三十番地キリスト教会 第1談話室
2009/07/02 (Thu) 00:32:27
*.infoweb.ne.jp
7月になりました。「みんたた」7月のテーマは「誓ってはならない」です。以下に聖書の言葉を引用します。みなさん、どうぞ叩いてください。
マタイによる福音書5章33〜37節
33 「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。
34 しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。
35 地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。
36 また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら 、あなたは白くも黒くもできないからである。
37 あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ 以上のことは、悪い者から出るのである。
まずは、この箇所をリクエストされた地の塩さんからコメントしていただくのがいいように思いますが。
では、どうぞ。
Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - 地の塩
2009/07/02 (Thu) 16:32:51
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ありがとうございます。
誓いを立てたとしても、それを守れるも守れないも自律しうるものでない。「われの善くて悪をなさざるにあらず」のごとく、神のみ手に委ねるしかないのが被造物たる我であることをしかと知れ!と言う事かと解釈しています。
「今度こそ!」と誓って、いつもいつも挫折・・・
もし事、成就すれば、それは神のみ恵み・・・
にしても、この聖句、キリスト教世界では意外に無視されていませんか?
なんやかやと誓わせている気がします。
我も我もとキリスト教式結婚式で「はい、一生!」なんて誓ってますし・・・
自力に頼った若い日が過ぎ去り、この絶対他力が心の安定を支えてくれています。(私事ですみません)
皆さんの解釈をお願いいたします。
Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - トマス
2009/07/02 (Thu) 23:03:47
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>にしても、この聖句、キリスト教世界では意外に無視されていませんか?
無視されまくっていますね。
洗礼式(信仰告白式)、役員就任式、准允式、按手礼式、牧師就任式(御丁寧に牧師と教会員の両方)、…
それはともかく、37節の言わんとするところがよくわかりません。33−36はある意味イエスの言葉らしいな、と思うのですが。「悪い者」をどう解釈するか、かな?
Re: 「みんたた」7月の課題聖句 - 地の塩
2009/07/03 (Fri) 05:56:24
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>それはともかく、37節の言わんとするところがよくわかりません。33−36はある意味イエスの言葉らしいな、と思うのですが。「悪い者」をどう解釈するか、かな?
37節は聞きようによっては「てめえらは黙ってろ!」と聞こえなくもないですよね・・・
まさかイエスが盲従を求められるはずはないと思います。う〜ん、・・・まあ、しかし、ファリサイを凌ぐ律法の完成を促すマタイが自力完成、自力到達を否定するとは思えませんので、これは可成りイエスの言葉伝承の古層に由来しそうな気がします。
とすれば、(悪い者)とは自力を誇り、神の前で立てた誓いを完遂して自慢するファリサイ的な者達と解釈してはどうでしょうか?
Re: 「みんたた」7月の課題聖句
- れお
2009/07/04 (Sat) 11:31:07
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※【33〜36】はこれまで自分が疑問に思っていた箇所で今まで結構調べてきたので、他人の解釈がかなり含まれています。オリジナルかな〜と思うのは【37】だけです。
【33】昔の人は「主に対して誓いを立てたら、果たしなさい」と命じられていた。しかし、「そんなこと言ったって、人間だもの、果たせないや」と諦めつつも何とかできないかと考えた。
そこで思いついたのが、【33〜35】で見られるような天・地・エルサレムに誓うことで、「主」に対して誓っているわけではないし、命ぜられていることに反しているわけではないと逃げ道だった。天・地・エルサレムは神が作られたものだけど、神そのものではないという理屈で逃げることにした。
そういう現状を目の当たりにしたイエスは【34】で「一切$セいを立ててはならない」と言った。【33〜35】では人間以外のものを、【36】では人間自身にかけて誓ってはならないと。天・地・エルサレムは神の王座・足台・大王の都だと断言し、また、人間が自分自身に誓うことも頭髪の色を自由に操作できないことを用いながら無理だろうとおっしゃった。人間の非力さを用いて説得しようとした。
ここまでで、「人間は神にかけても、自分自身にかけても誓ってはならない」とおっしゃった。
そして・・・・・
※ここからは単純に解釈を述べるよりは、私の思考回路を書いたほうが分かりやすいのではと思い、余分かもしれませんが書くことにしました。
実はこの【37】が物凄く難しかったのです。考え込んじゃいました。
@何に対してそのように言いなさいと言ったのか?
A悪い者とは何か?
最初はこの2点を考えればたどり着けそうだと思ったのですが、全く答えが出ず…。
そもそも「人が誓う」という状況をもっと考えなくてはたどり着けないような気がして、次第に誓うということに対して「わざわざ$セうのは何故なんだろう」と思えてきました。いつの間にかわざわざ≠ニいう副詞がついてきてしまいました。たしか…「誓いを立てなさい」とは旧約では言ってないんですよね。誓いを立てるか、立てないかの自由はあったのかな〜と思います。
自信(→語弊があるのかもしれないけれど)がないから、誓うんじゃないのかな…そんなところに落ち着きました。政治家などにはパフォーマンス・はったり的なものが多いけど。「神にかけて○○する、しない」というのには程度の差はあるけどとにかく偽りがついてまわるのだと…。
本当の気持ちに従っているなら、「誓う」という行為は不要なんだと思います。そこをイエスは突いているのかな〜なんて思いました。
で、【37】に話は戻って、@の疑問は愚問(私達は他人と接していようと、常に神の御前にいるはずです)。
ハイはハイ、イイエはイイエという「シンプル・イズ・ベスト」な態度が良しとされ、「○○すると誓います」などとつべこべ言ってるうちは自分の思いが100%真実ではない状態ですよという意味。シンプル・イズ・ベスト的な方が間違いなく実行に移しているはずです…。
Aの「それ以上のものは悪い者から出る」という箇所については、マタイ6章7節「また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない」や、14章11節のように「口から出て来るものが人を汚すのである」を参考に考えました。悪い者は悪魔や異邦人を指すのかなと思いました。
2009/06/26 (Fri) 00:33:12
*.infoweb.ne.jp
「みんなでたたこう聖書&メッセージ研究」(2)7月のテーマのリクエストを受け付けます。
気になる聖書の箇所、あるいは「このメッセージを叩いてください」という尊い自己犠牲(笑)など、どうぞご提示ください。
6月のテーマ「不正な管理人」は、一応6月末日で発言を〆切り、三十番地サイトのほうに貼り出します。しかし、あとからここで、このテーマについて発言があった場合は、追加掲載しようとは思っていますので、そんなに焦らなくてもいいです。
Re: 「みんたた」7月のリクエスト - トマス
2009/06/28 (Sun) 21:29:27
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とりあえず、上に上げておきます。
Re: 「みんたた」7月のリクエスト - 地の塩
2009/06/29 (Mon) 11:16:31
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もしよろしければ、マタイによる福音書5章33節〜37節 (誓ってはならない)をみなさんで叩いてほぐして貰えませんでしょうか?
