配者」という書き方になると思っていただければ有り難いです。

>キリストの教え
「左のほおを…」「隣人を愛せ(本当は隣人を愛するように敵を愛せ、ですが)」どちらも高校社会科教科書的にダイジェストすればそれがキリストの教えである、と言っていいでしょう。ただ、社会科ダイジェストはどうしてもトピックスの切り出しになってしまい、全体像をなかなか掴みにくいのです。仏教の授業でもブッダの言葉として「サイの角のように歩め」なんてのが紹介されても余程に仏教に詳しくないと展開しにくかったりします。イエスやブッダの言葉として残されたものだけでキリスト教や仏教を理解するのは実はなかなか難しいのです。

>>キリスト教的対応
ご説明ありがとうございました。さらにレスすべき所なのでしょうけど、またの機会に

Re: 小沢氏のキリスト教観 - 通りすがり

2009/11/22 (Sun) 16:35:06
*.mesh.ad.jp

>>異教徒さん

かいつまんでしか読んでいないのでなんとも言えませんが少々・・・

欧米のキリスト教国の行った迫害、残虐行為はもちろん許されるものではありません。それはしっかりと断罪されなくてはいけません。
しかし、その行為を「聖書の敬虔な信者の行く末」とまとめると話は見えなくなるのではないでしょうか?

もちろん欧米のキリスト教は2000年ほど続いていますが、それは原始のものとは大きく違っていますし、受け継がれてきた環境によっても異なります。
たとえば、キリスト教は自己解脱でなく、神の恩寵によってのみ救われる、という教義が大本ですが、アメリカでは結構「神は自分自身を助けるものを助ける」と理解されていることもあります。神学者ではないので主観も入っているかもしれませんが、前者は絶望的迫害の中での現世以外での救済に重きを置いた結果生まれたもの、後者は欧州の牧畜民族として豊かな自然の恩恵を経て、新大陸に渡り、成功を自らで掴もうとした、アメリカ人の黎明の考え方が垣間見られるような気がします。

このようにキリスト教の教義も、多分に外的な環境を受け、常に変化しているものです。それは、善悪の問題ではなく必然です。常に現在の社会に対してプラスになるように(少なくとも運動者がそう‘思っている’ように)変化させて、古い教義を相対化しようとするのです。その結果が善悪を持つというのは‘結果的に’そうなるに過ぎません。

欧米(米は実質)ではキリスト教は権力と手を結びました。そうなれば、強力な教義は身を潜め、権力に迎合するようになります。これは当たり前のことです。日本での神道、仏教と同じようなものです。そうなれば、もう宗教に先ほどのような集団的残虐行為の抑止力はありません。仏教が慈悲を、神道が清明心を唱えていながら、日本が戦乱のない国にならなかったのと同じなのです。

日本のキリスト教のような迫害の歴史をまだ身近に持ち、未だに少数派であるものと、欧米の権力構造の一部に組み込まれたものとの、政治性を同列に語ることに意味はないのです。それはコンテキストがまったく違うので、実質180度中身が違っている場合もあります。また、国家のスタンスを宗教のみに求めるのも筋違いです。そのスタンスを作り出した原因(民族性、歴史的背景、環境)を見極める必要があります(もちろん、結果的に宗教に帰着することはありますが、次元の違う話です)。

イスラム原理主義にしても、時の支配階級に迎合しているからこそ成立しているのです。イスラム教の排他的部分を強調すればああなります。逆に社会の調和に重きを置けば穏健な宗派になるのです。

あくまで宗教は人為であるという視点がないと、おそらくかみ合わない議論になってしまうのでは・・・?

Re: 小沢氏のキリスト教観 - 通りすがり

2009/11/22 (Sun) 16:55:27
*.mesh.ad.jp

個人的にはキリスト教の保守的な面は嫌いですし、イスラエル建国も不法侵略以外の何者でもないと思っていますが、あくまでそれは人為です。別に旧約聖書に「約束の地は武力ででも奪え」と書いてあっても、黙殺すればいいだけなのです。実行者はあくまで人間です。
たとえ、キリスト教がなくとも、代わりの宗教がきっと権力に取り込まれていたでしょう。だいたい儒教(道教もか?)国家による仏教その他もろもろの民族へのジェノサイド、現在進行中ですよね。どんな宗教にも可能性はあるのです。

結局したいことを宗教性で正当化する(スペインの新大陸先住民政策とか)ことが問題であろう。ブッシュの宗教が問題なのではなく頭の中が問題だということではないだろうか。

Re: 小沢氏のキリスト教観 - コナー Home

2009/11/23 (Mon) 05:45:14
*.bbexcite.jp

通りすがりさんのご意見に納得です。自分の言葉でうまく語れないのが大変もどかしいですが…

自然破壊については、よく旧約聖書を根拠にした議論を見かけますし、実際に私自身も以前はそう思っていました。

しかし、「世界は人間の為にあるって書いてある」のなら、神を畏れる人々が、なぜ神から与えられた自然を壊すのでしょうか。

「世界は人間の為にあるって書いてある」
これは、自然を人間の好きなように壊して良いという意味ではないと思います。
人間が生きるために必要なものを、神様が与えてくれたこと、そして神様に感謝すべきであるということを意味しているのではないでしょうか。

ただ、産業が機械化・工業化し、自然破壊が進むうえで、旧約聖書を「言い訳」にした人々は存在するかもしれません。それは大きな過ちであり、反省すべき点でしょう。

やはり、キリスト教という宗教自体が悪なのではなく、キリスト教を理由にして戦争や破壊を行うことが悪なのです。
それを止めるのも、クリスチャンの一つの使命ではないかな…と初心者ながら考えています。

Re: 小沢氏のキリスト教観 - トマス

2009/11/23 (Mon) 21:10:54
*.aol.com

話を元に戻す感じになりますが、

聞いたところでは、今朝の毎日新聞のコラムでこの小沢発言が取り上げられていたとか。けっこう手厳しく編集委員氏に叩かれていたそうですが、さて実物をまだ読んでおりません。

毎日新聞のHPでも見に行ったらアップされているのかな?と思いつつ、イマイチ面倒でまだ見に行っておりません。読まれた方御出でしたらご感想などよろしくです。

Re: 小沢氏のキリスト教観 - 異教徒

2009/11/24 (Tue) 01:51:27
*.eonet.ne.jp

>通りすがりさん
その行為を「聖書の敬虔な信者の行く末」とまとめると話は見えなくなるのではないでしょうか?
ってつもりで書いたんじゃないんですけど、そうとられたのであれば、みなさん、すいません・・・そしてご指摘ありがとうございます。

>欧米キリスト教の違いについて、通りすがりさんの言われるとおりですね。 
素直になるほど、と納得します。

>日本が戦乱のない国にならなかった・・・
島国って特殊な環境ですが、徳川300年は平和だったと思います。それと国家による(中国?)によるジェノサイドが現在進行中ってのには無理があります。真ん中の国?の行為は非道ですが、ジェノサイドではないと思います。中国の行為は、民族同化政策です。しかし、どんな宗教にも可能性があるってのは、その通りです。仏教国が侵略戦争をすることはあるでしょう。でも、その時に、権力者が仏教を持ち出して戦争を行わないと思います。多分・・・(あまりにもご指摘全体が鋭かったので、頑張って反撃してみました)

>通りすがりさん「約束の地は武力ででも奪え」と書いてあっても、黙殺すればいいだけなのです。
それが出来ていれば、どれほど良かったか・・・・ 約束の地、果たして本当に神の意思なのでしょうか?前も書いたかもしれないけれど、唯一の神が何の理由も根拠もなく一つの民を愛する。正直、私には理解できません。非難されるのを覚悟で言いますが、神の意思ではないように思えます。本当に神が武力で奪えというのであれば、それは邪神じゃないですか?ユダヤ教はモーゼが民族をまとめるために造った宗教じゃないですか?

>コナーさん、「自然を人間の好きなように壊して良いという意味ではないと思います」同意!
私もキリスト教自体を悪だとは考えてはいません。ましてイエスを悪だと考えたことは一度もありません。私はキリスト教が‘どちらかと‘言えば嫌いだと言いました。でも、キリスト教徒が嫌いなわけでも白人嫌いでもありません。そして日本のキリスト教徒に対しても同様です。

個人的体験談ですが、私が肌で感じたインドネシアのイスラム(旅で4ヶ月)はとても平和的で、素晴らしいものでした。インドネシアでは数カ国のヨーロッパ人共に行動して楽しかったです。またカナダで生活をした五年間も白人に対して宗教的な怒りを一度も持ったことはなかったし、白人の友人たちと一緒に馬鹿をやってました。(私が出会った人達が敬虔な信者かと聞かれれば、正直に言えば違いましたが・・・)また、日本で出会ったモルモン教の宣教師もとても優しい人達でした。
では、なぜ、キリスト教嫌いになるのか? 通りすがりさんのご指摘とおり、権力者の言動が嫌いなだけかも知れません。しかし、キリスト教は権力者や宗教的指導者に昔も今も利用されやすい宗教だと感じています。一例ですがイギリス国歌の God save the Queenを聞くたびに、何でやねん!って下手なツッコミを入れてしまいます。利用する悪人がいるから私がキリスト教が嫌いなのか、そして白人史が嫌いなだけか、イスラムに聖戦を仕掛けたキリスト教が嫌いなのか、それとも他に理由があるのか、正直、私にもわかりません。繰り返しになりますが、イエスの教えは素晴らしいのもです。そこは、みなさんと共通すると思います。

話を小沢さんに戻してください。 脱線してスイマセン。

Re: 小沢氏のキリスト教観 - ぽとす

2009/11/24 (Tue) 02:30:27
*.asahi-net.or.jp

>トマスさん
毎日新聞のコラムはこれですね。

風知草:排他的なエピソード=山田孝男
http://mainichi.jp/select/seiji/fuchisou/news/20091123ddm002070090000c.html

私が言いたいこと全部言ってくれてる感じで、胸がすく思いです。
(この小沢氏の発言は重大さの割にメディアでまともに取り上げられてなかっただけになおさら)

特にこの部分。

「「排他的だ」というメッセージを突きつけること自体が排他的だという矛盾。哲学を語っているのだと高飛車に言い放つスタイル。「排他的」とそしられてきた小沢が他者の排他性を問うおかしさ−−。

 この逸話の話題性は、宗教哲学の違いではなく、そのあたりの皮肉にある。」

Re: 小沢氏のキリスト教観 - トマス

2009/11/24 (Tue) 09:05:56
*.aol.com

ぽとすさん、検索ありがとうございます。

引用して下さったのは、コラムの最後の部分ですね。この辛口な一言のために国内と海外の宗教事情と政治事情を解説するときの手際よさ。練り込まれた新聞コラムっていいですね。

私もこのコラムでキチンと取り上げられたことでちょっとホッとしました。

みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 牧師 Home

2009/10/31 (Sat) 11:24:06
203.140.72.82

みんたた2009年11月は「悔い改めない町を叱る」です。
マタイによる福音書11章20〜24節と、
ルカによる福音書10章13〜16節が並行していますが、最初と末尾の部分が違っています。この2種類を両方ともここに参照してみたいと思います。

【マタイのみ収録している前置き】
マタイ10章
20 それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。

【マタイ/ルカ共通部分】……以下はルカの節数で表記します。
ルカ10章
13 「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところでなされた奇跡がティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰の中に座って悔い改めたにちがいない。
14 しかし(マタイでは「しかし言っておく」)、裁きの時には(マタイでは「裁きの日には」)、お前たちよりまだティルスやシドンのほうが軽い罰で済む。
15 また、カファルナウム、お前は、
  天にまで上げられるとでも思っているのか。
  陰府(よみ)にまで落とされるのだ。

【ルカの末尾】
16 あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのである。」

【マタイの末尾】
23(後半) お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。
24 しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」

以上です。
この言葉はマルコ福音書には並行記事はありません。またトマス福音書にも並行箇所はないようです。

では、みなさん、どうぞご自由に意見を述べてください。

Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 - トマス

2009/11/01 (Sun) 01:25:15
*.aol.com

こんなふうに並べてみるとまた面白いですね。「みんたた」の新しい展開?

それにしても、相変わらず物言いキツイですね。これでは敵も多かったでしょうねぇ。

Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 - 毛利

2009/11/01 (Sun) 12:46:40
*.ocn.ne.jp

私の理解が浅いのかもしれませんが、「悔い改める」とは具体的にどういうことを指しているのか分からないという点を除いて、特に違和感は感じません。

聖書の中には「神から離れていく人間」と「それでは駄目だよ、罰せられるよ、と忠告する誰か」のやり取りが多いと思うので、イエスの今回の発言も「悔い改めさえすれば許してもらえますよ」と言っているだけじゃないのかな、と。

ただ、上にも触れましたが「悔い改める」とは、どういうことなのかはハッキリしません。イエスの言葉に耳を貸さなかったのか、それとも神から離れてしまっているのか、とか。

ずれたこと言っていたらすみません。

Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 牧師 Home

2009/11/01 (Sun) 21:58:19
*.infoweb.ne.jp

「悔い改める」というのは「メタノエオー」という動詞で、「後悔して反省する」、「回心(改心)する」、「罪から立ち返る」、「進む道を変える」といった意味があります。
名詞(悔い改め:メタノイア)という言葉はよく知られていますね。
罪を後悔して反省するという意味のみで日本ではよく使われますが、「生き方を変える」という意味にもとれる広がりのある言葉です。

Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 hotaro

2009/11/04 (Wed) 09:58:49
*.bbtec.net

イエスの宣教の内容は、「神の国」の到来を告げ知らせる、ということでした。この神の国は、貧しい民衆の、「悔い改め」、今風の言葉で言うと、「パラダイムシフト」(いわゆる常識、とか一般的なものの考え方の崩壊)ですよね、これにより、一人一人の中に、決定的な意識変革が起こり、自分の周りのすべての システムを作り替えていくエネルギーが与えられる、というものです。当時のローマの支配にあえいでいた町々、村々の住民にとって、これは救いになったはずですよ。その「神の国」の先触れとして、イエスは、病人の癒しとかの奇跡をおこなったと思われます。(イエスは、今の言葉でいう「気功治療師」でした)しかし、現代人でもそうですが、こういう奇跡は、悔い改めにはつながりません。ですから、イエスの嘆きと裁きのことばは、当然だと思います。旧約聖書の伝統で、「ヤーウェのみ」に従う、ということは、当時の超大国ローマやヘロデ大王、また宗教的には、バアルとかギリシャ神話の神々に従わない、それらを拒否する、ということですから、イエスの運動は、当時の常識的なものの考え方に従えば、「カルト」と言ってもいいと思います。逆に現代日本では、カルトは、オームなんかは小者で、もっとも巨大なカルト「天皇制」を何とかしないといけないでしょうね。政治、マスコミ総ぐるみで、盛り立てて、おべんちゃらで祭りあげています。「王様は はだかだ!」と誰も言わない存在ですよね。ドイツが戦後、ヒットラーの第三帝国の罪責をつぐない続けて現在に至っているのに、日本はその最高責任者の罪責を不問にしているのみならず、ありがたがっているんですから。

Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 牧師 Home

2009/11/05 (Thu) 00:31:02
*.infoweb.ne.jp

hotaroさんに質問なんですが、イエスの宣教における「パラダイム・シフト」が貧しい人に意識変革を起こし、すべてを変えるエネルギーを与える、ということなんですが、その神の国の先触れとしての気功治療は人びとにパラダイム・シフトを与えることはできなかったということなのでしょうか?
では、奇跡的治療なんか行わずに、教説だけで意識変革を起こすほうがよかったということなんでしょうか?
ちょっとそのあたり、もう少し具体的に教えていただければ、ありがたいと思います。

Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 - nabe

2009/11/05 (Thu) 02:35:26
*.dion.ne.jp

はじめまして。

ぼくは、イエスの憤った後の言葉に注目しました。
「...そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。」
この言葉から、イエスのこの憤りは、人間的な普通の憤りだと思いました。イエスという人間としては、自分が力を尽くして、神様を見るように人々に働きかけているのに、何の成果も上がらない。それで、イエスは思い通りにならないので、怒りをあらわにしたのだと思います。

しかし、ゲッセマネで祈りのときに言われたように、イエスは、自分の考えではなく、父の御心を再び考えて、結局は心をしずめたように思えます。

マルコ14章36節
またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、私の願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」

だから、キリスト信徒としては、イエスは何の罪もなかった方だったと告白する人もいるし、それは素晴らしいことだと思いますが、イエス自身は、自分の思いと神様の心は、常に一致しているわけではないことを言っているように思えます。

イエスはただ神様から見て、どうすべきか、そのみこころをよく予想し、行動に移すことのできた人だと思います。彼が神の子だと告白するのは、結局イエスも含めて人だけです。神様がそれを認めていることは、誰にも確認できません。しかし、彼のそのような姿を見て、神の子だと感じる人もいるのは事実だと思います。

神のみこころが、この地で行われるようにと、イエスは弟子たちに祈りを教えるときに祈りました。

だから、彼の運動そのものが神の御心がこの地上で行われることだから、そのための運動が自分の思い通りにならなかったとしても、それを憤るのは矛盾ですよね。でも、それが人間らしさでもあると思います。(自分の行動に対する、自分なりに期待する評価が欲しいのに、それが貰えないことに対する不満)

Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 hotaro

2009/11/05 (Thu) 13:42:41
*.bbtec.net

ご質問、ありがとうございます。
イエスの癒しが、人々に、悔い改めの念を起こさせた、ということは、大いにあったと思います。弟子たちも、奇跡的治療とか、魚が急に大量に捕れるなどの奇跡を見て、すべてを捨ててイエスにしたがったと思います。そのようなイエスの群れが、行く先々の町や村で「神の国」宣教をしました。説教だけでなく癒しも治療もすべて、大切なことだったと思います。しかし、このテキストで問題にしているのは、ある町や村が悔い改める、ということは、どういうことか、ということだと思います。もし、全体が悔い改めたとしたら、そこに、ローマや、ローマとぐるになっている宗教的指導者等に対する組織的な反乱が起きて、その町が、一種の自治区として、独立したかもしれません。教説だけでは、意識変革は無理です。私たちのN教団でも、教説と論理だけでは、お互い説得はされても納得はできません。

Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 牧師 Home

2009/11/05 (Thu) 23:53:59
*.infoweb.ne.jp

>nabeさん
はじめまして! これからもよろしくお願いいたします。
これがイエス自身の言葉だとしたら、人間としての弱さ、苛立ちがでた言葉なのかもしれませんね。

>hotaroさん
なるほど……このやりとりで改めて思ったのですが、ここでイエスは、個人の悔い改めのことを言ってるんじゃなくて、町の悔い改めのことを問題にしていますね。
これってどうなんでしょう?

たとえば、私たちが伝道とか言ってるときって、個人の悔い改めを問題にしていることが多いじゃないですか。
でも、コラジンだとかベトサイダだとか、そういうのは、たとえば、「横浜よ、お前は悔い改めなかった」とか「札幌よ」とか「京都よ、奈良のほうが軽い罰で済む」とか言ってるのと変わらないんじゃないですか。
これって、何人まで悔い改めたら、全体が悔い改めた事があるとか、そういう基準があって言っているんでしょうか?
アブラハムの話を思い出しますが……。

Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 - ノンクリ

2009/11/07 (Sat) 11:22:01
*.dion.ne.jp

 nabeさん(はじめまして)のコメントが一番、ああ、なるほど、と思わされましたかな。
 イエスも「神とはなんぞや?」「神の意志って何」とあれこれ思考錯誤し、右往左往したり、ときには感情に任せてアホなことをいったりやったりしてしまう、という点では一般人の我々と変わらないんですね。
 まあ、神様ってこの世で出会った人は誰もいないし、わからないのですからそれは当然で。だからこそ「知る」のではなく「信じる」しかないんでしょうね。
 

Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 - れお

2009/11/12 (Thu) 13:59:59
*.home.ne.jp

hotaroさんが「町」に注目したところはとても興味深く読ませていただきました。

ティルスやシドンは異邦人の住む町で、ソドムは商業都市で不道徳な人々が多かったそうですが、イエスが奇跡をこういう町の人々に行えば、彼らの方が悔い改めただろうし、軽い罰で済むだろうということなんだなぁと、読んでいました。

ヨハネ20章29節の「私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである」とマタイ7章19〜24節の
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりこう言おう。『あなたのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ』」

このテーマが選ばれたとき、すぐにこの2箇所を思い出しました。「イエスを見たから信じる」ことや、「主よ、主よとは言うものの、御心に沿おうとしない」ことについて叱られていますよね。まぁ、奇跡をたくさん行われたのに、回心していないんだからそりゃあ叱られてもしかたないんじゃないかなぁと思います。

読んでいてもここは違和感がなかったので、こんな感想になってしまいました。

Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 牧師 Home

2009/11/14 (Sat) 00:57:26
*.infoweb.ne.jp

私は、町単位で裁かれたのでは、たまったものではないと思います。
それは、たとえば、マグダラは不道徳な人が多いからマリアは娼婦だったに違いないとか、そういう出身地差別を生み出す心理と同じものを底に持っているように感じます。

また、町単位というと、たとえば個人の信仰的決断とか告白ではなくて、その町の宗教として住民が帰依するので、その町の首長が回心すると、その首長の配下の者一同が宗旨替えをする、というような情景を思い浮かべてしまいます。
ユダヤ人にとってのユダヤ教ってのは、そんなものなんでしょうか。ユダヤ人=ユダヤ教徒という状況から見れば、そういうものかも知れません。個人による宗教の選択などというものは考えられない世界でしょうから。それは今でもかなりそうでしょうし、古代ならなおさらのことだったかも知れません。
宗教というものは集団のもので、イエスはそういう人びとを前に活動していったわけですから、町単位で「あいつらは悔い改めない。あいつらよりソドムが受ける罰のほうがましだ!」と言っていたのかも知れませんね……。

Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 - れお

2009/11/14 (Sat) 13:46:08
*.home.ne.jp

言葉が足らず、すみません。
私も本当に町単位で裁かれたら、それはひどいと思っています。叱られるまでならまだマシかなぁ…と個人的には思いますが。
※ただ、よほどその町は回心していない人が多かったので、「町」という言葉を使っているだけなんだろうと思っていました。あまりにも多かったから「町」という表現になったのかなぁと思ったのです。

私は「その町の首長が回心すると、その首長の配下の者一同が宗旨替えをする、というような情景」は思いつきませんでした。そうか、そういうことも考えられますね。
・・・・・・・・・・・
追記
私の受け取り方があまりにも軽々しいのかもしれません。ここを読んでも「恐れ」を感じませんでした。でも、イエスにここまで言われた町の人々は脅威を感じたでしょうね…。私の読みは浅いかも…。

Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 - nabe

2009/11/14 (Sat) 14:30:03
*.ocn.ne.jp

町単位での裁きの話を聞くと、アブラハムの話を思い出しますね。それを思い返すと、少数の義人によって、町が正しいとされる神様だと思います。要するに、今、イエスが嘆いている町々には、一人の義人もいなかったんじゃないかと思いますね(いや、義人は一人もいないとも言いますけど)。

Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 hotaro

2009/11/15 (Sun) 23:01:01
*.bbtec.net

私も、nabe さんのおっしゃっている、少数の義人によってある町が救われる、ということに神様の憐れみというものを感じます。例のアブラハムが、ソドムへ向かって行こうとしている天の使いと談判するシーンですね。この 少数の義人によってある町が救われる、というテーゼを極点にまで収斂させたところに、一人のイエスの死によって、全世界の人々の罪が赦されて義とされる、というキリスト教の教義があるわけです。ところが、このようなテーゼを提出しているパウロ書簡の成立年代が、福音書よりも早い、ということで、私は、そこに福音書記者や、彼らの属する共同体が、「悔い改め」というものに対して持っていた信仰の証しを読み取ります。つまり、平たく言うと、福音書は、すでにあったパウロの共同体のテーゼに対して、洗者ヨハネ寄りのイエス像を提示することによって、神の国と悔い改めの関係を強調しているように感じられます。

Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 牧師 Home

2009/11/17 (Tue) 21:31:45
*.infoweb.ne.jp

少数の義人によってある町が救われるというテーゼが、イエスの死によって全ての人が救われるという教義に収斂してゆく……というのは、ちょっとぼくには飛躍のように感じられます。
少数の義人は、他の人のために命を捨てるわけではありませんし。
イエスの死は、イエスが正しいから他の人が裁かれずに済むというのではなく、イエスが贖いの子羊と同一化される発想から解釈された要素のほうが強いのではないでしょうか。
イエスが正しいから、他の人が赦されたのではなく、イエスが身代わりとなって罰を受けてくれたから、他の人が裁かれずに赦されたわけでしょう?
イエスはアブラハムのようにネゴシエーションした結果、人間の救いを獲得したわけでもありませんし。

それから、「洗者ヨハネ寄りのイエス像」というのが福音書の特徴であるように読むのも、ちょっと無理な気がします。
イエスは、確かに洗礼者ヨハネと浅からぬ関係を持ったことは読み取れますが、ヨハネが死んだ後、およそヨハネとは正反対な宣教のしかたをしてはいないでしょうか。
ヨハネは荒野で「俺の所に来い」と言って、怒りの神を説いていたわけですが、イエスは町々村々に自分から出かけて行って「あなたの罪は赦された」と宣言して回っているわけでしょう。

それから、「悔い改め」というのは、確かにルカ福音書では強調されているようにも読めますけど、他の福音書では、それほど重視されているわけではないのではないかとも感じるのですが、どうでしょうか。

Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 - トマス

2009/11/17 (Tue) 22:31:58
*.aol.com

なかなか参加できずすみません。ちょっと今月忙しくて…。

町に語りかけた、というネタはもう収束してしまいましたか?ちょっと思ったんですけど、マタイの23章(ルカの13章)に「エルサレムのために嘆く」なんて記事もありましたよね。
別になんの関係もないかもしれませんが。

Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 - トマス

2009/11/17 (Tue) 22:38:35
*.aol.com

>パウロの共同体のテーゼに対して、洗者ヨハネ寄りのイエス像を提示する
現代の我々から見ると(ヨハネ寄りのイエス像が当たっているかどうかは別途検討課題として)そう見えるような気もしますけど、4人の福音書記者たちはパウロの手紙やパウロ共同体のテーゼをそれほど知っていたのかな?というあたりはどうなんでしょう。時間的には確かに福音書の方が遅いですけど。そこはわたし的にはちょっと落ち着き悪いかな。

Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 - トマス

2009/11/20 (Fri) 21:46:04
*.aol.com

スレの流れを乱しているような気もしますが、ちょっと気が付いたことがあるので。

11月の箇所ですが、マタイとルカにあってマルコにないということは、いわゆるイエスの言葉集が原資料ですね。さて、その上で、

マタイ末尾(24節)によく似た言葉はルカではその直前、12節に出ています。そして、おもしろいことに、ルカ12節とほぼ同じ言葉が、マタイでは10章15節に出て来ます。つまりマタイにはソドム云々は2回出て来ている訳です。
それで、マタイ11章はちょっと違いますけど、マタイ10章とルカ10章はどちらも「弟子達の派遣」物語の文脈です。
だからどうだと言うところまで考えが纏まってないのですけど、とりあえず、ネタ提供ということで。

無題 - 一郎

2009/11/20 (Fri) 18:55:50
*.wakwak.ne.jp

沖縄県糸満市真栄里の聖●教会の川田喜功って牧師気をつけた方が良いよ!

Re: 無題 - トマス

2009/11/20 (Fri) 21:07:45
*.aol.com

一郎さん、ほとぼりが冷めたと思って書き込まれたのかもしれませんが、1文字伏せてもこのBBSを遡って読めばすぐに埋まります。(私を含めて)多くの人から受けたはずの、実名書き込みに関する見解や警告、ゆめゆめお忘れなきよう、お気を付けください。

質問 - 金本

2009/11/10 (Tue) 19:13:13
*.ifom-ieo-campus.it

教会の中に一人で入って何か祈っている人を見たのですが、そういうときに一般的にどういうことを思ったり祈ったりしているのですか。

仏教だと、念仏を唱えるか、家族が安全でありますように見たいな事を祈るのがまあ普通だと思いますが、キリスト教の人はどんなことを考えるのか想像がつきません。仏教徒と同じように、聖書のフレーズを唱えたり、家内安全、学業成就みたいな願いを思うのですか?それとも願いとかは思わないのが普通なのですか。

Re: 質問 牧師 Home

2009/11/10 (Tue) 22:27:54
*.infoweb.ne.jp

金本さん、こんばんわ。ようこそ、iChurch.me:三十番地キリスト教会へ。

家族が安全でありますように、とか。
御心でしたら、望んでいる学校に入れますように、とか。
旅路の行く末をお守りください、とか。
母の病気を癒してください、とか。
願い事を祈る場合は多いと思います。

また、誰にも言えない苦しみを神に打ち明けている場合もありますし、罪を告白して、赦しを求めている場合もあると思います。

感謝をささげる場合もあります。
毎日の暮らしが何となく平穏に送れていることを感謝したり、神は私を見捨てなかったのですね、と感謝を述べる場合もあります。

個人の祈りというのは、特にどういう内容でなければならない、という限定はないように思います。

Re: 質問 - コナー Home

2009/11/11 (Wed) 05:54:01
*.bbexcite.jp

初めまして。いつも興味深く拝見しています。
初めての書き込みで、質問者さんにレスをするのもどうかな…??と思いますが、私の話を少し。

私は教会で一人で祈ることはないのですが、自宅でお祈りをすることはあります。そういう時は、「明日一日、仕事を頑張る元気を下さい」とか「緊張して心細いので、神様、見守っていてください」とか、本当に日常生活に密着した内容です。あと、誰かの親切に出会えたときや幸福感に包まれたときは(ご飯が美味しかった!とかそういう小さなことでも)、それを神様に感謝します。

ちなみに私は未受洗で、牧師先生からクリスマスに受洗をすすめられています。
まだ決心が固まらないので、それさえも神様に祈ってます。「洗礼を受けられるように、背中を押してください」と。

参考になれば嬉しいです。

Re: 質問 - トマス

2009/11/11 (Wed) 19:38:46
*.aol.com

金本さん、コナーさん、ようこそです。

私も個人の祈りの時は本当に身の回りのことを祈っている気がします。礼拝堂で一人で祈ることはあまりありませんが。

以前に某mission系の学校に居たときには、お昼休みなどに誰も居ないチャペルでただボーッと座っていたこともありました。何を祈るでなく、ただ座ってホッとしていた時間でした。

>聖書のフレーズを唱えたり
カトリックだと、ロザリオの祈りを初めとして、短くて覚えやすい、言葉の決まった祈りがいくつかありますから、そういう祈りを唱えている人も居ると思います。
カトリックもですが、聖公会も祈祷書を持っていますから、祈祷書にある祈りの言葉を唱えていることも多いと思います。祈祷書には、礼拝の中で祈るものだけでなく、生活の様々な場面で、困ったとき、嬉しいとき、悲しいとき、支えが欲しいとき、などの祈りの言葉が載っています。どう祈ったらいいのか言葉に迷うときには、祈祷書のある教会の人がうらやましいこともあります。

Re: 質問 牧師 Home

2009/11/11 (Wed) 22:34:06
*.infoweb.ne.jp

コナーさん、こんばんわ。ようこそいらっしゃいました。

洗礼を受けていても、受けていなくても、祈るということができるのは、ありがたいことではないかと思います。

祈りは全ての人に開かれていますね。
また、祈りの文句が出てこなくても、言葉にならないうめきでも神は聴いていると新約聖書にあったような気がします。

カトリックの大聖堂が大阪にもありまして、それが大阪クリスチャンセンターの近くにあるものですから、そこに立ち寄ったときで時間があれば、その大聖堂でしばらくぼーっと過ごすことがありました。
最近はあまり行ってないですが、そのときの記憶を呼び起こすだけでも、心が安らぐ気がします。

Re: 質問 - 金本

2009/11/12 (Thu) 01:18:43
*.ifom-ieo-campus.it

丁寧に答えてくれてありがとうございます。
     /⌒  ⌒\
   /( ●)  (●)\    
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   
  |     |r┬-|     |  
  \      `ー'´     /

みんたた11月のテーマ 牧師 Home

2009/10/26 (Mon) 23:37:53
*.infoweb.ne.jp

れおさんのリクエストに応えて、「みんたた」11月のテーマ聖句を募集します。

どうぞ、みなさんアイデア、あるいは疑問をお寄せください。

Re: みんたた11月のテーマ - ノンクリ

2009/10/28 (Wed) 20:57:27
*.dion.ne.jp

 マタイの11章20-24、ルカの10章の13-15(いずれも新共同訳聖書)の「悔い改めない町を叱る」というエピソードも「ええ、イエスってこんな人だったの??ウソだろ」って思わされる点で気になります。

 このエピソードって、私にはどう読んでも、せっかく神の使いたる俺が奇跡を演じてやったのに、信じないとは、受け入れないとは許せーん、てめえら地獄行きだぁ〜といっているようにしか聞こえなくて・・。それこそカルトの教祖みたいだし、第一、あまりに大人げない、というか。

 本当にイエスはこんな(あえていいます)おバカなこといったんでしょうか??