Re: 「みんたた」7月のリクエスト - 毛利
2009/07/01 (Wed) 13:00:25
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先生のメッセージにもありますが、マタイによる福音書10章16節の「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」で、どうして引き合いに出すのが悪魔の化身、蛇なのかと思いました。邪悪になれ、相手を欺け、神に背け、ということを言いたいのでしょうか。
ちょっと気になったので投稿してみました。
2009/07/01 (Wed) 21:02:13
*.infoweb.ne.jp
はい、では早いもの順ということで、7月のテーマは「誓ってはならない」にしましょう。
8月のテーマは「蛇のように賢く、鳩のように素直に」を取り上げましょう。
投稿ありがとうございます。
6月の「不正な管理人」についても、一応締め切りとして本サイトのほうにあげますが、ちょっと待っててくださいね。
また、本サイトにあげてからも、その箇所について追加コメントしたい場合は遠慮なく投稿してください。本サイトのほうに記事を追加しますので。
みんたた大好き - れお
2009/07/02 (Thu) 19:55:17
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こんにちは。カトリックで求道中ですが、参加してもよろしいでしょうか。みんたたはとても面白かったです。「不正な管理人」はネット検索すると、本当に色んな解釈がでてきました。
「誓ってはならない」について私も考えたいとおもいます。
Re: 「みんたた」7月のリクエスト - トマス
2009/07/02 (Thu) 23:06:16
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れおさん、ようこそおいでくださいました。
「誓ってはならない」も、それ以外もどうぞ参加してください。
2009/07/02 (Thu) 23:12:54
*.infoweb.ne.jp
れおさん、ようこそ三十番地キリスト教会においで下さいました。
どうぞ遠慮なく参加してください。
できるだけたくさんの人がたくさんの視点から、様々な意見を紹介し合うということに価値を置いています。
したがって、「一致した」「唯一の」「正しい」解釈に「統一する」ことを全く目指しておりませんので、どうぞお互いの見解の相違を楽しんでいってください。
これからもどうぞよろしくお願いします。
はじめまして
- ミサゴ
2009/07/03 (Fri) 23:59:23
*.dion.ne.jp
れおさんに便乗して僕も参加させてもらいたく思いました(苦笑
日本基督教団の求道者です。
こちらには2年ぐらい前からアクセスさせていただいていたのですが、みんたたですごく参加したくなりました。
「不正な管理人」はずっと疑問だったんですが、ウチの牧師先生は「(ミサゴ)さんにピッタリですよ」と含み笑いするだけで疑問は晴れず、そのぶん興味深く読ませていただきました。
聖書知識などはあまりありませんが、ご一緒させてください。よろしくおねがいします。
セブンスデーアドベンチストについて - 迷える人
2009/07/03 (Fri) 17:47:40
*.bbtec.net
こんにちは
皆さん前回は私の為に質問にお答え頂き有難うございます
トマスさんへ☆
トマスさんは協力牧師なのですかそれは心強いですね
トマスさんのその解答の雰囲気私大好きですよ
ぢょおうさんへ★
ぢょおうさんの例えはとても面白いですね
この調子でこの掲示板を盛り上げていきましょう♪ぢょおうさんは牧師様の協力牧師みたいな感じな方ですか?
又質問する事お許し下さい
私気になっていたのですがセブンスデーアドベンチスト?は異端でしょうか?
土曜日を聖日にしていますよね?
土曜を聖日にしなければこの教団も正統なキリスト教に加わると思うのですがね
ネットには一応土曜の聖日の意味が書いてあった様なきがしますね
私は一応は異端視されているキリスト教は知っているつもりですが
きっと何処かで聖書の解釈がくい違ってしまったのでしょうね
果たしてセブンスデーアドベンチストは異端でしょうか?
ご存知でしたら教えて頂けませんか?
礼拝に行っています - ジョルジュ・サンド
2009/06/25 (Thu) 18:16:28
218.44.215.177
こんばんは。お久しぶりでございます。
ずいぶん前に書き込みした者で、ジョルジュ・サンドと申します。
以前はもっと病状が悪く、教会に定期的に通えないでおりましたが、最近礼拝に定期的に行けるようになりました。
このまま、一つの教会に定めて、入信するか迷っています。
私は生きることに苦しみを感じ、教会の門を叩いているのですが、何か他の信徒さんと教会に対しての感覚が違うように思います。
他の信徒さんは紳士淑女の社交の場のように利用しているように私の目には見えています。牧師様は「教会は楽しむところですよ」と教えてくださいました。(←悩みを抱えている私を励ます意味で仰っています)
生きづらさを感じている人はカウンセリングの方が向いているのでしょうか?
生きていなきゃいけない意味とか真剣に考えることは、無意味なのでしょうか。生きることや死ぬことを真剣に考えているのが宗教かと思っていますが・・・。
富田先生は著書で、人間関係で駄目になっても、神との関係で3次元的に考えられれば良いと書かれておりました。そのように考えられれば、私もオーケーかなと思っています。
また、礼拝を受けると心身が清められたように感じ、ぎすぎすした心にスペースが出来ます。
私が求めているものはあるのか、ないのか、よく分からないのです。
また、入信するまでにどのような事をするのでしょうか。その後は何か変わるのでしょうか。ただ礼拝に与るのとは違うのですよね。
いろいろ質問して、恐縮しております。
どうぞよろしくお願いします。
2009/06/26 (Fri) 00:21:50
*.infoweb.ne.jp
おひさしぶりです、ジョルジュ・サンドさん。
社交クラブのようになってしまっている教会は確かに多いです。
でも、本来は、生きることそのものへの疑問や悩みをぶつけたいのが教会という場所ではないか、と私も思います。
少なくとも牧師との個人面談では、そういう問いをきちんと受け止めてもらいたいものですね。
でも、いろんな教会があり、いろんな牧師がいますから、一概に教会はこうだ、とは決めがたいところがあります。
教会の礼拝に参加すると、心にスペースができるって大事な事ですよね。
とりあえずそれでよいのではないでしょうか。
教会に何もかも求めることはできないと思います。
クリスチャンは「全知全能の神」というお題目を唱えるのが好きなので、つい純真な人に「教会はどんな悩み苦しみでも受け入れてくれる」と思わせてしまうのですが、ああいう無茶な信仰はやめたほうがいいと思うのですね。
一般に、カウンセラーとしての専門性を牧師に求めるのは無理だと思います。もちろん、カウンセラー的な資質をお持ちの牧師はおられますし、中には臨床心理士の資格を持っておられる方もおられますが、それでも、カウンセラーが本職なのではないのです。
ですから、カウンセラーにかかったほうがいいかな、と思ったときは、教会に遠慮なくカウンセリングをお受けになったほうがいいと思います。
私自身は教会では、全く社交的ではありません。礼拝に出て、牧師とちょっとお話しして、帰る。そんな日が多いです。
入信するまでには、一般的なプロテスタント教会では、「キリスト教入門講座」といったものを数回に渡って受けて、キリスト教の基本的なことを学んだ上で、「信仰告白」を、役員会の前で、あるいは洗礼を受けるその礼拝中、参列者の前で、告白する(原稿を書いてきてそれを見ながらでいいのですが)。それで、水を頭にかけられて(あるいは全身ドブンブクブク)、洗礼を授けられます。
洗礼後は……たぶん何も変わりません。
ただ、人の前で、私は神とともに生きてゆく、と宣言して、先達のクリスチャンたちの立ち会いのもと、約束のバプテスマを授けられたのですから、そういうことを自覚して人生を歩むことが求められます。できれば、自分がすでにクリスチャンである、と周囲の人に知ってもらった方がいいでしょう。
……まあ、それが一番大きな変化の起爆剤になるかもしれませんが……。
Re: 礼拝に行っています - ジョルジュ・サンド
2009/06/26 (Fri) 12:12:05
218.44.215.177
牧師さま、いろいろとお忙しい中、お返事を頂きまして、ありがとうございます。ネットでしかお話しをしたことがないのに、ご相談させて頂き、感謝しております。
キリスト教入門講座なのかよく分かりませんが、聖書の勉強会に行く予定でおります。教会の方にその後のことも詳しくお話しを聞いてみようと思います。
また、同じ宗派の教会でも、教会毎に信者さんの年齢層とか雰囲気とか違うのかなと思います。
今通っているところは家から遠いのですが、教会が街のランドマークで歴史的建造物でもあり大規模です。もっと近くの同じ宗派のの教会の方は小規模ですが、近いため通いやすいです。
大規模な教会の信徒さんは、私と同世代の方も多く、お話ししてみると皆さんエリートで、自分と比ると恥ずかしくて恐縮してしまいます。司祭さま(そこでは牧師と呼ばないと教えられました)も良い方で、でも信徒さんが多いのでお話しできるチャンスが少ないのが残念です。もっとお話し出来たら嬉しい![]()
ありがとうございます。
2009/06/27 (Sat) 10:41:22
*.infoweb.ne.jp
プロテスタントでは、宗派の違い以上に、その教会が建っている地域の傾向とか、信徒の年齢層などによる違いが顕著なように感じます。また牧師の個人的な個性に左右される面もたいへん大きいです。
直接お目にかかってはいませんが、多少内気な人でも、声の大きさとか見た目の印象に影響されずに、こういう会話をしやすいのも、ウェブ教会のいいところです。どうぞ、いろんな話題を提供してください。
どうぞよろしくお願いいたします。
Re: 礼拝に行っています - 地の塩
2009/07/03 (Fri) 06:25:17
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ジョルジュ・サンド様、こんにちは。
はじめて行った教会で、うまく交われないで気後れみたいなものを感じてしまう、よく聞く話です。
それで気に入るまで教会ショッピングをされている方もあります。 たしかに、古参信者が固まって楽しげに会話されているのを端で見ているとサロンに見えますね。
礼拝で、一杯一杯だった心に風通しのよい隙間が出来るって素晴らしいです!
空いた心の受け皿には神様が座って下さることでしょう。きっと!
目からウロコの瞬間 - ノンクリ
2009/06/20 (Sat) 22:24:06
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この会議室で散々述べたことの繰り返しでなんですが、キリスト教にしても聖書にしても常識や理屈で考えたら、ツッコミどころ満載ですよね。賛美歌や聖歌を大声で歌うのもかなり恥ずかしい。
そのようなものを信仰したり、照れずに恥ずかしがらずに神という言葉を口にできたり、賛美歌を大声で歌えるようになるには、やはりある種のブレークスルーが必要かと思われます。
有名なパウロの「目からウロコ」は、そのブレークスルー、つまり、これまでの理屈や常識など全く気にならなくなった瞬間を象徴的に描写しているんだと思いますが、皆さんの「目からウロコ」の瞬間ってどんなものだったんですか?それとも、そんなものはない、未だに何がいいのか、よくわかっていない、って人も多いんでしょうか?
いろいろ体験談などお聞かせ下されば幸いです。
Re: 目からウロコの瞬間 - ぢょおう
2009/06/21 (Sun) 15:33:42
*.eonet.ne.jp
日本基督教団などの「一般的な雰囲気の教会」で大声で歌う場合
これは地声が大きいとか、純粋に歌が好きというだけの方も多そうな気がいたします(勝手な想像ですが)。
しかし、天国系(福音派・ペンテコステ派等)となると、ちょっと様子が違ってまいります。
ノンクリさんのご質問中にある、「ある種のブレイクスルー」がないと
曲によっては歌詞やほかの賛美者と自分との間にある、深い溝を感じることもしばしばでございます。
ぢょ自身はブレイクスルーの瞬間のことまでいちいち覚えておりませんが、
要するに、「恥ずかしさがふっきれて、ノリノリに楽しくなった」感じですね。
さらにもう1段階、「向こう側へいってしまう」というステージもございますが・・・w
とにかくスタミナがないとできませんw
だからでしょうか、天国系教会のご飯が充実しているような気がするのは。
Re: 目からウロコの瞬間 - ノンクリ
2009/06/21 (Sun) 22:36:59
*.dion.ne.jp
ん〜、まあ、「信仰」の度合いは人様々ですからね。私自身はあまり「熱い」ノリは苦手なんですが、それは、信仰云々より性格の問題でしょうね。
確かに一部の教会はスタミナがなければついていけ無さそうなノリです。
でも、やっぱり、「ジーザス、ジーザス」をあまりに連呼されると、政党を持つ某教団の「I先生、I先生」のそれとあんまり変わらないような、という感想を持ってしまいます。
2009/06/22 (Mon) 17:11:55
203.140.72.82
話がズレるかも知れませんが、大阪市北区に「J-house」というコミュニティがあるんですよ。
○○教会……といった名称じゃなくて、この「J-house」というのが集会の名前です。ここなんか、まだ行ってみたことはないですけど、ちょっと興味あります。
ここなんかいかにも、「ジーザス! おお、ジーザス!」と言うてそうですね。
そういえば、劇団四季の「ジーザス・クライスト・スーパー・スター」でも、イエスは常に「ジーザス」と呼ばれていましたね。
だから「イエス」じゃなくて「ジーザス」と呼ぶ文化も日本に根付きつつあるのかなと思ったりします。
http://www.jhouse.tv/
私たちなんかはちょっと感覚的についていけるかわからないですが、最近ではほとんど終末論カルトのような教会でも、着実に信者は増やしています。
こんな三十番地キリスト教会みたいなリベラルなところに出入りしている人は、メインラインから外れた人、ということにもなりかねませんよ。
このJ-houseか、あるいは大阪ハリストス正教会(大阪府吹田市)に朝参加して、昼からちょっと対談して、それから夕方早くから飲み始める、というオフ会計画を思いついたのですが、いかがでしょうか。オフ会の日程もまだはっきりしませんが。7月後半以降になります。
Re: 目からウロコの瞬間 - ノンクリ
2009/06/22 (Mon) 20:19:26
*.dion.ne.jp
>「ジーザス・クライスト・スーパー・スター」
これは名作ですね。音楽聴いてるだけでもいいな、って思いますよ。
>リベラルなところに出入りしている人は、メインラインから外れた人
うーん、これはどうでしょうね。今はアメリカが世界に影響を与える超大国で、キリスト教業界もアメリカのキリスト教情勢の影響を強く受けるので、ついそう思ってしまいますけど、そのトレンド発信地のアメリカっていうのは、キリスト教的にみても、かなり特殊な国のような気もしますけどね。
コリン・ジョイスさんといって英国フィナンシャル・タイムスの元日本特派員によれば、日本では英米なんて言い方があるように、英国とアメリカはごっちゃにされやすいけど、(英国人にとって)アメリカは日本以上に理解し難いところも多い、宗教に対する感覚もその一つ、といってましたね。
英国じゃ政治家がやたらと神、神と連呼しないし、信仰はあくまで個人のプライバシーに属すること、あんまり政治や公の場で神だの聖書だのを連呼すると「なんかヘンじゃね?こいつ」みたいに思われる、などなどと述べてました。要するに日本の一般人と大して感覚が変わらないみたいですね。
ネットでフランス在住の作家さんとその辺を話したことがあるんですが、(英国と)似たようなもの
らしいですし。
>J-house
みたいような怖いような。どっちにしても関西ですから、行けませんが・・。
Re: 目からウロコの瞬間 - 地の塩
2009/06/23 (Tue) 07:29:21
*.eonet.ne.jp
私の<目からウロコ>体験はカラマゾフ体験でした。だもんで、どうしても思考する信仰みたいに見えるのか「とにかく神様を信じて祈るのが信仰!」と固く信じておられる年配信者の方には私的信仰スタイルは気分が悪いようです。
祈りも、アーメンも静かにささやく私達に「アーメンはもっと大声で元気に!」ってハッパをかけられるんです。
相手がお年寄りだから辛抱してるけど、時々度を超した信仰スタイルの押しつけにはムカッときます。
まあ、信仰っていろいろですよねえ・・・
Re: 目からウロコの瞬間 - トマス
2009/06/28 (Sun) 01:26:56
*.aol.com
>アーメンは大声で
レスの流れをそらしてしまいますが、
祈りの姿勢、ってあると思うのです。礼拝の中で祈る時、うつむいて(頭を下げて)祈りますでしょ。あれは声が出ない姿勢ですよね。ホントは前を向いて、そしてむしろ正面よりも少し上を向いて「アーメン」と応答すると、自然に声が出て、唱和する感じになると思うのです。
うつむかせておいて、それでいて大声で元気になんて言っているとしたら、それって「出す大声」ですよね。そうじゃなくて、もっと自然に声になる姿勢でアーメンと言いたいな、なんてことをいつも思っています。
>ブレークスルー
賛美歌に関していえば、カラオケノリだったり、自分の大きな声に地震(違)持っていたり、そういうブレークスルーより何より周りを顧みずに歌っている人が確かに時々いますね。これけっこう困りもの。
もっとも、イナカの教会で出席者が10人居るか居ないかみたいなところになると大きな声でリードしてくれる人がいないとこれまた寂しさ感がただよってしまいますが。むつかしいところです。
ところで、キリスト教が賛美歌を歌うようになったのって最初の頃からなんでしょうかね。
だとしたら、最初の頃の歌って?
Re: 目からウロコの瞬間 - ぢょおう
2009/06/30 (Tue) 10:49:17
*.edu.tw
Jhouseは、ぢょの知る限りでは「若い人が集まるための場所」でございます。
設立されて数年経っていますので、ちょっとは落ち着いた雰囲気になっておられるのかもしれませんが・・・。
何より、あそこを「集団」と呼ぶことに新鮮味を覚えてしまいましたwww
ま、礼拝をパーティなんて言ってるあたり、型破り風であることには間違いございませんけれど。
個人的にはハリストスに興味がございますが、
なにせしばらく日本に戻りませんので・・・。
Re: 目からウロコの瞬間 - トマス
2009/07/02 (Thu) 23:13:35
*.aol.com
>礼拝をパーティなんて言ってるあたり
それってアメリカで一時期はやりませんでしたかね。はやる、ってのも変な言い方ですが。どっかに資料あったと思うんだけど、見あたりませんので確実なことが言えませんけど。
気になることば - トマス
2009/06/28 (Sun) 19:46:10
*.aol.com
いつものことながら、NHKのこのコーナー面白いです。
http://www.nhk.or.jp/a-room/kininaru/index.html
6月はいきなり1日が面白いかな。
何故仏教程キリスト教は - 迷える人
2009/06/28 (Sun) 13:17:43
*.bbtec.net
こんにちは
先日はご質問にお答え頂き有難うございます
私ばっかり投稿してしまいすみません
又質問なのですが何故仏教程キリスト教は日本人に馴染みが無のでしょうか?