Re: みんたた11月のテーマ 牧師 Home

2009/10/28 (Wed) 22:44:10
*.infoweb.ne.jp

なるほど、ひどい話ですね。「イエス様、何を血迷っておられるのですか?」と言いたくないような言葉ですね。
はい、じゃあ、ここにしましょう。

ただ、これから私は、数日学校に泊まり込んでの仕事なので、あまりここではたいしたことができません。叩き合いの用意が遅れると思います。
どうかご了承お願いいたします。

Re: みんたた11月のテーマ - ノンクリ

2009/10/28 (Wed) 23:41:14
*.dion.ne.jp

 でも、考えてみると、日本仏教の偉人、名僧、例えば、親鸞とか法然とか、一休さん、日蓮etc、について、誰も彼らが非の打ちどころのない人生を送ったとか完全無欠な人物であったなんて思っていないし、実際、過激だったり、若いころは破天荒なことをやってたり、変人だったりしますが、それが特に彼らの名声に傷をつけることにははいないですよね。

 どうして、イエスに対してはつい非の打ちどころのない品行方正な人物を期待してしまうのかな?という疑問も湧いてきましたね。

Re: みんたた11月のテーマ - トマス

2009/10/29 (Thu) 12:27:21
*.aol.com

面白そうですね。実は11月にルカの「72人の派遣(10章1-12節)を予定しておりますので、興味津々。

なのですが、このところネタがやたらカルト付いておりますので、一度カルト抜きでお願いできれば有り難く思います。「みんたた」は特集ページで残りますし…。

Re: みんたた11月のテーマ - ノンクリ

2009/10/29 (Thu) 21:25:23
*.dion.ne.jp

 決してカルトネタばかりを狙っているわけではないんですが・・・。

 まあ、なんというか、聖書とかイエスの「まともな」ところとか、「真面目な」部分、「エライところ」は別にここでなくても、リアルの教会でいくらでもお話できるじゃないですか。
 私としてはリアルの教会ではなかなか口にできない、話題にしてくれない部分を知りたい、皆の、特にクリスチャンの方々の本音を知りたい、という欲求が強いもので・・・。

 特に「悔い改めない町を叱る」みたいな話を読むと、今でこそ世界的大宗教、伝統宗教のキリスト教とかイエスもも2000年前のローマ人にとっては「なんとかの科学」とか「サイエントロジー」なんかと変わらない存在だったのかなぁ?と思うと、それまでせっかくいい話に感動しても、急に気持ちが醒めてしまうもので、一体、現役クリスチャンの皆さんはこの「躓き」をどうして克服してるのかなぁ?と思うもので・・。

Re: みんたた11月のテーマ 牧師 Home

2009/10/30 (Fri) 10:59:38
203.140.72.82

私は、洗礼を受けたのは高校2年生のときでしたが、その後、教会内部にいても、聖書を批判的な視点で読むのは面白くて仕方ありませんでした。
たとえ信仰しますと告白して洗礼を受けても、あきらかに自己陶酔だろうとか、明らかに自己洗脳だろうとか、そういうものに対する批判的な目は失わずにおれたかなと思います。

それと、最近になって思うのは、リベラルだと自認している人の間でも、聖書の記事はたいへん批判的に読みながらも、いつの間にか「聖書に書かれる以前の人間イエス」の姿を勝手に自分で、あるいは自分の属するグループで作り上げていて、そういう人も結局「人間イエス」でなんでも通してゆくというか、結局神格化してしまっている人がいます。
いやいや、ぼく自身もそういう状態に陥りかけてました。

いまは、イエスの言った事にいいこともたくさんあるけれど、イエスが全てではない、とあえて勇気をもって言ってもいいんじゃないかと思います。

Re: みんたた11月のテーマ - 毛利

2009/10/30 (Fri) 15:37:21
*.ocn.ne.jp

信仰する=盲目的になる=批判的な意見は認められない

というものかと思っていたので、ここの教会は本当に新鮮で面白いです。

そういう自由な発言(別に批判的なことを言う、という意味ではなくて素直に疑問を疑問として口にする、という意味です)ができないようになったら、結局洗脳されたのと変わらないと思いますので。

Re: みんたた11月のテーマ - れお

2009/10/30 (Fri) 20:30:17
*.home.ne.jp

誰に対しての返事というわけでもなく、ちょっと毛利さんの書き込みに対して反応したことを書きますが…

別に嫌がらせをされたわけじゃないのですが、ちょっと批判的なことを言うと「そんなことはないと思う」、「イエス・キリストは真理です」って言い張られたことがあります。一番困ったのが「あの方はかなり聖霊に満たされていると感じませんか」と言われて、私が「それは年の功でしょう」と答えると少しムッとしておられました。こういう感覚まで捨てなくてはいけないのかなぁと怖くなりました。何でもかんでもキリスト教に結び付けて答えなくてはいけないのかと思うと、ゾッとします。普通に批判的な目を持ちながら、聖書やカトリックとはつき合って生きたいと思います。

で、11月のテーマに向けてまた色々考えたり、調べものもしたいと思います。ではまた。

Re: みんたた11月のテーマ - ノンクリ

2009/10/30 (Fri) 20:58:29
*.dion.ne.jp

>ちょっと批判的なことを言うと「そんなことはないと思う」、「イエス・キリストは真理です」って言い張られたことがあります。

 愚痴になりますが・・・。私の周囲のクリスチャンってそんなタイプの人でして。カトリックはまだマシな方ではないでしょうか?

 ここで発言しているようなこというと「聖なるものを汚さないで」とか「キリスト教に反抗的、みたいなことまでいわれるし・・。
 
 聖なるものを汚すも何も、反抗的、批判的も何も、こちらとしては、でっち上げとかデマをもとにあれこれいっているわけではなく、まぎれもなく聖書に書いてあること、まぎれもなく聖書に書いてあるイエスの姿について、「これは一体??」という疑問を呈しているだけなんですが・・。
 
 本当にキリスト教が嫌いとか下らんと思っていれば、はじめから聖書なんて読まないし、話題にすらしない、真面目に考えているからこそ、「批判的」な話も出るんですが、どうも、そういう感覚がこの種の人々には理解してもらえなくて・・。
 どうしたらいいんでしょうね?
 

Re: みんたた11月のテーマ 牧師 Home

2009/10/31 (Sat) 09:35:23
203.140.72.82

文化祭のため、学校に泊まり込んで3日目の富田です。
みんたたの準備がなかなかできてなくてすいません。大変ですわ。

さて、このiChurch.meでカルト的なキリスト教に対する批判がなかなか収まらないのは、やはり、それだけカルト的キリスト教に与えられた傷や失望が大きかったからではないでしょうか。
キリスト教に真剣に救いを求める気持ちが大きかったからこそ、これに裏切られた失望、怒りは大きいのではないかと思います。

でも、その批判・非難を通過しながらも、その先に、ではどういう風に生きて行きたいか、ということも話せたらいいですね。

Re: みんたた11月のテーマ 友人 Home

2009/11/02 (Mon) 12:34:57
*.hiroshima-u.ac.jp

> リベラルだと自認している人の間でも、聖書の記事はたいへん批判的に読みながらも、いつの間にか「聖書に書かれる以前の人間イエス」の姿を勝手に自分で、あるいは自分の属するグループで作り上げていて、そういう人も結局「人間イエス」でなんでも通してゆくというか、結局神格化してしまっている人がいます。

という牧師さんの言葉で思い出したので。

佐藤研氏の次の論文はご覧になりましたでしょうか。
「聖書学は<イエス批判>に向かうか : 「宗教批判の諸相」に寄せて」(『宗教研究』82/2, pp. 409-426)

本文はPDFで見られます。次のURL内の「本文を読む/探す」から入手可です。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006937282

Re: みんたた11月のテーマ 牧師 Home

2009/11/02 (Mon) 16:26:30
*.infoweb.ne.jp

ほえー! 友人さん、面白そうな論文を紹介していただいて、ありがとうございます。さっそく印刷してこれから乗る電車の中で読みますよ。
重ねてありがとうございます!!
あ、そうだ、元気でやってますか?
つい先日、うちの自治会長がそちらの大学に転勤になって、それでぼくが後任の自治会長になったんですよ(笑)。
でも、その人、友人さんの名前を言っても、ピンとこないようでした。理系学部と文系学部は、教授もぜんぜん交流がないそうですね。その人は微生物学が専門だそうで……。

Re: みんたた11月のテーマ 友人 Home

2009/11/02 (Mon) 19:04:15
*.megaegg.ne.jp

うちの大学、教員1800人という大規模なので(でも学生はその割に少ないです。学部学生1万1000人、大学院生4500人)、学部が違えば全然わからない。そもそも、同じ学部の教員もわからない(130人くらいいるらしい)という状態です。まさにキャンパス内の微生物みたいなもんです。

佐藤氏が言っているように、イエスを人間として捉えることは、イエスの誤りや不完全さをも認めていくことにつながると僕も思います。そしてそれが、新約聖書学の方法を貫く限り不可避であるということも。

Re: みんたた11月のテーマ 牧師 Home

2009/11/03 (Tue) 01:45:20
*.infoweb.ne.jp

手前味噌になってしまいますが、ぼくはもう8年ほど前になりますが、『キリスト教との出会い 新約聖書』という高校生向けの教科書の中で、イエスの不完全さ、またイエスの成長という面をしっかり書き込んだつもりです。
でも、名のある大学の学者さんが書いた論文ではないせいか、全く評価されていませんね(笑)。
それどころか、それとは全く違う全然とんちんかんなところで「富田は初心者をつまずかせる」と言われて、いい迷惑ですよ、ほんと。

Re: みんたた11月のテーマ 友人 Home

2009/11/03 (Tue) 14:21:03
*.megaegg.ne.jp

『信じる気持ち』はすごく評価されてるじゃありませんか。少なくとも、一応名のある大学の名もない学者が書いた論文や註解書よりずっと評価されてる。
「初心者をつまずかせる」ってのは、いかに正直にきちんと書けているか、っていう評価ですよね。どうして都合の悪いことを隠したりごまかしたりしてないのか?ってことだもん。

Re: みんたた11月のテーマ - トマス

2009/11/03 (Tue) 20:37:16
*.aol.com

面白いモノご紹介ありがとうございました。この『宗教研究』82巻2号は他にも面白いモノがたくさん載っていますね。

佐藤氏の論文、リベラルのつもりの私も「痛」と思いましたが、しごく真っ当なことを言っている(だけ?)のように思います。きっと佐藤氏も「自分の理想通りのイエスを描いただけ」みたいな批判を受けるんではないでしょうか。そういう論文ではないと思いますが。

順序が逆になりましたが、
「友人」さん、いつぞやは大変にお世話になりました。ありがとうございました。

Re: みんたた11月のテーマ - ノンクリ

2009/11/07 (Sat) 11:57:49
*.dion.ne.jp

 ただ、新約聖書に出てくるイエスをみて驚くのは実に多様なな面があること。もう一つは「こんなこと書かない方がいいだろ?イメージダウンじゃないのか?」といいたくなることも比較的正直に書いてあること、ですね。

 言い方は悪いですが、皆、それぞれが心の中に「自分に都合のよい」イエス像を造り上げてるんでしょうね。
 
 たとえばの話、左というか反体制的な思考を持つ方はイエスの「金持ちが天国に行くのはラクダが針の穴を・・」みたいな金持ち階級と関わりをもたなかったり、社会革命家っぽい部分を強調するんでしょうし、逆に右というか体制順応、というか保守の人々は「神のものは神のものに、カエサルのものは・・」といったように政治運動には決して関わらなかった点とか(イエスではなく、パウロですが)「権威には従え」みたいな部分を重視、強調するのでしょうし。

 実際、日本のクリスチャンだけを見ても、右は国粋主義者から左は共産党員(個人的にはどちらもかなり違和感を感じますが)まで様々ですし。

 ただ、右のクリスチャンも左のクリスチャンも、個人的に「やめてくれ」と思うのは、単なる自分個人の政治的立場、信条、価値観にすぎないものを「キリスト者の良心」とか「クリスチャン」としてどうのこうの、などといい、立場や意見の異なる人、同調しない人に対し「それはキリスト者としてどうか」とか「あなたはクリスチャンでないからわからない」みたいなこと、つまり、「キリスト教」を己の正しさの大義名分に使うことですね。

 かのマザーテレサは、宗教家としてその辺のケジメをきっちりとつけていたのが、個人的に立派と思う点の一つでもあります。

 すみません、なんか話がずれまくりで申し訳ないけれど、個人的にそう思う体験があったもので・・。失礼しました。

Re: みんたた11月のテーマ 牧師 Home

2009/11/08 (Sun) 12:49:27
203.140.72.82

話がずれるかもしれませんが、先日、同僚と話していたのですが(その同僚はもちろんノンクリ)、よく、うちの生徒が礼拝にまじめに取り組まないのに、言い訳として言うのが「だって、ぼく神なんか信じてませんから」「神さまなんていませんから」という言葉。
で、ぼくが思うのは、ぼくは今まで「神を信じなさい」とか「信じてください」だなんて頼んだことは一回もないのです。「信じてほしい」とお願いしたこともないです。「信じてくれたらうれしいとは思うけど……」くらいなら言ったことはあります。数えるほどしかないですが。「神は存在するのです」とも言ったことがありません。
クリスチャンになったからといって立派な人物になれるわけではないし、特別に幸せになれるわけでもないのは、もうみんな知っているのですね。だから、クリスチャンになることに憧れを抱いたりすることもありません。
こちらもそれを知っているから、「神を信じなさい」「キリスト者になりなさい」なんて勧誘した事もないです。

じゃあうちの学校でキリスト教教育をするのは、どういう狙いがあるかというと、たとえば同志社の場合で言ったら、「良心の教育」というのがあるんです。聖書の言葉や、キリスト者の偉人の中に、自分が生きる道を見出すためのヒントがだくさん隠されているから、それを探って学んでいこうというわけです。そして「一国の良心」として社会に奉仕していこうということです。
そのためには、クリスチャンになる必要はないし、ノンクリスチャンでも取り組めることだと思います。