きっとキリスト教の新興宗教などが有から皆警戒するのでしょうね
仏教の新興宗教は私がただ単に知らないだけかも知れませんが
確かに聞きませんものね
それとよく日本人は私は昔から仏教徒だからと決まった様に言いますよね
後キリスト教は外国の宗教だからとも
仏教もインドから伝えられてきたので外国では無いの?と疑問に感じています
きっと仏教は大昔から有ので日本の宗教という感じがするのでしょうね
私はそう思いますが何故仏教程キリスト教は日本人に馴染みが無のでしょうか?
Re: 何故仏教程キリスト教は - トマス
2009/06/28 (Sun) 19:28:50
*.aol.com
午後の集会を終えてひとやすみちゅう〜。
>仏教の新興宗教
それが実はけっこうたくさんあるそうです。名前を聞けば、へぇあれが?と思うものから、そんなん知らんわ、なものまで各種取りそろえて…。
>仏教も外国の宗教
その通りですよね。とはいえ、最初の伝来からは1000年以上経っておりますし、昔からという言い方は当たっている部分もあると思います。しかし、仏教に関しては、やはり鎌倉仏教という(キリスト教風に言えば信仰復興運動?)大きな変化・変容を経て、日本の宗教となった部分があるように思います。
2つの文化(この場合だと仏教と日本だったりキリスト教と日本だったり)が接触した場合にはかならず両方に変化が見られる。というのがアメリカ流の文化人類学の基本的な考え方です。術語で文化変容 aculturation と言います。(イギリス流の社会人類学ではちょっと違うかも。私は文化人類学しか知りませんのであしからず)
とすると、鎌倉仏教が大きな転換点であったとするのは人類学的にはわかりやすい。しかし日本のプロテスタントの場合は変容をかたくなに拒んでみたり、変容していることを認めようとしなかったり、どうも日本と距離を置きたがっているように(人類学の視点からは)見えます。
神学の立場から見て伝道を熱心にやっているということと、人類学や宗教学の視点から見てどう見えるかということにはかなりのギャップがあると思いますね。
ごめんなさい。
本題についてのレスになってないですね。
それはまたどなたかに…。
Re: 何故仏教程キリスト教は - ぢょおう
2009/06/30 (Tue) 11:20:54
*.edu.tw
迷える人さま、初めまして。
ネットキャラだけがお上品モードのぢょおうでございます♪
仏教が日本のもの、的なイメージがあるのは、
「日本と日本人に馴染んだスタイルになっているから」だろうと思っております。
で、キリスト教は馴染んでいないような気がするのは、
長らく焼き魚と漬け物を食べていた人に、
いきなりハンバーガーとフライドポテトを食べさせようとしたからかもしれません。
今では珍しい食べものではございませんが、
朝からいきなり朝マックはしんどいことが多かったりするわけで。
仏教みたいに、1000年経てばもっと馴染んだ形にアレンジされてたり、
日本人の舌が慣れていったりするのでございましょう。
例えば・・・肉じゃが?
初めまして - 迷える人
2009/06/24 (Wed) 19:13:51
*.bbtec.net
初めまして
このホームページは以前から拝見しておりQ&Aはとても良いと思っています
後ここの掲示板は沢山の方の書き込みが有とてもにぎやかで良いですね
さて疑問に思っていたんですけど家族の中に一人だけクリスチャンの人が居るとしてもしその方が先に亡くなったら墓はキリスト教の墓ですよね
もしキリスト教では墓といわなかったら申し訳ありません
そしてその残された家族のノンクリスチャンの方が亡くなったら葬式とかは仏教式ですよね
そして先に亡くなったクリスチャンの方のお墓に入るのですよね
仏教式で葬られたノンクリスチャンの方やノンクリスチャンの方がクリスチャンのお墓に入るのやその後同じ墓で今後仏教式キリスト胸式の葬儀等やるのは可能なのでしょうか?
私は神様は信じていますよ
牧師様そして皆さんご存知の方いらっしゃいましたらご回答宜しくお願い致します
ひょっとしたら又こういう質問を書き込みするかも知れませんが まだ解りませんが 宜しいですか?
後皆さんの書き込みにも参加させて頂く事も有るかも知れませんが まだそれも未定ですが その時は宜しくお願い致します
2009/06/25 (Thu) 01:58:47
*.infoweb.ne.jp
迷える人さん、初めまして。ようこそいらっしゃいました。
ちょっと今日はもう遅いので、さすがに明日の仕事にさしさわるので、休ませてください。本題については、また改めて。でも、トマスさんのほうが詳しいかもしれませんよ(とフル)。
質問、書き込み、大歓迎です。どうぞこの談話室のメンバーになってください。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
Re: 初めまして - トマス
2009/06/25 (Thu) 18:06:28
*.aol.com
呼び出しを頂きましたようで(笑)
いや、私もそんなに詳しいわけではないのですが。
迷える人さん、はじめまして。どうぞよろしくです。
さて、
>墓
特にこだわりの呼び方をもつ教派もあるかもしれませんが、と言いつつ寡聞にして知りません。
墓でいいと思います。普通名詞ですしね。
それでと、
墓そのものについてはキリスト教の墓とか仏教の墓とか、あまり考えなくても良いと思います。ただ、確かにそこに入っている御家族がキリスト教だったのか仏教だったのか(他にもあると思いますがとりあえず省略)によってお坊さんを呼ぶのか牧師や司祭を呼ぶのか、気になりますよね。
そのあたりのこだわり方はキリスト教でも教派によって全然違いますので、一言では言えません。
特にプロテスタントは幅があります。
カトリックはその点では柔軟です。しかも、信徒向けにカトリックの基本的な考えを示した『手引き』が(なんと)100円玉2枚でお釣りが来る値段で販売されています。
その手引きによれば…
家族全部が信徒であるならば、できればカトリックの墓苑に墓を移しましょう。でもそれが難しいならばお寺の墓地でもかまいません。
家族の中でひとりだけがカトリックの場合、お寺の墓地にある家族の墓に入ることは「カトリック側では差し支えありません」命日やお盆にお坊さんの読経があってもかまわないそうです。以下、同様。
結局のところ、親戚一同や場合によっては石屋さんとかの気持ちや信心を大切にしつつ、同時にカトリックとして守りたいラインも大切に。というのが基本的なスタンスです。つまりは相互に尊重ですね。
プロテスタントの方は、カトリックに近いスタンスのグループもあれば、自分たちのキリスト教的な方法にこだわるところもあれば、「先祖祭祀は偶像崇拝です」と断言する教派もあれば、ま、様々です。
こんなんで何か参考になりますでしょうか。
法事というか記念会というか、その辺も要ります?
牧師様 トマスさんへ★ - 迷える人
2009/06/26 (Fri) 18:12:51
*.bbtec.net
私の為にご質問にお答え頂き有難うございます
牧師様へ☆ 牧師様質問疑問OKと承諾して頂き誠に有難うございます
牧師様はきっととてもユニークな牧師様でノンクリスチャンの方とも気さくに話してそうというイメージが私には有りますよ
私そういう牧師様大好きですよ
牧師様は平日は学校の先生(校長)をしていらっしゃるのですか?
では毎日大変ですね
これから私の日常生活等も書いて宜しいですか?
トマスさんへ★ ご回答有難うございます法事や記念会等は調べて頂かなくても良いですよ(*^_^*)
トマスさんは神学校を出ていらしゃるのですか?
だって牧師様から推薦される程ですもの
牧師様トマスさんご質問にお答え頂けたら嬉しいです
では次の書き込みがまだいつか未定ですが宜しくで〜す☆
2009/06/27 (Sat) 01:56:26
*.gyao.ne.jp
トマスさん、
横レスすみません
>しかも、信徒向けにカトリックの基本的な考えを示した『手引き』が(なんと)100円玉2枚で
>お釣りが来る値段で販売されています。
それ、何ですか?題名とか教えてほしいです!
実は、2週間前からカトリックのバイブルスタディに行ってます。
2009/06/27 (Sat) 10:48:34
*.infoweb.ne.jp
トマスさん
ありがとうございます。とてもわかりやすい解説でした。
トマスさんは、このウェブ教会の協力牧師ですが、オフラインではどういう勉強をしてこられたのでしょうか? 私も興味あります(笑)。
迷える人さん
私は校長ではありません!! キリスト教学校の宗教主任で、聖書科の教諭です。日本キリスト教団の牧師の資格は持っています。
日曜日も仕事が入ってることがよくあります。明日はオープンキャンパスで、小学生やその家族の方がどどどどと学校に来られます。そのなかで、聖日礼拝を行う予定です。
日常生活の書き込みなんですが、ご自分でプライバシーが守れる程度だと判断した程度にしてくださいね。
Re: 初めまして - トマス
2009/06/28 (Sun) 01:12:33
*.aol.com
明日のメッセージがなかなかできあがらず休憩中…。
すでに眠たい(ぉぃ)
カトリックとしては何をしたいのか、を書き忘れていますね。また明日にでも。質問をいっぱいいただきましたのもまた次回と言うことで。
富田先生
オープンキャンパスお疲れ様です。オープンキャンパスの中で聖日礼拝するってやりにくいのでは?よい礼拝になりますように。
2009/06/06 (Sat) 00:05:05
*.infoweb.ne.jp
第2談話室で話題になっていた聖書研究および説教研究を、早速こちらで実施してみましょう。
まず第1回は、ルカ16:1〜13、「不正な管理人」のたとえです。
以下、新共同訳聖書本文です。
1 イエス は 、弟子 たち に も 次 の よう に 言わ れ た 。「ある 金持ち に 一 人 の 管理人 が い た 。この 男 が 主人 の 財産 を 無駄遣い し て いる と 、告げ口 を する 者 が あっ た
2 そこで 、主人 は 彼 を 呼びつけ て 言っ た 。『お前 に ついて 聞い て いる こと が ある が 、どう な の か 。会計 の 報告 を 出し なさい 。もう 管理 を 任せ て おく わけ に は いか ない
3 管理人 は 考え た 。『どう しよ う か 。主人 は わたし から 管理 の 仕事 を 取り上げよ う と し て いる 。土 を 掘る 力 も ない し 、物乞い を する の も 恥ずかしい
4 そう だ 。こう しよ う 。管理 の 仕事 を やめ させ られ て も 、自分 を 家 に 迎え て くれる よう な 者 たち を 作れ ば いい の だ
5 そこで 、管理人 は 主人 に 借り の ある 者 を 一 人 一 人 呼ん で 、まず 最初 の 人 に 、『わたし の 主人 に いくら 借り が ある の か 』と 言っ た
6 『油 百 バトス 』と 言う と 、管理人 は 言っ た 。『これ が あなた の 証文 だ 。急い で 、腰 を 掛け て 、五十 バトス と 書き直し なさい
7 また 別 の 人 に は 、『あなた は 、いくら 借り が ある の か 』と 言っ た 。『小麦 百 コロス 』と 言う と 、管理人 は 言っ た 。『これ が あなた の 証文 だ 。八十 コロス と 書き直し なさい
8 主人 は 、この 不正 な 管理人 の 抜け目 の ない やり方 を ほめ た 。この 世 の 子 ら は 、自分 の 仲間 に 対して 、光 の 子 ら より も 賢く ふるまっ て いる
9 そこで 、わたし は 言っ て おく が 、不正 に まみれ た 富 で 友達 を 作り なさい 。そう し て おけ ば 、金 が なくなっ た とき 、あなた がた は 永遠 の 住まい に 迎え入れ て もらえる
10 ごく 小さな 事 に 忠実 な 者 は 、大きな 事 に も 忠実 で ある 。ごく 小さな 事 に 不忠実 な 者 は 、大きな 事 に も 不忠実 で ある
11 だから 、不正 に まみれ た 富 に ついて 忠実 で なけれ ば 、だれ が あなた がた に 本当に 価値 ある もの を 任せる だろ う か
12 また 、他人 の もの に ついて 忠実 で なけれ ば 、だれ が あなた がた の もの を 与え て くれる だろ う か
13 どんな 召し使い も 二 人 の 主人 に 仕える こと は でき ない 。一方 を 憎ん で 他方 を 愛 する か 、一方 に 親しん で 他方 を 軽 ん じ る か 、どちら か で ある 。あなた がた は 、神 と 富 と に 仕える こと は でき ない 。
いかがでしょうか。どなたからでもご自由に解釈してみてください。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 毛利
2009/06/06 (Sat) 01:12:14
*.ocn.ne.jp
普通に読めば「不正なことをした管理人は偉い。だから不正な方法で友達を作りなさい(そうすれば将来的にも困ることがない)」と、不正行為を奨励しておきながら、「小さな事に不忠実な人は大きな事でも不忠実だから駄目です」と我に返ってまともなことを言い出して、でも最初に言ったことを再び思い出したのか「一生懸命不正をした人にこそ本当の価値が与えられる」と言い出している。そして、最後は宗教家らしく「神と富の両方に仕えることはできない」ではぐらかしている。
何かイエスが不正なことをして(弟子達が管理していた金をごまかしたとか)、誰かに咎められて、とっさに考えた言い訳を言っている、といったところでしょうか。
普通に読んだら、そうなると思うんですよね、ここって。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - トマス
2009/06/06 (Sat) 15:43:27
*.aol.com
早速ありがとうございます。
関西にいる時に教会の人から聞かれて一応のことは答えたものの自分でもイマイチ納得いって無いというか、ピンときていないというか、謎の多い箇所です。
ルカの方を見ていても書いてありませんが、マタイの6:24を見るとこの如何にも取って付けたような13節には平行本文があることが判ります。
で、12節までを一区切りとして読んでもやっぱり難解なのですねぇ。
ツッコミどころは他にもあるのですが、まずはそういうことで。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - ノンクリ
2009/06/06 (Sat) 20:41:46
*.dion.ne.jp
あまり難しいことはわかりませんけど、こういうイエスの言動を読んでいつも思うのは、彼は現代でいうところの共産主義者、左翼なのかなぁ?ってことですね。
いろいろ異論はあるでしょうが、思うに共産主義もキリスト教も水と油のようで良い点、悪い点ひっくるめて似てるよなぁ、というのが私の持論でして。具体的には
・ともに、既存の社会秩序の矛盾への疑問、弱肉強食への反対、弱者救済の精神などからスタートしていること。
・ともに本来は民族、人種を問わないインターナショナルな思想であること
・ともに、少数派である間は激しい弾圧を受けたこと
・ともに、いざ天下を握ると、かつて自分たちが受けた以上の弾圧を反対者に加え、言論、思想の自由を抑圧、腐敗していった歴史をもつ。
・ともに、外部の敵対者との争い以上に内輪もめ、分派争いによる犠牲者が多いこと
などなど、ほとんど双子の関係、といってもいいんじゃないかと思います。どちらも、「聖書」、「資本論」という聖典があるし、進化、進歩の果てにやってくる「神の国」「共産主義社会」がどのような理想社会であるか、具体的なことは何もいっていない(と私には思える)ことも共通してますね。
>10 ごく 小さな 事 に 忠実 な 者 は 、大きな 事 に も 忠実 で ある 。ごく 小さな 事 に 不忠実 な 者 は 、大きな 事 に も 不忠実 で ある
11 だから 、不正 に まみれ た 富 に ついて 忠実 で なけれ ば 、だれ が あなた がた に 本当に 価値 ある もの を 任せる だろ う か
この辺りのセリフで思いだしたのは、ゴルゴ13ことデューク東郷の「どのような金だろうが、金は金だ、本質に変りはない」というセリフと請け負った依頼、契約はたとえ依頼主が死亡しようがやり遂げる、仕事に対する姿勢、ですね。
うーん、話がずれまくってるかな?すいません・・。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - がん子
2009/06/06 (Sat) 22:51:59
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あらためて聖書を読んでいます。
今夜読んでるのは本多哲郎訳ですが、腑に落ちるには時間がかかりそうです。
>いろいろ異論はあるでしょうが、思うに共産主義もキリスト教も水と油のようで良い点、悪い点ひっくるめて似てるよなぁ、というのが私の持論でして。
「行為」として似ているところがあると思い、革命を目指す社会主義者の方々と勉強会をしています。
感覚的なことしか言えませんが、「根っこ」で違う、そう感じています。拠り所が違うのかな・・・。
この箇所、いろんな方法で感じてみたいと思っています。このような場を設けていただいてありがとうございます。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - ノンクリ
2009/06/07 (Sun) 14:03:29
*.dion.ne.jp
ただ、日本はともかく、欧米のキリスト教会は政治的には「保守」だったり「反共」のところが多いですよね、良し悪しは別にして。
アメリカの「宗教右派」は有名だし、カトリック教会にしても1978年、冷戦の最中にポーランド出身のカロル・ヴォワチエ氏を教皇ヨハネ・パウロ2世として選出したのは、当時の東側共産諸国への当てつけというか挑戦以外何ものでもないし・・。
1950年代にソビエトのガガーリン少佐が人類初の宇宙飛行に成功しますが、日本で有名なのは「地球は青かった」というセリフですが、キリスト教国家のアメリカ人にとって有名かつカチンときたセリフは「いくら周りを見渡しても神なるものはいなかった」で、その後、アメリカは無神論国家ソ連を追い越すべく猛烈な勢いで宇宙開発に取り組むことになり、結果として有人月面着陸に成功するわけで、そういう意味では月面着陸は「キリスト教のおかげ」といえなくもない、のかな?(立花隆氏著「宇宙からの帰還」)