だから、生徒には「神を信じなさい」とは一言も言いません。
でも、良い人にはなってほしいんです(具体的に何が「良い」かは各自の判断に大きくゆだねるにしても)。そのために礼拝や聖書の授業をやっています。

で、長々と前置きを書いた上で、何が言いたかったかというと。
ぼくは電車の中でその同僚に「たとえば聖書の中の全てに従えなんて、誰も言ってないよ。イエスの言葉だって、全てがいいものばかりとは言えないよ。やっぱり人を生かす言葉もあれば、そうでない言葉もあるし、危ない言葉もあるよ。そういう中で、我々は『これは子どものためにはいい言葉だな』と思うものを選択して提供しようと思ってるわけ」と話したんですね。
ポッと口をついて出た言葉でしたが、あとで思い返してみて、「やっぱりそうだよな……」と思った次第です。

Re: みんたた11月のテーマ - れお

2009/11/08 (Sun) 18:10:01
*.home.ne.jp

テーマ募集のリクエストしておいて、テーマに参加せずなんだかなぁ…の、れおです。お久しぶりです。

ここのサイトに惹きつけられたのは、「クリスチャンになったからといって立派な人物になれるわけではないし、特別に幸せになれるわけでもないのは、もうみんな知っているのですね」というところなどを包み隠さず言ってくださるからです。

しかし、信仰をもつのをやめるかというとやめる気はなく、洗礼を受けるために教会には通い続けるつもりです。

所詮自分が体験したことなので他人には押し付けられないのですが、やはり囚われ状態から解放されたのは聖書との出会い以外にないですから、自分は神はいると思っています。ただし、その神の定義は大体ここのHPで言うようなものと似ています。

洗礼を受けたらいよいよクリスチャンになってしまいますが、自分がカルト的なキリスト教の側面で傷ついたことや疑問に思えたことは忘れないでいようと思います。自分もしないように気をつけようと…。

Re: みんたた11月のテーマ 牧師 Home

2009/11/09 (Mon) 17:47:32
*.infoweb.ne.jp

そりゃあ、クリスチャンになる人がいるのは、うれしいです。
自分の家族が増えるような感じです。
別に人格がいいほうに豹変するわけでもなく、急に神への信仰が熱心になるわけではないんですが、しかし、それでも神とのつながりを求めて生きている仲間として、いっしょに生きる家族として大歓迎したいのです。

Re: みんたた11月のテーマ - 毛利

2009/11/09 (Mon) 18:27:55
*.ocn.ne.jp

揚げ足を取る訳ではありませんが、例えば狂信的なクリスチャンでも「家族が増えた」と喜べるものなのでしょうか。

私だったら「子供が非行に走ってしまった」という感じで、余計に嘆かわしく思うと思うのですよね。

Re: みんたた11月のテーマ 牧師 Home

2009/11/09 (Mon) 22:11:49
*.infoweb.ne.jp

明らかに狂信的なカルト的教会に洗脳されてしまったら、「家族が増えた」とは喜ばないかも知れませんね。
非行に走った場合と似ているかどうかはわかりませんが、本人のことを心底心配するんじゃないでしょうか。
わが子だったらなおさら、その洗脳から解放しようと、必死になってできることをするでしょうね。

でも、ちょっと福音派的な傾向が強い、ルーテルとかバプテストとかアドベンチストとか、そのあたりでしたら、兄弟姉妹が増えたなと思うことができます。
ただ、向こうがそう思ってくれてないということの方が多いんですけどね(苦笑)。

クリ・ノンクリの人間関係 - ノンクリ

2009/10/12 (Mon) 21:09:31
*.dion.ne.jp

 連続投稿失礼します。とある教会のイベントに身内と行きました。そこで、身内の旧知の牧師と出会っておしゃべり、と相成りました。

 そこまではいいのですが、身内が聞かれてもいないこちらの身内話、悩みなどをペラペラ、それも勝手な解釈で語りだします。
 確かに牧師は信徒の相談、話を聞くことは仕事でもあるわけですが。それにしても、きちんとした相談の場ならともかく茶飲み話で、私の悩みとか身内話をされるのが、私としてはたまらなく不愉快でした。
 さらに以前も身内はその牧師さんとは別の、知人の信徒ともそんな調子でだったので、腹が立って怒ってしまいました。
 
 すると身内は「クリスチャン同士は心開いて話あうのもの。私だってただの会社の同僚にそんな話しない、ノンクリのあなたにはわからない」ってことを言い出します。

 でも、私の言い分としては、身内にとって彼らは旧知でも、私にとってはまるっきりの他人だし、私のいる場で茶飲み話のネタに、勝手に周囲に人のいる場で話されるのは非常に不愉快千万でした。
 
 あと、クリスチャン同士云々、という身内側の言い分にしても、それはクリスチャン、ノンクリスチャン云々というよりは個人的な親しさ、価値観の一致不一致の問題じゃないの?
 キリスト教とか宗教でなくたって、例えば共通の趣味とか目的があるもの同士って非常に短時間で仲良くなっていろいろ深い話をする、ということはあるし、クリスチャン同士云々は関係ないだろ、というのが私の言い分。

 逆にいえば、クリスチャン同士でないと心開かないの?クリスチャン同士といったってイエスを救い主とする、こと以外はみんな考え方も価値観も様々だし、誰でも彼でも、いきなり、なんでも話していい「親友」ってわけじゃないだろ?って思ったりしたものですが・・・。
 ええと、まとまりのない文章、かつ前フリが長くてすみません。

 結局、何が聞きたかったのか?言いたかったというと、皆さんは相手がクリスチャンだと、ノンクリスチャンの知人、関係者より「気が許せ」、かつ「プライバシーまで語れる人間」って考えますか? それとも、あくまで相手の人柄、相性次第でクリスチャンか否かはあまり関係ない、と考えますか?
 
 確かに価値観が近い(ノンクリに比べ)分、日本ではマイノリティである分、親しみとか連帯感は湧きやすい、とは思いますが。

Re: クリ・ノンクリの人間関係 - れお

2009/10/12 (Mon) 21:46:48
*.home.ne.jp

私はまだ信者(クリスチャン)ではありませんし、カトリック教会に通ってますけど、別に教会の人だから色々話せるってワケではないですね。

やっぱり、そこは人それぞれなんじゃないかなぁと思います。こんなことを言うのもなんですけど、気をつけて付き合うことにしています。「クリスチャンは心を開いて話し合うもの」という前提があるんだったら、私は絶対にクリスチャンにはなりたくありませんね(苦笑)。人間関係って境界線を引かないとやっていけないし…。

ただ、その…ノンクリさんがプライベートを色々話して欲しくないことは身内の方と喧嘩ではなく、話し合いをされた方が良いと思います(そんなの分かっているとは思いますが…)。

お力になれず、ごめんなさい。

Re: クリ・ノンクリの人間関係 - ノンクリ

2009/10/12 (Mon) 22:20:19
*.dion.ne.jp

 >カトリック教会に通ってますけど、別に教会の人だから色々話せるってワケではないですね。

 カトリックとかプロテスタントでも大人数の教会ですと、確かにあまり互いに干渉しない傾向があるかも、ですね。身内が出入りするような教会っていうのは少人数で信徒同士の連帯感を重視する傾向が強いですね(あくまで、私の見聞の範囲で話してます)。

 身内に対し、今にして思えば、何がイライラっとしたか?っていうとクリスチャン云々ってことをいいすぎる、なんでもかんでもキリスト教を理由にすんな、ってことでした。妙にノンクリとクリを線引きしたがるというか・・。

 次から気をつけて、ということで妥協しましたので御安心を。お相手ありがとうございます

Re: クリ・ノンクリの人間関係 牧師 Home

2009/10/12 (Mon) 22:45:59
*.infoweb.ne.jp

私はクリスチャンの代表ではありませんが、一人のクリスチャンの例です。

私は相手がクリスチャンと聞くと、相手がどんな教派とは限らず、「少し」親近感がわきます。
たとえば、相手がエヴァンジェリカルな傾向のクリスチャンだった場合、深く話せば絶対に相手が私のことを「悪魔の使者』呼ばわりするだろうとはっきりわかっている場合でも、とりあえず、親近感がわくのです。
だから、深い話をしないように気をつけながら、「神さまがこうして会わせてくださって、感謝ですね」と言ったりします。

ああ、だから、親近感がわくから本当のことを言ったらいいか、というとそうではないんですよね(笑)。仲良くするためには節度も必要ですよ。
それは、どんな人間関係でも一緒ではないですかね?

なぜ相手が、ぜんぜん違う信仰の持ち主なのに親近感がわくか、というと、やはりクリスチャンというのは日本では圧倒的にマイノリティだからというのはあると思うんです。
日曜日に教会に行くことひとつとっても、日本では特殊なライフスタイルじゃないですか。だから、いつも自分のアイデンティティを思い知らされてばかりいるんですよ。
限定的な意味で、在日外国人の気持ちと似ている部分があるんじゃないかと思います。
そういうことをずっとやってるうちに、なんでも自分がクリスチャンであることに関連づけて説明するようになっちゃっているんじゃないですかね。

くりかえしになりますが、相手がクリスチャンだったら、何でも話していいかというと、そんなことないと思いますよ。
相手が誰だって、プライバシーに関することをベラベラしゃべられたら、迷惑ですよ。
たとえば、保守的なクリスチャンには「罪」と言われかねないようなプライバシーはきっと話さないと思いますよ。都合の悪いことは、誰だって言えないです。
言えるということは、都合が悪いと思ってないわけで、身内としてはそれが問題じゃないですか?

Re: クリ・ノンクリの人間関係 - トマス

2009/10/13 (Tue) 19:28:33
*.aol.com

>仲良くするためには節度も必要
わたしもそうおもふ…

私も相手が同じキリスト教の人間だというだけではそうそう何でもかんでもは喋れません。むしろキリスト教といっても右から左まで幅があるだけに(近親感を持つ分だけ)かえって警戒して喋るかもしれません。特に信仰とか私生活とかに関わる部分に関しては。

Re: クリ・ノンクリの人間関係 - ノンクリ

2009/10/13 (Tue) 19:42:34
*.dion.ne.jp

>都合が悪いと思ってないわけで、身内としてはそれが問題じゃないですか?

 そうですね、言っていいこと、悪いことの基準が根本的に違ってる、というかズレてるような気がしましたね。

 ただ、やっぱりそれは、クリ・ノンクリ云々は関係ないだろう?、単なる個人の性格とか考えの問題だろ?というスタンスは変わらないですね。
 
 とにかく、私の身内に対する言い分としては、もう少し力を抜いてというか、うまくいえないけど、自然な信仰を持ってくれないかなぁ、ってこと。牧師先生のおっしゃる通り、クリスチャンは日本ではマイノリティですから、どうしても、そのアイデンティティを意識せざる得ないのはわかりますけど、別にノンクリの日本人といきなり全くの別人になるというわけでもないでしょう?って思うんですが、どうですかね。
 
 

Re: クリ・ノンクリの人間関係 牧師 Home

2009/10/13 (Tue) 21:17:06
*.infoweb.ne.jp

もちろんそう思いますよ。
クリ・ノンクリは本来関係ないんですよ。ただ、それを口実に使うクリスチャンが多いという事です。

本当に、力を抜いたほうがいいと、最近私も思うようになりました。
マイノリティとして苦しんだあげくの結論ですが。
固い頭のクリスチャンには、妥協とか背教とか言わせておけと思いますが、あんまり信仰というのは力を入れない程度がいいと思います。
熱心な信仰者にろくな人はいない、というのが正直本音です。

Re: クリ・ノンクリの人間関係 - とま

2009/10/13 (Tue) 21:58:03
*.dion.ne.jp

うちの教会でも、「腹を割って話す」なんて滅多にないですねぇ。
神父対信者でも、信徒同士でも。
なまじデカい教会だと迂闊にモノを話すとあっという間に広がったり、
自分の知らない間に自分に対する「評価」が出来上がったりしますし。

そんな状況下で「腹を割って」話すようにするんだったら、
まず人を見てからしないといけないと思います。
最初はバカ話から始まっても、積み重ね次第で最終的には真面目な話もできるようになっていくもんです。

Re: クリ・ノンクリの人間関係 - ぽとす

2009/10/13 (Tue) 23:34:37
*.asahi-net.or.jp

ごぶさたしてます(><)

ノンクリさん、そこらへんははっきりいって、いわゆる福音派の教会と、私が行ってるような教団の教会ではかなり温度差があると感じています。

福音派系の友人との付き合いでは、少なくとも私が経験した範囲では、クリスチャンの私からしてもプライバシーの感覚が常識外れなんじゃないかと感じさせられる経験を何度もしました。

たとえば、この人ならと(一応「伝道師」という肩書を持っている人だったので、秘密は守ってくれるだろうと思った)信頼して相談したかなりプライベートな問題を、気が付いたら他の色んな人が知ってたり、はなはだしい場合は私が直接それを話してもいない友達が、別の友達にそのことをベラベラ喋ったり・・・。

きっと彼らは「ともに祈ってくれた」のでしょう。
大きなお世話です。

そういう経験を繰り返して、私はそっちのほうの友人にはプライベートな話をしなくなりました。

しかし、ノンクリさんの場合には「身内」だから難しいですよねぇ・・・。

Re: クリ・ノンクリの人間関係 - トマス

2009/10/14 (Wed) 13:34:35
*.aol.com

>「ともに祈ってくれた」
キリスト教徒が陥りやすい大きな落とし穴ですね。
共に祈る力の強さを知っているだけに難しさが同伴します。そのことを意識していない人は確かに多そうですね。

ウチでは会員さんから家族の病気とかについて聞かされた時は、
口頭での報告にしますか?週報に載せましょうか?
と確認することにしています。

Re: クリ・ノンクリの人間関係 - ノンクリ

2009/10/14 (Wed) 18:37:58
*.dion.ne.jp

 おお、ポトスさんもお久しぶりです。あまり、教会、教派云々ということはいいたくないんですが、私もうすうすそう思うことが・。
 
 でも、少なくとも身内はそれを「クリスチャン」らしさと思ってるフシがあるんですよね。
 私としてはchっと、くどくなっちゃいますけど、「使徒信条」の内容を肯定する以外は、皆、様々な価値観、考えの持ち主の集まりで、政治的にも、信仰面でも右から左まで様々なのに、そういう現実を無視して、あまりにも「クリスチャン」ということを云々しすぎるのが、どうも気になってしょうがないですね。

 ただ、「共に祈る」というのは決して悪いことではない、というか、キリスト教の素晴らしい風習、美点だと思うんですよ。たとえ建前とか偽善でであっても。
 だから、ピントがずれていても、あまりあからさまに否定はしたくないんですけどね。ただ、それが「善意の押し付け」になっちゃダメですよね。

 それに(キリスト教には)、一方で原罪思想があって、つまり性悪思想でもあるのだから、クリスチャンだからプライベートも何でも話せる、ってお花畑な発想にはならない、と思うんですけどね・・。

Re: クリ・ノンクリの人間関係 - ぽとす

2009/10/14 (Wed) 19:53:00
*.asahi-net.or.jp

そう、「ともに祈る」ことの意味や重要性は私も否定しません。

でも、「みんなで祈るから誰それにも話していい?」となぜ一言聞けないのかと。

そしてそれを、「なんであなたが知ってるの!?」みたいな人に、宴会の話題にされた日にゃ(実話)。
きっとそれも「証しになると思ったから」とかいうピント外れな理由がつくのでしょう。

そこらへんが常識から外れていると思う点です。
理解不能です。

とても簡潔で… - れお

2009/10/26 (Mon) 20:04:02
*.home.ne.jp

>私としてはちゃっと、くどくなっちゃいますけど、「使徒信条」の内容を肯定する以外は、皆、様々な価値観、考えの持ち主の集まりで、政治的にも、信仰面でも右から左まで様々

まだ私が勉強中のせいなのかわかりませんけど、こんなに簡潔な表現は出てきませんでした。確かに、クリスチャンと一括にしてみても、そういうものだと思います。

お悩みなのに、こんなことを言っては失礼かもしれませんが、ノンクリさんの書き込みを読んでいると、ふと漱石の「草枕」の冒頭を思い出してしまいました。人間関係の難しさをあれほど簡潔にまとめた文章は今まで他にありません。

クリスチャンと衝突しそうになったとき、ここを思い出したいと思います。

Re: クリ・ノンクリの人間関係 - ノンクリ

2009/10/28 (Wed) 20:17:52
*.dion.ne.jp

>れおさん

 お誉め(?)いただきありがとうございます。でも、立派な思想や高尚な教養から出たセリフではないんです。
 個人的に、クリスチャンだからって、都合のいいこと、悪いことをなんでもキリスト教だから、クリスチャンだから、みたいにいわれるとイライラしてくるのです。「そんなのイエスとかキリストとかとは何の関係もない、単なるてめぇ個人の価値観、意見だろ!自分のやること、いうことには自分で責任もてよ!」みたいな・・。
 まあ、そのイラ立ちをまとめると、ああいう表現になるわけで、繰り返しになりますが、そんなに立派な考えはありません。

>夏目漱石

 って、すみません「坊ちゃん」しか読んだことないんです・・・。話が脱線して、おまけに「草枕」とも何の関係もないんですが、「坊ちゃん」って今思うと、日本の「朝日が丘の総理大臣」から「GTO(グレートティーチャーオニヅカ」に至る、学園ドラマ、マンガ、アニメの元祖みたいな作品だな、って思うことが・・。

 ほら、八方破れの若い教師が、学園の腐敗、悪ガキ、事なかれの上司、先輩教師たち、アイドル的な美人女教師に挑んだり、絡んだりってよくあるパターンじゃないですか。夏目漱石氏とその作品「坊ちゃん」はそういう日本の学園ドラマの黄金フォーマット嚆矢的存在と私は認識しております。
 まあ、いうならば、明治時代の「GTO(グレートティーチャーオニヅカ」みたいなものかと・・。 
 

Re: クリ・ノンクリの人間関係 - れお

2009/10/28 (Wed) 23:23:21
*.home.ne.jp

ノンクリさん、笑えました。
坊ちゃん→明治時代のGTO…。
そんな感じかもしれない。

私は自分の考えるクリスチャン像とかあるのかもしれないですが、心の中だけで済んでいるならいいんだけれど、裁いていることが多くて…。でも、この簡潔な文章を思い出せば、「そうそう、そうだよなぁ」と落ち着きを取り戻せるのです。

褒めてます(笑)

2009年10月の「みんたた」 牧師 Home

2009/09/30 (Wed) 23:37:28
*.infoweb.ne.jp

10月の「みんたた」テーマ聖句を挙げておきます。
今月はマタイによる福音書10章34〜39節です。

34「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
35 わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。
36 こうして、自分の家族の者が敵となる。
37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしく ない。
38 また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。
39 自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。

では、どうぞみなさん、たたいてください。

Re: 10月のみんたた - トマス

2009/09/30 (Wed) 23:46:06
*.aol.com

いきなり他のスレに書き込みして「みんたた」がだいぶんと下に行ったので上に上げておきます。
富田先生、無題は無いっしょ。

Re: 2009年10月の「みんたた」 牧師 Home

2009/09/30 (Wed) 23:50:31
*.infoweb.ne.jp

へい、すんまへん。無題はやめて、ちゃんとしたタイトルに書き直しました。これで、いいですね(笑)。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - トマス

2009/09/30 (Wed) 23:54:08
*.aol.com

どうもです。
月末にアップする時は最初の3レスはバッサリ削除?(笑)

Re: 2009年10月の「みんたた」 - ノンクリ

2009/10/01 (Thu) 22:32:34
*.dion.ne.jp

 これは、困った聖句ですよね。善意に現代風に解釈すれば、家族、血縁関係を超えた、人間愛、人類愛を訴えたのかもしれないけれど。

 あるいは、旧約聖書とかユダヤ教の、例えば子孫繁栄に繋がらない性行為は自慰すら悪とする、お家第一の考えに対する過激なプロテストか?

 正直、イエスは一体どういうつもりで?との疑問が抜けないですね。これを悪用する怪しげなキリスト教系カルトも多いですし。

 私にとって、キリスト教と聖書に対する躓きの一つですね。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - トマス

2009/10/01 (Thu) 22:48:47
*.aol.com

ちゃんと調べてないのですけど、パッと読んだ印象では、34-36、37-38、39と3つの伝承をひとつに纏めたような感じですね。

39節だけを見れば、迫害下における殉教に対して永遠のいのちを保証したことになるのでしょうか。でもイエスの時代に殉教は視野に入っているのかなぁ。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - 入谷

2009/10/02 (Fri) 18:52:05
*.cyberhome.ne.jp

教えて君 としてふるまうのが、感心したことではないのはわかっているつもりなのですが、他の福音書の対応箇所がどうなっているのか、教えていただけませんか。

どこそこのサイトを覗いてみたら、といった情報も歓迎です。

よろしくお願いします。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - トマス

2009/10/02 (Fri) 23:54:35
*.aol.com

>対応箇所
私も気になったのでチェックしてみました。

10:34-35は ルカ12:51-53 とトマス16 に対応していますね。
ちなみに、10:34はルカ12:49&トマス10にも近いです。
マルコには平行箇所はなさそうです。

後半
10:37-38は ルカ14:26-27 とトマス55、101 に対応しています。
これはマルコは微妙ですね。10:38がやや書き換えられた16:24はマルコ8:34とルカ9:23におおむね対応

10:39は ルカ17:33 とヨハネに平行あり。

さらに、参照箇所として、16:25がマルコ8:35とルカ9:24とほぼ完全に平行。

平行の組み合わせとしてはなかなか面白いですね。
でもなんか少々ややこしいです。書き間違えていたらご指摘ください。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - トマス

2009/10/03 (Sat) 00:18:18
*.aol.com

さらにこういうネタも発見

10:35-36は旧約ミカ書の7:6から引用

とすると、ここでイエスは何が言いたくてミカ書を引用したのでしょうね。
ミカ書って何やら曰くありげな預言書のような気がします。
ちなみに、新共同訳ではミカ書7:1-7の小見出しは「民の腐敗」
さて…

Re: 2009年10月の「みんたた」 - グレゴ

2009/10/03 (Sat) 02:17:01
*.infoweb.ne.jp

すみません。お騒がせしたグレゴです。
この個所の僕の理解は、
キリストに従いなさい。この世の事柄に執着してはなりません。たとえ、家族であってもキリストが優先されるべきである。
いままでの常識を覆す教えを説くので、紛糾することのなるかもしれないが、その苦労を背負ってでもキリストに従わなければならない。
(十字架が出てくるのは、キリストの最後を暗示している。)
キリストが復活するように、この世の命をなくしても(この世に執着しないで)永遠の命を得られる。
ということかと思っています。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - 毛利

2009/10/03 (Sat) 10:23:50
*.ocn.ne.jp

ノンクリさんの意見に凄く近いです。

特に「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」は、失言としか思えません。何ら肯定的な答えが私には見あたりません。

本当にイエスがこんなことを言ったとは、どうにも考えられませんので、信者獲得(か、それに相当すること)を狙った福音書作家が勝手に付け足したのではないかと想像しています。

今でこそイエスは愛の神というイメージを定着させていますが、当時は実はかなりカルト的だったのではないかな、と思えてならないです。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - 入谷

2009/10/03 (Sat) 13:40:35
*.cyberhome.ne.jp

イエスとその教えは、当時既成の制度の枠組の中でぬくぬくと「仲良きことは美しきかな」などと嘯いていた育ちの良い人々の目に、「その残忍性のため、ローマ帝国でも反逆者のみが受け、ローマ市民権保持者は免除されていたところの最も重い刑罰 (http://ja.wikipedia.org/wiki/キリストの磔刑)」 である十字架刑に処せられ当然のスキャンダルと映っていたとのだろう、と私は表象しています。(このサイトからも啓発されるところ大でした、ありがとうございます。)

とすれば、34 - 37 節は、イエスの意思の掛け値のない表白であり、同時に、親しいものをイエスとその同調者に奪われてしまった人々の率直な思いでもあったのでは、とすんなり理解できます。

この箇所への異和感は、現時点では特にありません。

Re: 2009年10月の「みんたた」 牧師 Home

2009/10/05 (Mon) 19:25:41
203.140.72.82

この箇所は、イエスがまるでカルトの教祖のように感じられるような言葉ですね。
しかし、じっさいカルトだったんじゃないかな、と思ったりもします。

39節の「自分の命を失う者が命を得る」というのは、弾圧を前提とした言葉のように思えますので、イエス以後の教会の産物かも知れません。
ちなみに、マルコ8章35節では「わたしのため、また福音のために命を失う者は」となっているのですが、マタイでは「福音のため」がありません。

38節の「自分の十字架を背負って」というのも、十字架刑の後に出てきた言葉じゃないでしょうか。イエスは、自分は殺されると予期していたでしょうけど、「十字架で」殺されるかどうかはわからなかったでしょうから。石打ちで殺される可能性もあったのではないか。あるいは剣で暗殺される可能性もあったでしょうし。

話が前後しますが34節の「剣」はマタイ独特ではないでしょうか? ルカ版には「分裂をもたらすため」と書かれていますね。なぜ剣なんでしょう?(とぼけてるんじゃなくて、本当に質問です。だれかわかる人、書き込んでください)
「剣」か「分裂」か、どちらがイエスなのか。あるいは、どちらもイエスの言葉ではない可能性もありますね。

35節はミカ書7:6ということですが、イエスがこういう風に旧約を引用したということが、そのまま伝承されて記述されたのでしょうか、疑問です。むしろ、イエス以後旧約との照らし合わせが行なわれたのではないでしょうか。

そうなると、イエス自身に遡れるのは37節くらいかな?(わたしより父、母、息子、娘を愛する者は)
しかし、そうだとしても、家族を捨てて自分に従いなさいと言っているわけですから、これは非常にカルト的です。

 

Re: 2009年10月の「みんたた」 - ノンクリ

2009/10/05 (Mon) 20:40:03
*.dion.ne.jp

>イエスの言葉ではない可能性もありますね。

 個人的にはそうだと思いたいんですけど・・。でも、福音書にはイエスの家族仲は至って醒めたものであったことを伺わせる記述がチラホラ出てくるし、イエスの物語全般に家族の影が薄いところをみると、さもありなん、と思ってしまうのもまた事実。
 
 現代はもちろん、福音書が書かれた当時の基準でみたって過激なセリフ(ですよね?)であるわけで、キリスト教の伝道、イエスのイメージにとってマイナスにこそなれ、決してプラスになるとはいえない、こんなエピソード、記述をどうしてキリスト教業界はそのまま残しているのかな?との疑問もわきますね。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - 毛利

2009/10/05 (Mon) 20:53:55
*.ocn.ne.jp

> しかし、じっさいカルトだったんじゃないかな、と思ったりもします。

キリスト教的には神を冒涜したと当時の人々から思われたから処刑されたことになっていますが、実際にはこんなことを言い続けていたからカルト扱いされて処刑されてしまったのかななんて思います。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - グレゴ

2009/10/05 (Mon) 22:51:58
*.infoweb.ne.jp

私は、新約聖書は全てイエスの言葉と思っています。
ただ、どれもが正確に書きとめたかどうかは疑問ですが、
イエスの言葉を聞いて書いたものと信じています。
ここの部分は、皆さんがおっしゃるように非常に衝撃的です。
しかし、この世で平和を享受するよりも、重要なことは死を迎えてからの後、
永遠の生命を得ることのほうが重要であり、
そのためには福音、イエスの言葉に従わねばならないことを
言っているのだと思います。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - 毛利

2009/10/06 (Tue) 00:03:03
*.ocn.ne.jp

グレゴさん、確かにこの箇所は「生きている世界よりも死んだ後の世界を強調している」ように読めますよね。それが自然な解釈だと思います。

で、私が常々疑問なのは、イエスは生きている今の世界と、亡くなってからの後の世界、どちらにより重きを置いていたのかな、というところなのです。

他の箇所も総合的に見て判断しなければならないですし、そんな簡単に結論付けをする訳にはいかないですが、どうもこの聖書箇所に限って言えば「後の世界」を強調しているように見えます。

ところが、カトリックの場合には「手っ取り早くあの世に行ける」自殺を禁止している。一体、どうしてなんだろうって思ってしまうのです。生きることを重視して、自殺は罪とまで言い切っている。それって、このイエスの言葉に反しているんじゃないかなって。

話、思いっきり脱線させてしまってすみません。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - ノンクリ

2009/10/06 (Tue) 22:07:40
*.dion.ne.jp

>カトリックの場合には「手っ取り早くあの世に行ける」自殺を禁止している。

 話を脱線させて申し訳ないんですが・・。最近のカトリック教会はよほど保守的な神父でない限り、自殺者でも普通に葬儀してますよ。
 
 逆にプロテスタントでも保守的な教会では、「牧師として公式に葬儀を司式することはない」とおっしゃる牧師もいますし、そんなに単純でもないですね、近年は。

 離婚も、表向きは禁止で、あまりおおっぴらにはいいませんけど、よく聞くと(離婚)してる人結構いるんですよね。婚姻を無効にする、つまりなかったことにするみたい。そもそも問題になるのは、夫婦双方がカトリック教徒同士の場合だけのようですし。
 まあ、カトリック信者でない人間に「神が引き合わせた者を云々」などと説教してもしょうがないですしね。

 これは私の独断と偏見ですので、間違っている、あるいは不快感を覚えられたら、謝まるより他いないですが、どうもカトリックの方々は二律背反をとぼけた顔してやり過ごす傾向があるみたいで。カトリックが保守的でいられるのは、信者が「それはそれ、これはこれ」で面従腹背するからのような気も。
 良くも悪くも、あまり「宗教の信者」という感じのしない人が多いです(賞賛してるわけでも批判してるわけでもありません、念のため)。
 

Re: 2009年10月の「みんたた」 - ノンクリ

2009/10/06 (Tue) 22:07:45
*.dion.ne.jp

>カトリックの場合には「手っ取り早くあの世に行ける」自殺を禁止している。

 話を脱線させて申し訳ないんですが・・。最近のカトリック教会はよほど保守的な神父でない限り、自殺者でも普通に葬儀してますよ。
 
 逆にプロテスタントでも保守的な教会では、「牧師として公式に葬儀を司式することはない」とおっしゃる牧師もいますし、そんなに単純でもないですね、近年は。

 離婚も、表向きは禁止で、あまりおおっぴらにはいいませんけど、よく聞くと(離婚)してる人結構いるんですよね。婚姻を無効にする、つまりなかったことにするみたい。そもそも問題になるのは、夫婦双方がカトリック教徒同士の場合だけのようですし。
 まあ、カトリック信者でない人間に「神が引き合わせた者を云々」などと説教してもしょうがないですしね。

 これは私の独断と偏見ですので、間違っている、あるいは不快感を覚えられたら、謝まるより他いないですが、どうもカトリックの方々は二律背反をとぼけた顔してやり過ごす傾向があるみたいで。カトリックが保守的でいられるのは、信者が「それはそれ、これはこれ」で面従腹背するからのような気も。
 良くも悪くも、あまり「宗教の信者」という感じのしない人が多いです(賞賛してるわけでも批判してるわけでもありません、念のため)。
 

Re: 2009年10月の「みんたた」 - れお

2009/10/06 (Tue) 22:50:34
*.home.ne.jp

このテーマで躓いたと先月書き込みしたれおです。
よろしくお願いいたします。
グレゴさん、私のほうこそ、お騒がせしました。
不快な思いをさせて、すみませんでした。

ここの解釈も大体同じです。

ただ、「剣」とか物騒なことを言い出すなんてちょっとイエスの言葉とは思えないなぁ…と躓きました。


しかし、結局「家族とかごく親しい人間でさえも振り切って、己の信じる道(イエス・キリストについていく)をとるべき」という意味だと解釈して、早くこの言葉に会えればよかったと思っています。個人的には物凄く励まされます。「私は私なんだ」と解放されました。

しかし、見方を変えれば、カルトにも見えなくもないですね…。

※脱線した話の件では、確かにウチも自殺者の葬儀をしています。ノンクリさんのカトリックの人の印象は私も同じことを感じています。なんだか…その時々で臨機応変に対応していて、一貫性がないような…。「ま、いいか」と思いながら通っている私もそんな風になってしまうんだろうな〜と思っています。カトリックはそのうち消えてしまうんじゃないかなとさえ思っています。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - れお

2009/10/06 (Tue) 23:14:08
*.home.ne.jp

追記です。

「平和」の意味は「何事もなくのほほーんと過ごすこと」ではないと思います。

イエスの考える平和と、人間が考える平和は違うという説教を昔読んでなんとなく納得したのですが、そうなんじゃないかなと今でも思っています。

ここでイエスは時と場合によっては対立する必要がある…そういう意味だと思っています。そういう意味で「剣」なんて言ったのかな??