すみません、また、話そらしてしまいました。皆さん、構わずスレを進めて下さいね。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - hotaro
2009/06/08 (Mon) 09:04:48
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借金をチャラにする、というのは、旧約聖書のヨベルの年、というのもあるし、日本にも徳政令というのが、中世からあったようです。貧しい人々は、生きていくために借金をせざるをえないし、返せなくなれば奴隷に売られてしまう、という現実もあります。この話しに出てくる主人のように更なる蓄財のために人を傭えるような金持ちなら、その余っている金をちょろまかされたって、痛くもかゆくもないじゃないか、とイエスは思っているんじゃないでしょうか。「借りた金は返さないといけない」とか、不正をはたらいて得た金、とか、その金を性格づけよう、ということは、このテキストのイエスの言葉からは、あまり感じられません。それより、手段はどうであれ、人が世の中で生きていく上で重要なことは、愛と信頼関係という交わりの中で生きていく、ということが、金で買うことなどできない至上のものであるから、その事のために金を使う、ということが、ダーティーな金のもっとも賢い使い方なのである、という逆説的なイエスのユーモアのように感じられました。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 地の塩
2009/06/09 (Tue) 07:16:35
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牧師様、初回からこりゃまた難題を・・・う〜ん
この世にはこの世の処世の術があり(富を基軸とした)、主によりて始まり今そこに来ている神の国には福音を基軸とした更新された生き方がありますよ。とイエスは言っておられるのでしょうか?
不正な管理人のせこいけれど保身に走る有り様をイエスはパリサイ人に対するほどには激高して裁断されていないみたい。
この世で生き凌ぐために悪知恵を駆使する人間の肉の弱さをからかい口調でヨイショした後に、ところで神には別の仕え方がありますよと説かれるあたりにイエスの神髄を見ます。
だけど、この世も今や恩を売ったからと言って必ず恩返しがあるなんて、当てに出来ませんよねえ・・・
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - トマス
2009/06/10 (Wed) 23:10:14
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教科書的に解釈すれば、小さなことは地上のことで、大きなことは天国のこと。地上のことに忠実な人は天国のことにも忠実。逆に言えば、不正な富にすら忠実でないヤツは天に積む宝に忠実とは思えない。(天に積む宝というのはマタイ的表現なのでちょっと違うかもしれませんが)
となるのでしょうけど、これはちょっと護教的すぎる?さてどうなんでしょう?
>逆説的なイエスのユーモア
そういう見方もあるのですね。私は皮肉屋イエスの本領発揮か?と読んでしまいました。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - トマス
2009/06/17 (Wed) 19:03:17
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なんか最初から難しすぎるのをリクエストしてしまいましたかねぇ。
もう1回上に上げておきますね。
でもって、教科書的なことを書けば、100コロスを80コロスに書き換えるのは、当時は律法の規定により利子を付けてはいけないことになっていたので、証文を書く段階で利子の分を上乗せした証文を書いたのではないか、という注解を読んだことがあります。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 牧師 Home
2009/06/18 (Thu) 23:46:50
*.infoweb.ne.jp
私は、どこからどこまでがオリジナルに近い伝承で、どこからがルカの付加なのか、ということに着目してみました。
とりあえずいくつかの日本語を当たってみると、翻訳者によって解釈が違うことに気付きました。
たとえば新共同訳の注解者(教団出版局刊行のもの)は、1から9節までがひとまとまりの単位であるとしています。つまり、イエスの「不正にまみれた富で……」までをより古い伝承に属すると考えるわけです。
1〜9節が大本の伝承、10〜12節がルカの付加、13節は更に別の資料からで、これはマタイとの共通するQ資料由来のものと考えています。
しかし、こういう意見は少数派で、たとえば、岩波訳は8節までと9節からを区切っています。つまり、8節までのたとえ話と、9節のイエスの言葉を別のものとして、そのかわり9から13節をひとまとまりにしています。
これはたぶん、原語では「マモン」=「富」という言葉が多用されていることからひとまとまりにしたのではないでしょうか。
他にもバルバロ訳では、やはり8節と9節の間を改行しています。
9節から12節までがひとまとまり。13節はさらに改行されています。
新改訳でも8節までと9節からを区切りと考えているようです。
ギリシア語原典では、8節と9節の間は、すかっと間が空けてあって、9節の最初の単語「カイ」=「そして/そこで/また」は頭文字が大文字です。しかし、その次の9節と10節の間も改行してあります。解釈の多様性を認めていますね。10〜12節がひとまとまりで、13節は独立してます。
この13節ですが「神と富に仕えることはできない」というのは、マタイにもありますね。だからこれはQからやってきたやつ、ということで今回考慮からとりあえず外しておきましょう。
原典を見ると、9節の「不正にまみれた富」は「不正なマモン」です。そして11節の「不正にまみれた富」も「不正なマモン」としか日本語では言いようが無いのですが、実はちょっと文法的には違う表現です。
うーん、英語に置き換えて言うなら、9節のが“wealth of dishonesty”だとしたら、10節のは“dishonest wealth”なんです。まあでも、私の手元にあるNRSVでは、どっちも“dishonest wealth”になってますが、原典では違っています。……というか、9節のほうはどちらの写本もあるんだそうです。ですから、9節と10節がひと続きであるかどうかは、どちらも可能性があると考えられるのではないかな、と。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 牧師 Home
2009/06/18 (Thu) 23:47:25
*.infoweb.ne.jp
どうであれ、10節は言葉遊びの要素が見られます。
日本語ではこの感覚が完全に破壊されていますが、「不正にまみれた」も「不忠実な」も同じ単語(アディコス)です。また、「忠実な」(ピストス)と「任せる」(ピストゥーオー)も同じ語根を持ちます。このピストスは「信仰している」意味も含みますし、ピステウーオーは「信仰する」という意味も含みます。
こんな感じです。
9節の「アディコスなマモンで友達を作りなさい」を受けて……
10節
「小さな事にピストスな者は、大きな事にもピストスである」
「小さな事にアディコスな者は、大きな事にもアディコスである」
11節
「アディコスなマモンにピストスでなければ、誰があなたがたに本当に価値ある事をピストゥーオーするだろうか」
12節
「他人の物についてピストスでなければ、誰があなたがたの物を与えてくれるだろうか」
アディコスなマモンというのは「不正にまみれた富」と訳されていますが、要するにこの世で私たちが稼いだり、金持ちがためこんだりする財産のことだという注解があります。
だとすれば、アディコスなマモンにピストスな人物というのは、結局この世の仕事を大事にする人だということになります。
では同じように9節も読んでみると、「不正にまみれた富で友達を作りなさい」これはわかります。この世で流通している世俗的なお金を使って、友達づくりをしなさい、と。
難解なのはこの次ですね。「そうしておけば、金がなくなった時、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる」。
ひょっとしたら、これは「金持ちの青年」や「ザアカイ」のエピソードのように、持っているものを、自分よりも小さくされた者、弱い立場の者(この主人に借金をしている人たちのように)に施せということを言っているのではないでしょうか。
100バトスを50バトスにし、100コロスを80コロスに書き換えさせるのは、自分のもうける利ざやを放棄したと考える注解があります。つまり、彼は自分のもうけを放棄して、この債務者たちに尽くすことになります。
そういうことをした人間が、最終的に「金がなくなったとき」、あるいはこれをこの管理人の一生の終わりと解釈する向きもあるようですが、天の国に迎えられるのさ、というお話なのかもしれません。
ただ、そうなると、非常に物わかりのいいすっきりとした言葉に見えてくるので、やはり、この9節は、8節までのたとえ話とは別物なのか、という気がしてきます。
ずいぶん長々と書いてきました。考えながら、ぶつぶつ言いながら書いているので長くなってしまいました。
申し訳ありません。ここまで読んでくださった、あなた。本当にありがとうございます。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 牧師 Home
2009/06/20 (Sat) 10:07:29
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いや、ほんとに長々と申し訳ありませんでした。
提案ですが、この研究コーナーでのテーマは、毎月1日前後に提示し、1ヶ月程度で締め切って、サイトのなかのあるコーナーに残しておくというのはどうでしょうか?