キリストが重きを置いているのが今か死後については、「今も死後も」と思います。今この時点からこれから先ずっとの永遠だと思っています。どこに証拠が有るかといわれれば、困りますけれど。

イエス・キリストは今この時点に一緒にいるのではないでしょうか。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - ノンクリ

2009/10/06 (Tue) 23:37:37
*.dion.ne.jp

>※脱線した話の件では

 (カトリックについて)賞賛してるわけでも批判してるわけでもない、と申し上げましたけど、聖書一辺倒、絶対視ではなく、聖書と伝承をほどほどに信仰の軸とする、「それはそれ、これはこれ」というあり方は宗教のあり方としては健全かな?と思ったりもするのですよ。キリスト教最大の教派の地位を保っているのは伊達ではない、というか、長年の知恵というか・・。

 聖書の場合、仏教の経典のように言っていることがさっぱりわからない、ってことはないのですが、なんていったらいいのか、解釈というか取扱いが難しい書物ですよね。

 あまり、これを絶対視しすぎるとややこしいことが多すぎるように思います。
 大体、世間から何かと指弾されスキャンダラスな扱いをされるエホバの証人や、ひと頃、世間を騒がせた「イエスの方舟」も聖書的に厳密にいえば、「間違っている」とは言い難いし、オウム真理教など、あらゆるカルト団体の終末思想、末法思想のネタ元となっている「ヨハネ黙示録」とか、正直、こんなもの削除すれば?って文書もありますし。

 偶像崇拝、異教崇拝の排除も、あまり度がすぎると「じゃあ、クリスマス(元は古代ローマの未とら教の太陽神崇拝)も止めようぜ」という話になりますし、第一世間との摩擦の元ですし。

 聖書の解釈は教会がコントロールする、というと現代の感覚では「言論、思想の自由」の妨害、という感じがしますが、聖書に関してはその方がよい、健全、と個人的には思ったりもします。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - 毛利

2009/10/07 (Wed) 18:51:42
*.ocn.ne.jp

> イエスの考える平和と、人間が考える平和は違うという説教を昔読んでなんとなく納得したのですが、そうなんじゃないかなと今でも思っています。

これ、原文がどうなっているのか知りたいところですね。日本語にないから無理矢理日本語の「平和」を使っているのかと思いました。

あと、今回のテーマの1つ前の33「しかし、人の前で私を知らないという言うような者なら、私も天におられる私の父の前で、そんな者は知らないと言います」も、イエスにしては心の狭い発言だと思います。

どうも、この辺りの一連のイエスの発言は寛容性に欠けている気がしてならないです。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - 入谷

2009/10/08 (Thu) 19:11:21
*.cyberhome.ne.jp

「カルト」という言葉が何回か出てきているのですが、皆さんそれぞれがイメージするカルトって、どういうものなのでしょう。

私はちゃんと調べもせずに、「その構成員を支配するのにマインドコントロールと呼ばれる一連のの技法をもちいる集団」みたいな理解をしていたのですが、これはカルトの一特性に過ぎないのかもしれません。

wikipedia を覗くと、
<quote>
1978年、米国から南米のガイアナに移動した人民寺院信者の900人に及ぶ集団自殺は、米国で社会問題化し、社会的に危険とみなされる宗教団体を指して「カルト」と呼ぶようになる。これを機に 1979年、連邦議会を初め、各州が公聴会を開催した[6]。
</quote>
なる記述があって、「「社会的に危険とみなされる」って何、多数派が「これ駄目」っていったらカルトかよ」というような疑問をもちました。

この米国風の定義に従えば、イエスとその同伴者からなる集団は文句なしにカルトかなという気がします。

皆さんのお考えはいかがですか。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - れお

2009/10/08 (Thu) 19:24:49
*.home.ne.jp

言いだしっぺなのに、「なんとなく…」で捉えていることばかり書いてしまって、申し訳ないです。

私が解放されたというのはたまたま私の個人的事情が先にあったからで、普通は対立したくもない家族と対立しなくてはいけない、そんなつらい状況を書いてあるというのは理解しています。

毛利さんがおっしゃるように、「原文」までたどらないと分からないですよね。平和という言葉を無理矢理使った…というのは考えもしなかった…浅はかでした。

私は日本語訳しか持っていませんが、フェデリコ・バルバロ訳でも「平和」と書かれてありました。注釈にて「イエズスは平和の王であるが、その平和は欲望と不条理な愛情に反する戦いの果実である」とありました。参考までに記しますね。

33節はうーん…そうですね、人間である私達はどうしても表と裏の顔を持っていますから、イエスから「神との関係ではそんなの通用しないぜ」と言われると「いやーん、いけずう(意地悪ね)」って答えたくなりますね。そのくらいの気概でついて来ないとダメだよってことでしょうね…たぶん。

イエス・キリストは優しい、おおらかな方ですけど、ここを読むと厳しい面もお持ちなのかなぁと思います。優しいだけだと、なんというか優柔不断みたいに映るし、やはりこういう厳しさがないといけないような…。しかし、このテーマの箇所は弟子達が勝手に作っていったとも考えられそうな気もします。

また悩むことになってしまった…しかし、悩むけれど、悩ませてくれるからこそ面白いです。楽しいです。

※脱線した話について
カトリックはなくなる…と書きましたが、書いたあとに「だからこそ長生きする」のではないかと思いました。ノンクリさんが書かれていることに納得しました。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - 毛利

2009/10/09 (Fri) 01:34:44
*.ocn.ne.jp

私のカルトに対する定義(イメージ)は

1. インチキな教義を用いている、或いは教義はまともなものを使っていても、それを曲解して説明している。
2. 反社会的である(長期的な作戦で徐々に信者を増やして国を乗っ取るということも含めて)。
3. 信者を洗脳して、正しい判断能力を損なわせる。
4. 常識で考えれば多額と思われる金を献金/お布施させる。
を満たしている団体、というところです。ちなみに、2を満たしていなければ、単なる悪徳宗教と考えています。一時期、原理主義教会に通っていたことがありますが、私の定義ではその教会は悪徳宗教になります(創造科学を主張する、洗脳する、洗礼後は1/10献金の強制)。

イエスの場合を考えると、当時の人からしてみれば聖書を曲解しているので1は該当する、当時の社会から照らし合わせると反社会的なので2も該当する、盲目的に従った信者も多かったと思うので3も該当していると言えます。ただ、4については全く満たしていないと思っています。少なくともイエスに金を払うというシーンは聖書を通して1度も無い筈です。ですので、限りなくカルトと思われても仕方ないような行動を取っていたけれど、最後の一線でカルトではない、と私は思っています。

Re: 2009年10月の「みんたた」 牧師 Home

2009/10/11 (Sun) 09:49:42
*.infoweb.ne.jp

前に書き込んだことと矛盾するようなことを言いますが、最初の34節がイエスの言葉の核になる部分で、その後、あとの部分がくっついて伝承が成長してきたという考えもありかな、と思います。
35節以降の家族との対立に関する記事のために、「平和ではなく剣を」と言っているのが家族との対立のように私たちは思わされていますが、実はイエスはそういうつもりで「平和ではなく剣をもたらすために私は来た」と言っているのではない可能性があるからです。

34節での「平和」はエイレーネー、やはり普通に言われる平和という単語です。
「平和ではなく剣を」と言ったイエスの真意がどこにあるのか、はっきりとはしませんが。

注意しなくてはならないのは、私もよくやることなので自戒をこめて言いますが、ついついイエスを理想化しすぎてしまって、自分の依り頼んでいるイエス像と合わないものを、「これは本当のイエスの言葉ではなく、後代の加筆ではないか」と思ってしまいがちなのですよね。
そうではなくて、イエスというのはわけがわからんやつだ、ちょっと普通の感覚ではない言葉を口にしている、むしろわけがわからんことを言っている言葉ほどイエス自身のものなのではないか、と考えることもできるのです。
そういう風に考えると、最初の「俺は平和をもたらすために来たんじゃない。平和ではなく剣だ」というわけのわからん言葉の切っ先をかわすために、家族との対立の説明、あるいは十字架を背負うという観念化が行われてこの聖句になっているのではないかとも考えられるのですが、どうでしょうか。

牧師 Home

2009/10/11 (Sun) 09:56:39
*.infoweb.ne.jp

あと、「剣」という言葉なんですが、まだ日本語でしか確認してませんが、ここではマタイは「剣を」と書いてますが、並行のルカでは「分裂を」です。

それからマタイだけは、イエスの逮捕の場面で、有名な「剣を取る者は、剣で滅びる」という言葉を記録していますが。他の福音書の記者は、この言葉を記していません。
特に違いはルカで際立っていて、ルカ版ではイエスと共にいた人間が大祭司の手下に斬りかかって耳を切り落とすと、「やめなさい。もうそれでよい」と言っています。
暴力の部分肯定ですね。

ルカの場合もっと面白いのは、剣を用意しなさいと言っていますから、絶対非暴力ではないんですね。
「剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい」
「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」
「それでよい」(ルカ22章35−38節)

Re: 2009年10月の「みんたた」 - れお

2009/10/12 (Mon) 22:05:36
*.home.ne.jp

後代の加筆と考えるのは早計なのかなぁ…。確かに、その…こう言っちゃあ何ですが、変人だからなぁ、イエスは…。「は?今何て言ったの?」と耳を疑いたくなるようなことをサラッと言う人ですからね…。「平和ではなく剣をもたらす」の部分は本人が言ったのかもしれませんね。

なんだか、最近「後代の加筆」と考えて読むことが多くなってきました。そういう癖を見直す良いきっかけになりました。おかげさまで。

あと二十日間ほどありますから、じっくり考えようと思います。また振り出しですなぁ…。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - とま

2009/10/13 (Tue) 21:45:55
*.dion.ne.jp

ご無沙汰ぶりに、たたいてみまふ(爆

>34「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。


「外ヅラだけの"平和(なあなあ主義、とも言う)"なんてクソ喰らえ、そんなんだったら本音ぶつけろ」



…という事を言ってるのかなと思ったのですが。。。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - トマス

2009/10/14 (Wed) 13:40:21
*.aol.com

>「外ヅラだけの"平和(なあなあ主義、とも言う)"なんてクソ喰らえ、そんなんだったら本音ぶつけろ」

それ、いいですね。

Re: 2009年10月の「みんたた」 hotaro

2009/10/15 (Thu) 18:31:25
*.bbtec.net

当時の社会状況を考えると、イエスの運動は、熱心党(ゼロテ)やエッセネ派と似たような反ローマ的な性格のものだと思われます。また、そのローマと結託して、民衆の貧しい生活を顧みることなく、奢侈や単なる律法主義に堕している、パリサイ派のような宗教貴族をも激しく攻撃しました。私たちは、現在の南北問題を考えただけでも、資本主義社会における、徹底した収奪と虐げられている貧しい人々のことを、福音の原点に立ち返って考えるなら、イエスのことばは充分に、そのまま理解できると思います。平和、というものも、安定とか魂の平和・平安のような精神的なものだけではありません。家族や財産を捨てて、従ったというのも、誇張ではないと思います。剣や暴力も完全に否定してはいませんけれど、ゼロテのような権力奪取ではなく、最後までいと小さき者と共に歩み、死んだ、というところが、すごいと思います。

Re: 2009年10月の「みんたた」 - れお

2009/10/26 (Mon) 19:43:32
*.home.ne.jp

hotaroさんの考えもなるほど…と思いました。「家族や財産を捨てて、従ったというのも、誇張ではない」というのも分かるなぁと思いました。

牧師さんの「ルカによるとイエスは絶対非暴力ではない」という箇所ですが…暴力とまでは呼ぶかどうかは個々人によるかもしれませんが、そういえば「マルコ11章15〜19節 神殿から商人を追い出す」では随分過激な一面があったよなぁ…と思い出しました。

で、ここから提案ですが、もうそろそろ11月のみんたたのテーマの募集をかけてはいかがでしょうか。次回も楽しみです。

神社・仏閣は気持ち悪い? - ノンクリ

2009/10/11 (Sun) 23:02:24
*.dion.ne.jp

 私、諸事情ありまして、保守派プロテスタント教会の方々と関わりがありまして。人間的に気に入らない、という方は決していないんですが、どうにも気になるのは「信仰歴が長いともう神社仏閣とかにアレルギーが出て、入ったりすると気持ち悪くなるんだよな」なんていうこと。

 もちろん、悪意とか仏教・神道への中傷誹謗なんて意識はないのはわかります。でも、そういう話聞くと、正直胸糞が悪くなるんですよね。
 
 別に私自身仏教・神道に対するシンパシーが特別あるわけじゃないんですけど、非常に身近な身内に仏教系の団体の信徒もいたりしますし、どうも、一言いってやりたくなる衝動を抑えるのに苦労します。まあ、黙ってはいますけど・・・。
 
 大体、私とか別の非クリスチャンが「教会はいると気分悪くなるんだよな」なんてたとえ悪意がなくても、言ったり思ってたりしたらどんな気がするんだい?って聞きたくなるもんで。

 正直、人間関係にいろいろな宗教の人間が入り混じっていると気を遣いますね。別にこれと言って主張したいことがあるわけでなく、単なる愚痴ですけど。失礼しました。

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? 牧師 Home

2009/10/12 (Mon) 00:57:29
*.infoweb.ne.jp

私は、ほんとに一言言ってくださったらいいのに、と思いますよ。ここではちゃんとおっしゃているわけですし(笑)。
もし、あんたが逆の立場だったらどう思うさ? と聞いてみてくださいよ。
業界人じゃないからこそ、素朴な疑問をぶつけることができる特権があると思いますよ。

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - ラム太郎

2009/10/12 (Mon) 01:07:14
*.ocn.ne.jp

 実はですね、最近車に乗り始めて、交通安全ということに非常に敏感になっています。
そうなると、”神社でお祓いしてもらいたいなあ”とやはり思ってしまいます。
だって、キリスト教会ではしてもらいないですから。。。でも、初穂料って、それなりに高そう。

 ”アレルギー”とかでしたら、まだ可愛いものだと思います。
過去に某教会で、世界三代宗教のうちの一つの
救世主に対し極めて無神経な発言をした人がいました。
私は、べつにこの宗教とは関係は無いのですが、非常に腹が立ちました。
というのは、”世界平和”とは限りなく遠いものを感じてしまったからです。
こういうところから、宗教戦争が始まったりするんだなあ、と悲しい思いをしました。