略して「みんたた」です。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - トマス
2009/06/20 (Sat) 15:09:16
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富田先生の書き込みを見て、80コロスと100コロスを巡る私の書き込みが非常に不親切なことに気が付きました(笑)明後日ぐらいにまたもう少し詳しく書き込みしますね。
今週は今日も!!朝から出張。明日の準備は今からです。
>提案
いいですね。サーバの容量に問題ないのでしたらよろしくです。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 牧師 Home
2009/06/20 (Sat) 20:26:32
*.infoweb.ne.jp
>トマスさん
詳しい注解、よろしくお願いします。ただし、6月末が〆切りですからね、一応。
それから、他の聖書箇所のリクエストがありましたら、みなさんも遠慮なく出してくださいね。
この「不正な管理人」のたとえですが、実は一度説教に使った事がありました。お恥ずかしい。「礼拝堂」のコーナーでウップ……じゃなかったアップしてますので、そちらのほうを叩いていただいてもいいですよ。ご意見をこのスレッドのほうに書いてください。
>サーバの容量
全く問題ありません。テキストデータだけですからね。ほとんど食いません。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - トマス
2009/06/23 (Tue) 22:18:40
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この話を読んでいて思うのですけど、やはり当時の社会の状況というか、ディテールが今とは随分と違うな、と。それを考えずに読んでも得るところのある話ですが、一方、それを考えずに読むことで意味不明になったり、考えて読んだら余計に判らなくなったり。
で、100コロスと80コロスですよね。
もう少しちゃんと書くとですね、律法の規定では「利子を付けて金を貸してはならない」となっています(出エジプト22、申命記23など)。
でも裏道を考えるのが人間というもので、イエスの時代には、80コロスを借りたら100コロスと証文を書いて100コロスを返したらしい、と言われています。
となると彼のやったことはつまり利子の帳消し。律法の本来からするとよいことをしたのかもしれない。
現代人の感覚で読むと100コロスを借りたのに80コロスに書き換えた、と思ってしまうのだけど、この譬え話の場合はそうではないようです。そして、100コロスを本当に借りていて80と書き換えたのならば、今風に言えば、業務上横領になると思うのだけど、ハナから80コロスしか借りていないのならば、横領でもない。
私も含めて、ついついこの物語を「不正な管理人」と呼んでしまうのですが、彼の何がどう不正なのか?実はこれもじっくり考える必要があるかもしれません。
まぁ、律法のココロに沿ったことをしたからイエスがほめた、とは思えないですが(苦笑)
コロスという単位についても一言ありますが、また後日。
追記
最初のところで無駄遣いをしている、と怒られているわけですから、不誠実な管理人には違いないと思うのですが、さて何が不正なんでしょうね。ついつい現代的に100コロス借りているのに80コロスと書き換えたと思うから?
ま、利子の帳消しが(当時)どれぐらい犯罪的な行為であったのか、というのもホントはちゃんと検証しないといけないのでしょうけど。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - がん子
2009/06/23 (Tue) 23:14:23
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「みんたた」いいですね(^−^)
何も意見できずにいますが、「へえぇ・・」という感じで読んでいます。
勉強になる、というのとは違うのですが・・・多くの視点から見ることができて助かります。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - がん子
2009/06/24 (Wed) 07:17:44
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あわわ・・・
>勉強になる、というのとは違うのですが・・
↑勉強になるんです!でもそれだけじゃないという意味で書きました。朝見て青くなりました(>_<)
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 地の塩
2009/06/24 (Wed) 09:50:13
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「みんたた」楽しみにしています。
今感覚で読めば謎めいて、古代人になったつもりで文献研究的に読んでもこらまた迷路に迷い込んで・・・みたいな感じですね。
教会の有志と「みんたた」っぽい聖書勉強会してますが、「そら、ここは一丁古代人になって!」なんて笑いあっています。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - トマス
2009/06/24 (Wed) 15:03:15
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>100コロス
さてこのコロスという単位ですが、とりあえず岩波訳の注では「393リットルか525リットルと言われる」とあります。
でもって、口語訳では麦百石と書いてあるのですね。江戸時代の米麦1石は100升、おおむね180リットル、重さにして約150キロ。倍以上違うやないか。なのですが、まぁそれはいいとして、もうちょっと違うことが気になりました。
口語訳が翻訳された時代は今から50年以上昔ですから、麦百石といわれると、それを具体的にイメージできる人が多かったのでしょうね。つまり麦百石といえば、どれぐらいのカサになり、値段がいくらぐらいで、どれぐらいの畑が必要で、労働力もこれぐらい必要になる。それがイメージできた。その意味で、リットルに換算した時に倍ほども違うのは問題ではあるけども、イエスが実際に語りかけたのも農民であるならば、日本語としては百石でよかったんだろうと思うのです。二百石でもよかったかもしれないけど。
一方の現代訳では、岩波訳はともかく、新共同訳でも100コロスになっているというのは、原表記を大切にしたということだけでなく、今では本当に農業に携わっている人以外は百石といわれてもわからんやろ、という判断があるような気がします。
もっとも、500リットルといわれてもイマイチわからないのが現代の都市住民かもしれません。500として、100コロスといえば、10トントラック5台分ですよね。そこまではわかるんだけど…。
ついでながら、時代劇を見ていますと下級武士の石高が(だんだん地位が下がると)途中で石から俵にかわりますけど、あれはおおむね3俵が1石です。俵になるとまるまる給与されたと思いますから、30俵取りと25石取りで実収は同じぐらいでしょうか。
200石ですが、4万石程度の小藩なら200石取りといえば中堅どころですね。200石の実収とすれば、知行地は500石。となるともう家老職に手が届く上級家臣です。50万石の藩なら600石ぐらいまでは中堅で上級は1000石ぐらいからでしょうか。旗本でいえば江戸末期の南町奉行として有名な遠山金四郎がたしか500石取りですから実収200石。(四公六民で計算してます)
もひとつついでに、江戸時代末期の米1石ですが、賃金水準を元に換算すると現代では約27万円(磯田道史の試算による)だそうです。
以上、横道にそれました。失礼いたしました。
ま、ネタとして。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 牧師 Home
2009/06/25 (Thu) 01:53:44
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いやいや、面白いですよ、トマスさん。ぼくも口語訳を読んでいて、100石と書いてあるのを見て、正確な訳ではないでしょうけど、その言語感覚がいいなあと思っていたのです。
ここで、さらに叩く材料として、昨年横浜でやった説教の抜粋を貼付けたいとおもいます。コロスとかバトスの度量衡については、参考資料が違うのでトマスさんと食い違いますが、まあそこは目をつぶってもらって、解釈そのものについて、「たたいて」いただければありがたいです。批判・異論OKです。(冷や汗)
(↓では、ここから)
***********************
本日お読みしました聖書の箇所、ルカによる福音書16章1節以降の「不正な管理人」のたとえ話です。
あるお金持ちのご主人に、何人かの人たちが大量の油や小麦を借りていて、それを返さないといけないのですが、返せずにいるところを、この主人に雇われている管理人が、証文を改ざんして、借りを軽くしてやる、というお話です。