”知らない”というのは、本当に恐ろしいことですね。

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? 牧師 Home

2009/10/12 (Mon) 11:23:16
*.infoweb.ne.jp

あ、私でよかったら、おはらいの祈祷しましょうか?(笑)
以前、職場の学校の先生で、「このズボンをはくと、かならず怪我をする。おはらいしてもらえないか」と頼まれて、やったことがあります。
まあでも、それは私個人でやったことがあるだけで、キリスト教会の共通理解にはなってませんけどね。

もともと信者ではなくて、だんだんとキリスト教会に入ってきて現在に至っている者の一人として、昔から私が思ってきたのは、「本当に唯一の神というのだったら、あの神はおかしいとか、この仏は間違っているとか、そんなことは言わないはずだろう」ということです。
本当に唯一の神がおられるのだったら、それは全ての人のための神なのであって、宗教間の対立などはありえないはずだろうということです。

でも、それと同時に、いろんなクリスチャンや他の宗教の人たちを観て思ったのは、「誰も究極的な真実を完全に会得した人はいない」ということでもありますね。
みんな自分が正しいと言っていろんなことを主張するけれども、客観的に見て、どれがいちばん正しいと判別できないくらい、いろんな立場で立派なことを言う人がいるわけですよ。
そしてまた、自分たちが正しいとか完全だとか言いながら、人間的には非常に欠点が多い、ともすれば、「どんなに正しいかなんだか知らないけど、この人と同じ信仰をもって、この人のようになるんだったら、この人と同じ信仰は持ちたくないな」と思わされるようなこともあるんですね。
もちろん、私自身についてもそう思っている人はきっといるんでしょう。

そうすると、「人間は神など完全に把握することなどできないのだ」と思わずにはおれなくなります。
ですから「無知の知」とも言いますけど、自分が本当は何も知らないに等しいのだと、各々が自覚して、互いを尊重しながら行きてゆくしかないような気がするのですが……。

まあ、そんなことを言っても、「それはおまえが真理を知らないだけだ。自分が無知だからといって、人まで無知と言うな」と、立派な方々からはご批判を受けるかもしれませんが。

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - ノンクリ

2009/10/12 (Mon) 11:24:54
*.dion.ne.jp

 いや〜、小心者ですし、私。実は彼ら(今回のスレの人々)ではないんですけど、別の人(保守系のクリスチャン)にですね、私がかねてからこの板で主張していること、例えば、「そんなに異教崇拝、偶像崇拝がイヤなら、なんでクリスマス(元がミトラ教の太陽神崇拝)は平気なの?日本の異教はダメであっちのはいいの?」みたいなことをいったことはあるんですよ・・。

 そしたらですね、少々キレられましてね「信仰のない人間にガチャガチャいわれる筋合いない」とか「そんなことは大したことじゃない(なら、それこそ神社仏閣をそんなにタブー視することないじゃんって思いますが)」って感じで話しにならないもので、つい、日常生活に支障をきたさないことで、いらん波風立てるのはやめとこ、って思うもので。

 とにかく、この種の人々は理屈とか理論でどうこういってもダメです。例の進化論云々とか、ここの「みんたた」でやってるような聖書の話に関して、いくら客観的な事実とか矛盾を突きつけても、聞く耳もたず、余計、いこじになりますから・・。

 蛇足ですけど、ようつべ動画をいろいろ漁ったら、こんなのがありました、参考まで。

 http://www.youtube.com/watch?v=LACyLTsH4ac

 

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - ノンクリ

2009/10/12 (Mon) 12:15:56
*.dion.ne.jp

>交通安全祈願

 お祓いまでやってるかどうかは知りませんけど、カトリック教会ですと交通安全の祈祷文とかお守り(のような)グッズがあったように思います、確か。現実的というか世俗的というか。
 まあ、こんなところがルターやらカルバンやらの攻撃材料となったんでしょうけど。

 >世界三代宗教のうちの一つの救世主

 たぶん、最高にして最後の預言者であるあの方かな?と想像しますが。(的はずれならすみません)
 確かに、他宗教、それも全世界に何億もの信徒を抱える信仰に対する故なき中傷誹謗は厳に慎むべき、っていうのはわかりますし、当然です。
 また、その教えの優れた部分は十分認識してるつもりですし、原理主義者、過激派はごく一部ということもわかってます。

 でも、その辺を考慮した上であえていうのですが、「あの方」にはあまりにもタブーが多すぎなんじゃないか、と。間違っても「聖おにいさん」みたいなマンガのキャラにはできないし(原作者がインタビューでシャレにならないからやめた、とはっきりいってますし)。まあ、単純にイエスやブツダに比べてキャラ立ちがいま一つってこともあるんでしょうが。

 そもそも、人であり神であるイエス様と違い、あくまで人間であるあの方に対する扱いの方がよっぽど気を使われている、というのもなんだかなぁと。あまりにタブーが多かったりとか、自主規制を徹底してしまうと、悪意が陰にこもって却ってヒドいことになるんじゃないか?と思わないでもないです。
 
 実際、「あの方」の教えを信ずる人々への中傷誹謗の主に欧米系の動画、サイトはネットでいっぱいみかけますし。
 これ問題発言ですかね?こういう意見を開陳するとやっぱり断罪(差別肯定ということで)されちゃうのかな?

 ちなみに「聖おにいさん」なんですけど、最近はそのセルフパロディーというか別バージョン「最聖☆戦隊ホーリーメン」なるものが連載されてますね。
 なんでも、一般人として立川で暮らす聖イエスと聖ブッダ。しかしひとたび立川に危機が訪れれば最聖☆戦隊ホーリーメンに変身して悪と戦う、ようですが(未読)。
 ここで、戦隊に「あの方」も参戦すれば面白いなぁ、とは思うけどダメでしょうね。

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - 毛利

2009/10/12 (Mon) 14:20:25
*.ocn.ne.jp

ノンクリさんの話に登場する「少々キレた人達」って、人前では矛盾についても言及しないでしょうが、自分達の頭の中では、矛盾などについてどのように処理しているのでしょうか?

例えば10月のみんたたの聖書箇所を読んだ時に「あれ?」とは思わないのかな、とか、色々な科学番組で数億年前のことを普通に取り上げているのに、聖書では1万年前に宇宙が出来たことになっているとか、聖書は1言1句正しい神の言葉だと言っていながら、福音書間でも微妙ながら内容が食い違っているとか、そういう場面に遭遇した時に、彼らはどう処理しているのでしょうか?そこのところに興味があります。

まぁ・・・YouTubeにもありましたが、結局は洗脳されてしまっているのかな、なんて思っていますが・・・そういう人達とは関わりを持ちたくないというのが本音です。

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - トマス

2009/10/12 (Mon) 14:38:48
*.aol.com

>交通安全祈願

最近ネタがカトリックに寄ると出て来ている気がする(苦笑)

手元に、カトリック札幌教区典礼委員会の手による『祝福の祈り』があるのですが、この中には「物への祝福」の部がありまして、信心用具、典礼用祭服・祭器具、復活祭の卵、などの祝福と並んで、家(定礎式、棟上式、新宅)、自動車、船、家畜、田畑、の祝福の祈りの式文が載っています。

で、自動車のところを見てみると、交通安全だけを祈るのではないですけど(そこがカトリックらしいかも)、ちゃんと交通安全も祈っていますね。

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - ノンクリ

2009/10/12 (Mon) 19:07:33
*.dion.ne.jp

 まあ、聖書に矛盾があること自体はドキュメンタリーとは違いますし、別に批判されるようなことでもないんですけど、それがあまりにも過剰に絶対視されると、ちょっとね、ってことで。

>「少々キレた人達」

 いえ、社会生活上は常識人ですし、もちろん、カルトってわけじゃありません。ただ、その信仰には個人的についていけないなあ、話合わせるのがつらいなぁ、って愚痴っただけでして・・。YOU TUBEの人たちみたいではないですよ、念のため。

 あの映像にはあまりにびっくりしたんで、つい紹介してしまいました。なにしろ、いきなり「世界には二種類の人間しかいない、イエスを信じる者、信じない者しか」なんて挑発的なセリフですからねぇ。

>最近ネタがカトリックに寄ると出て来ている気がする(苦笑)

 トマスさん、本当にカトリックにお詳しいですよね。本当にプロテスタントの牧師さんですか?もしかして、改宗したんじゃ?(笑)

 カトリックは一見、古臭いようにみえて、ミサにしてもマニュアルが全世界共通できっちり整っていて、信徒のニーズに合わせた式文、グッズの開発と、実にシステマチックですね。まさに、キリスト教業界のトヨタ、世界一の多国籍企業といった趣ですね。(違うか?)。

 

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? 牧師 Home

2009/10/12 (Mon) 22:26:30
*.infoweb.ne.jp

いやーノンクリさん、興味深い映像のご紹介ありがとうございます。

Jesus Campという子ども向けのキャンプなんですね。これはひどい。犯罪ですね、これは。
うちの学校でやってる礼拝なんかのほうが、よっぽど健全ですよ。インパクトはないかも知れませんが。

お祈りに「アーメン」と声を合わせてね、と言うくらいですね。それも「賛同できる場合にね」と言ってますからね。

礼拝メッセージも、過度に感情的にならないように、みんな気を遣ってますよ。
たとえば、よく人気のある教師が、感情的に高ぶって涙なんか流して、故郷の親の愛のこととか話して、生徒がもらい泣きしたりするのも、ぼくは嫌いなんですよ。

あと、本題とは違いますが、あの説教師、原稿も見ずに、よくあれだけ人を巻き込む話ができるなあ、と変なところに感心しました。
まあ、原稿読んでたら逆にできないですかね。べつに人を洗脳したくもないですけど。

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - 毛利

2009/10/13 (Tue) 01:02:53
*.ocn.ne.jp

会話の脱線王ですみません・・・。

洗脳って、ああやってやるんですか?上手に洗脳すれば私も仕事が楽しくて楽しくて仕方ない、そう思えるようになるのでしょうかね・・・。それが出来るなら、洗脳を受けてみたいです。

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - さかな

2009/10/13 (Tue) 18:58:19
*.ezweb.ne.jp

あらあら、久しぶりに来てみたら、今度は石を投げるなと言った本人達が石を投げてるのね?
何でしたっけ?

>(2)自分以外の個人または団体を中傷・攻撃したりしないでください。

または団体を中傷・攻撃したりしないでください…はあ…おが屑を取らせて下さいと言う前に、目の前のまるたに気づきましょう!(笑)

ま、しょうがないですね、人間ですから(笑)

あと投稿しませんよ
なんか馬鹿臭くなってきた(笑)

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - トマス

2009/10/13 (Tue) 19:07:27
*.aol.com

無視しようかと思いましたが、すぐ上の御下劣な投稿の管理人削除を要望します。

あ、けっして毛利さんの投稿のことではございません。

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - トマス

2009/10/13 (Tue) 19:09:35
*.aol.com

>洗脳
ウチの回線は激安低速ADSLなので動画再生はしないことにしているので、どんな画像が上がっているのか見ておりませんのですが、…

毛利さん、そらぁアレですよ
>上手に洗脳すれば私も仕事が楽しくて楽しくて仕方ない
成れると思います(キッパリ)

ノンクリさん、グッズの方は知りませんでした。面白いネタをいただきまして感謝です。
カトリックは世界共通の部分だけでなく、国や修道会ごとのバリエーションがスゴイです。またそれだけバリエーションを持たせることができるという懐の深さが半端じゃないです。(以下自粛)

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - とま

2009/10/13 (Tue) 21:52:00
*.dion.ne.jp

>信仰歴が長いともう神社仏閣とかにアレルギーが出て、入ったりすると気持ち悪くなるんだよ

…とすると、昔神社の雅楽会に所属して観月会に出たり
今現在のご近所のお気に入りゾーンが氷川参道と氷川神社だというワタクシは何でしょうねえwww

プロ系の幼稚園に入ってた甥なんて、隣の教会の礼拝堂に入ったら
「暗くて怖い」って真っ先に泣き出したそうだし、
ワタクシの今の所属教会なんか見方によっては洞穴みたいだし。。。

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - ノンクリ

2009/10/13 (Tue) 22:15:59
*.dion.ne.jp

 とまさん、お久しぶりですね。そういえば一昨年のオフ会でお見かけして以来のように思いますが。

 そうですね、私なんかはこの業界(キリスト教世界)に関わるようになって却って、神道とか仏教への関心、敬意というか奥深さも理解できるようになった気が(あくまで「気が」ですけど)するようになったと思うんですけどね。

 ちなみに私、保守系の教会でよく言われる「BORN AGAIN」って言葉、苦手なんですよ。
 別に仏教、神道シンパでもないのに、神社・仏閣忌避のクリスチャンとか教会にアレルギーを感じるのは、なんでだろ?と考えると、(クリスチャンになることは)、これまで、自分の人生を構成する上で関わってきたもの、培われたものを否定、破棄しなきゃいかんの?みたいな乱暴さ、というか押しつけがましさ、というか洗脳じみたものを感じてしまうからなんですよね。

 それこそ偏見かもしれませんが・・。

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - とま

2009/10/13 (Tue) 22:31:58
*.dion.ne.jp

ノンクリさん、皆さんお久しぶりです(爆
ご挨拶が遅れまして。。。

「BORN AGAIN」という言葉に関してはワタクシも駄目ですね。
自分が生まれ出た場所を切り離してしまったら「己の何たるか」という「根拠」が完全に失われるわけで、
そのようなことは本来ホイホイやることではないはずですしね。

「切り離す」のではなく「通過点」として自分の一部にしておくのがおそらく正解なんだと思います。

そういえば富田先生の「おはらい」で思い出したんですが、ウチの教会でも
「魔鬼を祓うための祈祷」とか、「成聖祈祷(カトで言う"祝別")」などが結構あります。
ロシアあたりだと種類が沢山あって、まるで神社のお祓いみたいです(笑)。

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - ノンクリ

2009/10/13 (Tue) 22:58:48
*.dion.ne.jp

 神社仏閣忌避系の教会の牧師さんたちの言い分は「(焼香など)別にやっちゃいけない、とはいっていない。でも、信仰が深まると自然とそうなる(そのような行為はできなくなる)」とのこと。

 でもねぇ、日常的に「神社仏閣に入ると気分が・・」とかいう会話を聞かされ、教会報などで、クリスチャンになるために仏壇ぶっ壊した人の話を読まされたりすると、そりゃ、「自然」と「(神社仏閣に関わることが)後ろめたくなりますよね。
 
 いや、確かにクリスチャンになれば仏壇は不要ですし、破棄したり、売ったりするのもやむなしとは思うんですが、それを得々と記事にするセンスが私にはどうにもついていけないものがあって・・。

 とくに純真な人ほど、「神社仏閣には関われないんだ・・」って思うでしょうね。ここでいう純真っていうのはこういう問題(他宗教に対する対応)はキリスト教世界でもかなり意見が割れていることを知らない人って意味で。

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - とま

2009/10/13 (Tue) 23:14:21
*.dion.ne.jp

>信仰が深まると自然とそうなる(そのような行為はできなくなる)

あ、それってウチの教会でも時々言う人います。
かと言って、そういう人でも「信徒の事情を無視してもいい」とはさすがに言いませんけど。

いつだったか、今の教会の昼食でお菓子が回ってきた時にいつもの習慣で手を合わせたら
「ここは教会だから、手を合わせられると違和感ある」
と面と向かって言われてしまい
「…は?」と言いたくなった思い出があるのですが、
実はこの「違和感ある」と言った人は4代目の信徒さんで、
他の宗教・教派のことをご存じない人だった…
というオチだったりします。

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - トマス

2009/10/14 (Wed) 13:22:27
*.aol.com

>信仰が深まると自然とそうなる(そのような行為はできなくなる)

とまさん、おひさしぶりです。

ガキの頃は一途に神社仏閣のたぐいは偶像崇拝と思っておりましたです。ハイ。そんなこと言っている私も○代目です。
でもねぇ、そうじゃないんだな、ってことが年齢を重ねるごとに判ってきたような気がします。今では山そのものを御神体にした神社(関西だと三輪山とか)の良さなんかも随分と判ってきたように思います。詳しく書くと長くなるのでやめておきますが。
仏教のことなんかも仕事の都合で多少勉強してみたら、あれはあれでナカナカによいものだと思うようになりましたね。実はガキの頃は同じぐらいにカトリックのことも不勉強だったということを痛感中。
それぞれにいいところがありますよね。ただ、政治がらみで個人を神格化した神社は相変わらず苦手です。

仏教はお嫌い? - 愚峰

2009/10/21 (Wed) 17:28:20
*.ocn.ne.jp

お久しぶりです。
そもそも、クリスチャンの方って、仏教嫌いって方が多いのですか?