物語のなかには、「油100バトス」とか「小麦100コロス」という単位が出てきます。1バトスは約23リッターという説もあれば40リッターにあたるとも言われます。仮に23リッターとしても、100バトスだと2300リッターになります。油、これはオリーブ油のことでしょうが、およそ2トン近くになりますから、結構な量です。これがある借財人の負債です。また、1コロスというのはおよそ200リッターから500リッター近くまで説が分かれています。少なく見ても100コロスは20キロリッターですから、確実に20トン以上はあるわけです。これも結構な量です。こういう負債を抱えている人たちがいたということです。
私には、この負債を抱えた人びとが、神からこの世の人生を与えられて生きている人間たちに思えるのです。その負債は、本人たちにとって、返すあてもない借り物です。それを活用して新たな商売を展開しているかというと、そういう様子でもなさそうです。あるいは商売をしたかもしれませんが、その結果として、100バトス、あるいは100コロスという負債が残っているわけです。
この物語に出て来る管理人は、主人の財産を無駄遣いしている、と何者かに告げ口をされます。そのため、主人はこの管理人に「会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない」(ルカによる福音書16章7節)と申し渡します。この管理人の男も、主人から任されている財産を有効に活用することなく、無駄遣いをしていることを指摘されて、それを否定もせず、管理人の職を取り上げられたらどうしよう、と考えます。この男も与えられたタラントンを無駄にしている一人です。出来の悪い僕です。無駄遣いをしていたというのですから、タラントンを地下に埋める方がまだましです。
この管理人は考えました。「管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ」(4節)。そこで、彼は主人に借りのある人びとに、その負債を軽くしてやろうとします。
この話はあくまで、たとえ話ですね。現実的にはちょっとあり得ない話です。金持ちに雇われた管理人がやってきて、「借用証を書き換えてあげるから、私がクビになったら私を家に迎えてくれ」と言っても、そこまでのお人好しはいないだろうと思われるからです。
また、主人の財産を無駄遣いしたりしているのに、それに加えて借用証を勝手に書き換えるなどして、更に主人に損害を与えておきながら、それをほめられるというのも、変な話です。
しかし、「皆いくほどかは、神さまからいろんな重荷を課せられて生きているではないか」という観点から見ると、この管理人がやったことは、一人一人各々の人生の負担を軽くしてやるということだったのかな、とも思えるのです。
人間の社会のなかで、人の重荷を軽くしてあげる事のできる人は、たいへん貴重な存在だと思います。オリーブ油を100バトス借りている人も、小麦を100コロス借りている人も、問題だらけ、重荷だらけの人生を抱えている人のことをたとえていると考えることができます。そのような重荷を軽くしてやるために管理人は立ち回るのです。
ここには、タラントンのたとえと比べて、出来の悪い人ばかりが登場しています。主人の財産を無駄遣いする管理人、大量の借りを抱えながらもそれを返すあてもない債務者たち。しかし、そんな問題だらけの人生を抱えた人間たちが、少しでも楽になるように、そして少しでも自分の身柄を守るために、浅知恵を働かせるという物語です。
そんな管理人のめちゃくちゃなやり方を見て、金持ちの主人はそれをほめたといいます。苦笑しながら皮肉まじりにほめたのかも知れません。いずれにせよ、弱い立場にいる人たちが、なけなしの知恵をしぼって生き残ろうとする姿を見て、その生き様を主人も認めざるを得ないだろう、というたとえ話なのです。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 牧師 Home
2009/06/25 (Thu) 01:54:45
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(↓続きです。長くなってすいません)
私たちのなかで、自分から生まれたいと思って生まれた者は一人もいません。みな気付いてみたら、この世に生まれていたわけです。
そして、私たちが生まれながらに与えられたもの、あるいは日々の偶然のなかに出会う事のなかには、重荷に感じることも不条理に感じることもあります。
タラントンのたとえでは、人間が神さまからいただいているのは、基本的に良いものなんだよ、という楽観主義が目立ちます。しかし、この不正な管理人のたとえでは、人生そんなに楽じゃないよ、という、幾分か冷めた現実主義が表れています。そして、多少ずるいやり方であったとしても、お互いの重荷を軽くし合うような生き方があってもいいだろう、「なんでもかんでもクソ真面目にやればいいってもんじゃないって、助け合いが大事だよ、それくらい神さまだってわかってくれらーな」といった、ちょっとスレた感じが漂うのです。
しかし、それは、苦労が報われることの少ない貧しい庶民に、ざっくばらんに優しい言葉をかけていったイエスのイメージには合うような気がします。苦しい生活の中で、イエスが笑いながら、こんなたとえ話をして、「こんな風にみんなの借りが楽になればいいのにな」と言ってくれたなら、庶民としてはうれしかったのではないでしょうか。まあこれも、一種の楽観主義といえば楽観主義かもしれません。
私たちの人生は問題だらけです。しかし、何が何でも正面からぶつからないといけないということはありません。いろんな方法を使って、重荷から逃げてみる、というのもひとつの生き方です。また、もっと楽に生きてゆこうよ、と人に勧めるのも時にはいいことだと思います。
そんな、肩の力の抜けた生き方も、聖書から読み取る事ができるのではないかと思います。「もっと楽に生きてもいいんだよ」と、今日の聖書の箇所は私たちに語りかけてくれているのです。
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こんな感じです。はい、叩いてください。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 地の塩
2009/06/25 (Thu) 06:37:04
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牧師さん
この世の庇護と神の庇護、と考えてみると、う〜んかなり胸に落ちます。
背負いきれない負債に呻吟する民に対して「それでも借りたものは返せ!」とイエスは言わないですよね。神様のものを不正に取り扱ってもこの世の庇護に一縷の望み、明日まで命を長らえる望みを託さざるを得ぬ民。これって自分のことだなあと思います。そんなショボくさい私をも苦笑いしながら許されるイエス。
これは斜に構え、苦笑を誘う、絶妙の神義論と読めなくもないという気がしてきました。
Re: みんなでたたこう聖書研究コーナー(1) - 牧師 Home
2009/06/25 (Thu) 23:51:28
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地の塩さん、ありがとうございます。
さて、上の文は説教の後ろ約3分の1で、これで終わっているのです。……がっ、この説教を語った教会で、礼拝後、教会員のみなさんと和やかにおにぎりなんか食べていると、
「先生、あのお説教は途中で終わっていますよね!」と指摘してくださった方がおられました。
つまり、この説教は8節までしか解釈していない。9〜13節の部分をまだ私たちは講解してもらってない、というわけです。
あちゃー! そのとおりでした。礼拝の聖書箇所を伝えるときに、8節で切っときゃよかったなあ……と思っても後の祭です。
それ以来、若干慎重になりました。
2009/06/20 (Sat) 21:55:54
*.2iij.net
「生きる意味」ですね。
この数年間、生きる意味を模索していました。「こんなにつらいのに、なんで生きているんだろう」と、生きているのが現実なので、なんとか、意味を見出そうと思い、いろいろさまよっていました。
が、ふと、そんなに必死に意味を探さなくてもいいかな、と思いました。意味がなくても生きているから。仏教的に言うと、生きる意味を見出そうとすることが執着につながるらしいです。
その文章を見つけて、「ああ〜、私は生きたかったんだな」と思いました。
ま、いろいろありましたが、手放すことは大事ですね。自助グループの教えにもありました。
生きる意味を見出すことをやめたからといって自暴自棄になっているわけではありません。文章では表現しにくいのですが、「すっきり」って言う感じですね。
私には明確な「私の生きる意味」は見えませんが、毎日は楽しく思えます。
Re: メッセージ読みました - トマス
2009/06/23 (Tue) 22:22:42
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>生きる意味を見出そうとすることが執着につながる
そう言われれば、そのとおりですね。
今を生きていることをありのままに受け止めようとするのが仏教かも。たしかにそのありのままから言えば、生きる意味は何か?と考えてこだわることは執着の一つですよね。
Re: メッセージ読みました - hotaro
2009/06/24 (Wed) 08:53:07
*.bbtec.net
ほんとですよ。
「生きる意味」を真剣に求めるあり方が まじめな求道者だと思っていた時期もあったのですが、今ではむしろ、そういう考え方が人間をある種の強迫観念に追い込むという事がある、ということを感じています。私は、現在「気功」にはまっていますけれど、これなんか、ある種 受け身の心地よさです。何がやってくるかわからないから、スリルがあるし、楽しい。