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? hotaro

2009/10/22 (Thu) 17:42:46
*.bbtec.net

以前は、キリスト教を信じていれば、仏教と衝突するのは、あたりまえ、と考えていましたが、今はそうでもないです。紀元前 700年頃、老子直前の中国、ヒンドゥー教が、バラモン教だったインド、そして旧約聖書ができる直前のヘブライ人は、共通の霊性を持っていたのではないか、と考えています。これは、ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」を読んで、かなりその確信が深まりました。「宇宙を流れる生命のエネルギー」と言われる、「気」です。これが、三輪山の霊気ではないか、と思います。まだキリスト教も仏教もない時代の、この霊性を共有できれば、いっしょに、それ以降の生臭い、権力と癒着したり、特定の個人をあがめるような堕落した諸宗教の罪悪と戦えると思います。

Re: 仏教はお嫌い? - トマス

2009/10/24 (Sat) 08:14:37
*.aol.com

愚峰さん、お久しぶりです。お元気にしておられますでしょうか。

>そもそも、クリスチャンの方って、仏教嫌いって方が多いのですか?

よくわかりません…。
一般的な話としては、やはり日本のプロテスタントはアメリカン・ピューリタニズムを経由して輸入されていますから、他の宗教を「異教(多分に偶像崇拝=邪教のニュアンスが籠もっている)」と見る部分が有る、あるいはすくなくとも有った、と言えるかと思います。
ただ、カトリックが第2バチカン公会議で大きな方向転換を遂げて以来、海外のキリスト教界に目の向いた人であればプロテスタントの信者もかなり変わったと思います。カトリックの場合、少なくとも現在の公式の立場としては、自らの信じるものの真理性を疑うことではないけれども、他宗教にも一定の真理契機が有ることを我々は理解する、ということになっています。
日本のプロテスタントの場合、そのあたりが「自分たちにしか真理はない」人が多いわけでして、下手すると仏教どころかキリスト教の中でも「自分たち」以外は間違っているということも…。ま、そうなると当然のように仏教の中の真理契機を受け入れる余地はないのでしょうねぇ。
そこまで行かなくても、今でもアメリカン・ピューリタニズムに「しっかりと立っている」(←これはキリスト教用語?俗な言い方をすれば、頸までどっぷり浸かっている?)人たちの中には、第2バチカン公会議を「堕落」と評してはばからない人が…。

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? 牧師 Home

2009/10/24 (Sat) 23:52:34
*.infoweb.ne.jp

私も、洗礼を受けた当時は、キリスト教以外の宗教は、邪宗だと思っていました。某日本キリスト教団のN教会というところでしたが、そういう信徒教育をしていたんですね。

いつごろからだろう、仏教もなかなかいいぞと思い始めたのは……。
ちょっと思い出せませんけど、同志社大学の神学部に入ったころには、そういう独善的な考えからは脱却していたと思います。

カトリックの第2バチカン公会議(とまさんのボキャで言うと「ニバチコ」(笑))の影響って、じっさいどの程度浸透しているのでしょうか? リベラルな人が動きやすくなったような話は聞いてはいますけど、ラッツィンガーの支配で逆戻りしているという話も聞いています。
伝聞ばかりで申し訳ありませんが。

プロテスタントは確かに仏教嫌い多いですよ。

あ、火曜日の夜、京都で飲んでましたらね、玄侑宗久さんに会いました。見かけたので、挨拶しに行ったんですが、挨拶だけで頭下げて帰ってきましたけど(笑)。「何をしたかったの?」という目で見られました、ハア。

Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - ノンクリ

2009/10/25 (Sun) 11:32:52
*.dion.ne.jp

 仏教が嫌い、というより、キリスト教の(偶像を拝まない)優位性を信じて疑っていない(もちろんストレートにはいいませんが)タイプと、純粋に偶像崇拝、異教崇拝はダメと真面目に考えるタイプの2種類(神社仏閣忌避タイプのクリスチャンには)がいるような気がします。

 真面目タイプの方には、神社仏閣そのものを眺めるのは大好きって人がいて、つい、手を合わせたりしないように気をつけているとのこと。

 やっかいなのはキリスト教の優位を信じて疑わないタイプですけど、これにしても、自分の信仰が正しい、との確信がなければ宗教などやっていられないわけで、一慨には非難できないですね。ただ、何事も極端なのはダメよというだけで。

 繰り返しになりますが、問題なのは、子供時代、若い時分から所属する教会以外のことを知らず、純真に(神社仏閣ペケ)って信じこんじゃってる人ですね。

 まあ、どちらのタイプも、私がエラそうにいうのもおかしいんですが、もっと広く、自分の所属する教会以外のクリスチャンとか別宗教の見聞を広めてもらいたいな、と思います。その上で、神社仏閣はやはりクリスチャンとして近寄れない、という結論に至ったのなら、もうそれはしょうがないし。

 

教会襲撃事件 牧師 Home

2009/10/10 (Sat) 16:16:54
203.140.72.82

ここ数週間、大阪市およびその近辺のプロテスタント教会が襲撃されているという事件をご存知ですか?

消火器が消化液を噴射した状態で、教会に投げ込まれるのです。投石もあります。
教会のガラス窓を突き破って、かなり強烈な力で投げ込まれています。
時間は深夜から明け方です。
もう40件以上の被害が出ています。

カトリックと聖公会の教会には被害は出てないそうです。しかし、プロテスタントと言っても、日本キリスト教団の教会だけではなく、純福音系の教会も襲撃されているそうです。

この事件について、お心当たりのある方はいらっしゃいますか?
牧師たちは皆悩んでいます。「自分が傷つけたあの人、この人……」と思い当たる節が、皆あるそうです。襲撃されたから怒るのではなく、自責の念にかられている牧師さんたちがたくさんいます。

この一連の襲撃が終わることを願ってやみません。
また、犯人の抱えている問題が解決されることを願います。

Re: 教会襲撃事件 - 毛利

2009/10/10 (Sat) 16:52:43
*.ocn.ne.jp

はじめて聞いたニュースです。

40件以上とのことですが、1人でそこまで教会を探して攻撃することは無理ではないでしょうか?

特定の個人が恨んでの犯行と言うよりも、もっと集団によるものではないかと思われます。

人命に関わる事件に発展しなければ良いのですが。

Re: 教会襲撃事件 - ノンクリ

2009/10/10 (Sat) 23:23:47
*.dion.ne.jp

 私も毛利さんと同様、これは個人的な恨みとか心の傷がどうのこうの、という問題ではないような気がします。関東では今のところそんな話は聞かないですね。

 カトリックと聖公会が襲われない、というのも妙というか何なんでしょうね?。中世ヨーロッパじゃあるまいし、今更、教派間の争いじゃないでしょうし?

Re: 教会襲撃事件 牧師 Home

2009/10/11 (Sun) 02:04:35
*.infoweb.ne.jp

大阪府警があまり積極的に操作しようとも思ってない態度なのが、悔しいところです。マスコミが注目しないと、本気で操作する気がないのでしょう。まあ、世の中事件が多すぎて、何もかも本気で取り組むわけではないでしょうが。

Re: 教会襲撃事件 - ラム太郎

2009/10/11 (Sun) 19:08:27
*.ocn.ne.jp

 うーん、これって単なる悪質なイタズラのような気がしますが。
 カトリックや聖公会は概して敷地が広く、一旦敷地内に入らないとその手のイタズラは難しいと思います。
 でもプロテンスタントの教会は、敷地が狭く、建物の窓が道に面しているような所が多いですね。
それに教会の窓って、たいてい大きくて数が多いですよね。
しかも、警備体制なんて皆無でしょうから。
(セコムしてる教会なんてないですよね?)

 イヤな世の中ですが、まずは防犯カメラを
設置するとか?ああ、設備の性質上無理なのでしょうか。。。

 それほど頻発しているのでしたら、教派を越えた
連絡体制で監視しないと、解決は難しいのではないでしょうか。
 
 


 

Re: 教会襲撃事件 - ラム太郎

2009/10/12 (Mon) 00:08:35
*.ocn.ne.jp

 自責の念にかられている牧師さんたち、というのが良く分かりません。
そういう犯罪が多発しているのなら、まず止めさせないといけないではないですか。
 そうしないと、実行している輩は、益々罪を重ねることになると思います。
 
 そうなったら、より自責の念にかられるのではないですか?
第一他の犯罪に波及する可能性もあるし、
特に消火器・・・どうせ手近にあるご町内の消火器を放り込んでいるのでしょう。
そうなると、いざというときにご町内で消火器が
使えなくなります。

 もはや教会だけの問題でなく、地域のそして社会の問題になっていきます。

 長老会議とか、こういう時にこそ機能しないといけないのでは?

 それと、牧師さん達も警察だけでなく、地域の町内会の会長さんとか、議員さんとかとも話をしないと、このような件は解決が難しいと思いますが?

 牧師さん方のお仕事は大変なことが多いとはお察ししますが、自責の念云々は、まずこの事件が解決してからでも遅くはないはずです。
 しかし、この事件を放置しておくともっと波及していくかもしれない。。。それが怖いです。

 落書きなども、最初は少なくても、放置しておくと大変なことになっていくようですよ。それよりもっとタチが悪そうです。


 被害に遭われた牧師の皆さん、こういう時こそしっかりして欲しいです。

 悪いことは、悪い! はっきりしましょう。
 

Re: 教会襲撃事件 牧師 Home

2009/10/12 (Mon) 11:09:09
*.infoweb.ne.jp

長老会議というのが、一軒の教会のなかの長老さんたちの話し合いなのか、それともある教団のなかの「長老会議」という組織のことなのか、あいまいなままでお話ししますが、異端審問と魔女狩りのような内向きの宗教裁判にうつつを抜かしているようなところもありますから、こういう現実の問題への対処には疎いところがあるでしょうね。

消火器は、近所にあるものを盗んで行っているようです。ですからラム太郎さんがおっしゃるとおり、地域の問題として深刻な犯罪です。
自治会については、私は自分が自治会長をやって初めてわかったのですが、クリスチャンや教会がいかに地域との結びつきに疎いかということですね。
まあ町内会にもよりますけど、地域の神社と結びついていたり、逆に宗教は疎ましがられるから、といって孤立的な立場になっているところがあったりするのではないかなと想像しています。

Re: 教会襲撃事件 - トマス

2009/10/12 (Mon) 14:28:32
*.aol.com

きちんと捜査してくれないというのも困りますが、下手に報道されて模倣犯が出るのも勘弁して欲しいですね。

一般的な消火器はピンを抜いてから十数秒しか薬剤が出ませんでしょう。その間にガラスを狙って投げ込むのですから、相当に手慣れた犯行のように思います。それとも窓を破った衝撃でピンが抜けるように設定してあるのかな?だとすると相当に悪意のある行為ですね。

Re: 教会襲撃事件 - 毛利

2009/10/12 (Mon) 14:45:27
*.ocn.ne.jp

日本の、某宗教団体施設に火炎瓶だかを投げ込んだ人は、凄く重い刑に服しているのに・・・。以下略。

Re: 教会襲撃事件 hotaro

2009/10/13 (Tue) 17:57:58
*.bbtec.net

単発的でない、ということから、私は、こういうものは、よくその社会的な背景を考えないといけないと思います。牧師さんがたは、個人的な恨みかもしれないと思って、牧会上のトラブルをお考えのようですが、私は、この事件に関しては、自分の考えの投影かもしれませんけれど、プロテスタント教会に対する、ある種の苛立ちから発展した社会的な恨みのようなものを感じます。イエスだったら、どのようなリアクションが考えられるか。おそらく、その犯人の思い、あるいは、そのようなアクションにいたるグループの精神的に追い詰められた状況に思いを寄せるのではないでしょうか。

Re: 教会襲撃事件 - トマス

2009/10/13 (Tue) 19:22:06
*.aol.com

>自責の念
一般的な話として、こういう場合にまず自分が誰かを傷付けなかったか?と疑うのは牧師一般の気持ちの持ちようとしてあると思います。
まぁ、腹の中では「ゆるさん、しばいたる」と思っている人もいるかもしれませんが、立場上なかなかそれを表には出せませんでしょう。

もっとも、今回は連続してということですから、hotaroさんが書いてくださったように、個人的な恨みとかではなくて、もう少し広い背景を考えた方がいいのでしょうね。個別の恨みがプロテスタント教会全部に及んでいる可能性もあるのでしょうけど。

でもって、ラム太郎さんが書いてくださったように、敷地が狭いから道路から直接狙えるというのはあるかもしれませんね。それって厄介だな。
>セ○ム
するだけの資金的余裕がない教会がほとんどだと思います。いずれは考えなきゃいけないのでしょうけどね。まぁでも人目に付くところに警備会社のシールを貼ってある教会、って確かにちょっと違和感あるかも。わたしが一見さんだったら安心感よりも「ここは狙われるの?」って心配が先に立つかも。少なくとも、ここはそんなにお金持ちなの?とは思わないだろうなぁ。あ〜でも目に付くところに貼らないと意味無いですよねぇ(苦笑)

Re: 教会襲撃事件 - とま

2009/10/13 (Tue) 22:02:28
*.dion.ne.jp

>消火器が消化液を噴射した状態で、教会に投げ込まれるのです。投石もあります。

これってはっきり言って犯罪ですよね?
だったらなおのこと放っとかずに通報したほうがいいような。

「人を許せ」とか言ったって、社会的な責任を果たせないようでははっきり言って無意味だと思います。

Re: 教会襲撃事件 - トマス

2009/10/14 (Wed) 13:28:13
*.aol.com

>これってはっきり言って犯罪ですよね?

器物損壊ですね。何処かに設置された消火器をパクって来て投げたのなら窃盗も加わります。
石や消火器を投げるために敷地に立ち入っているとすれば不法侵入も問えるかもしれません。

ただ、良くも悪くも?現住建造物放火に比べると器物損壊は刑が軽いですね。窃盗は実は案外に重いのですが。

Re: 教会襲撃事件 - G

2009/10/20 (Tue) 16:53:58
*.asahi-net.or.jp

本当に困ってしまいますよね。
先日からテレビのニュースでも取り上げられました。
早くおさまるといいのですが・・・

Re: 教会襲撃事件 - トマス

2009/10/20 (Tue) 19:58:04
*.aol.com

Gさん、はじめまして。
本当に困ります。私もボチボチマスコミが取り上げ始めたな、と思って見ているところです。たしかに、早くおさまってほしいですね。

Re: 教会襲撃事件 - ののか

2009/10/21 (Wed) 07:48:38
*.dion.ne.jp

こんなことが起こってたんですね。
怖いです。
こういう卑劣な犯行はやめてほしいですね。嫌がらせなんでしょうが。


Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.