三十番地キリスト教会 第1談話室
2009/10/26 (Mon) 23:37:53
*.infoweb.ne.jp
れおさんのリクエストに応えて、「みんたた」11月のテーマ聖句を募集します。
どうぞ、みなさんアイデア、あるいは疑問をお寄せください。
Re: みんたた11月のテーマ - ノンクリ
2009/10/28 (Wed) 20:57:27
*.dion.ne.jp
マタイの11章20-24、ルカの10章の13-15(いずれも新共同訳聖書)の「悔い改めない町を叱る」というエピソードも「ええ、イエスってこんな人だったの??ウソだろ」って思わされる点で気になります。
このエピソードって、私にはどう読んでも、せっかく神の使いたる俺が奇跡を演じてやったのに、信じないとは、受け入れないとは許せーん、てめえら地獄行きだぁ〜といっているようにしか聞こえなくて・・。それこそカルトの教祖みたいだし、第一、あまりに大人げない、というか。
本当にイエスはこんな(あえていいます)おバカなこといったんでしょうか??
2009/10/28 (Wed) 22:44:10
*.infoweb.ne.jp
なるほど、ひどい話ですね。「イエス様、何を血迷っておられるのですか?」と言いたくないような言葉ですね。
はい、じゃあ、ここにしましょう。
ただ、これから私は、数日学校に泊まり込んでの仕事なので、あまりここではたいしたことができません。叩き合いの用意が遅れると思います。
どうかご了承お願いいたします。
Re: みんたた11月のテーマ - ノンクリ
2009/10/28 (Wed) 23:41:14
*.dion.ne.jp
でも、考えてみると、日本仏教の偉人、名僧、例えば、親鸞とか法然とか、一休さん、日蓮etc、について、誰も彼らが非の打ちどころのない人生を送ったとか完全無欠な人物であったなんて思っていないし、実際、過激だったり、若いころは破天荒なことをやってたり、変人だったりしますが、それが特に彼らの名声に傷をつけることにははいないですよね。
どうして、イエスに対してはつい非の打ちどころのない品行方正な人物を期待してしまうのかな?という疑問も湧いてきましたね。
Re: みんたた11月のテーマ - トマス
2009/10/29 (Thu) 12:27:21
*.aol.com
面白そうですね。実は11月にルカの「72人の派遣(10章1-12節)を予定しておりますので、興味津々。
なのですが、このところネタがやたらカルト付いておりますので、一度カルト抜きでお願いできれば有り難く思います。「みんたた」は特集ページで残りますし…。
Re: みんたた11月のテーマ - ノンクリ
2009/10/29 (Thu) 21:25:23
*.dion.ne.jp
決してカルトネタばかりを狙っているわけではないんですが・・・。
まあ、なんというか、聖書とかイエスの「まともな」ところとか、「真面目な」部分、「エライところ」は別にここでなくても、リアルの教会でいくらでもお話できるじゃないですか。
私としてはリアルの教会ではなかなか口にできない、話題にしてくれない部分を知りたい、皆の、特にクリスチャンの方々の本音を知りたい、という欲求が強いもので・・・。
特に「悔い改めない町を叱る」みたいな話を読むと、今でこそ世界的大宗教、伝統宗教のキリスト教とかイエスもも2000年前のローマ人にとっては「なんとかの科学」とか「サイエントロジー」なんかと変わらない存在だったのかなぁ?と思うと、それまでせっかくいい話に感動しても、急に気持ちが醒めてしまうもので、一体、現役クリスチャンの皆さんはこの「躓き」をどうして克服してるのかなぁ?と思うもので・・。
2009/10/30 (Fri) 10:59:38
203.140.72.82
私は、洗礼を受けたのは高校2年生のときでしたが、その後、教会内部にいても、聖書を批判的な視点で読むのは面白くて仕方ありませんでした。
たとえ信仰しますと告白して洗礼を受けても、あきらかに自己陶酔だろうとか、明らかに自己洗脳だろうとか、そういうものに対する批判的な目は失わずにおれたかなと思います。
それと、最近になって思うのは、リベラルだと自認している人の間でも、聖書の記事はたいへん批判的に読みながらも、いつの間にか「聖書に書かれる以前の人間イエス」の姿を勝手に自分で、あるいは自分の属するグループで作り上げていて、そういう人も結局「人間イエス」でなんでも通してゆくというか、結局神格化してしまっている人がいます。
いやいや、ぼく自身もそういう状態に陥りかけてました。
いまは、イエスの言った事にいいこともたくさんあるけれど、イエスが全てではない、とあえて勇気をもって言ってもいいんじゃないかと思います。
Re: みんたた11月のテーマ - 毛利
2009/10/30 (Fri) 15:37:21
*.ocn.ne.jp
信仰する=盲目的になる=批判的な意見は認められない
というものかと思っていたので、ここの教会は本当に新鮮で面白いです。
そういう自由な発言(別に批判的なことを言う、という意味ではなくて素直に疑問を疑問として口にする、という意味です)ができないようになったら、結局洗脳されたのと変わらないと思いますので。
Re: みんたた11月のテーマ - れお
2009/10/30 (Fri) 20:30:17
*.home.ne.jp
誰に対しての返事というわけでもなく、ちょっと毛利さんの書き込みに対して反応したことを書きますが…
別に嫌がらせをされたわけじゃないのですが、ちょっと批判的なことを言うと「そんなことはないと思う」、「イエス・キリストは真理です」って言い張られたことがあります。一番困ったのが「あの方はかなり聖霊に満たされていると感じませんか」と言われて、私が「それは年の功でしょう」と答えると少しムッとしておられました。こういう感覚まで捨てなくてはいけないのかなぁと怖くなりました。何でもかんでもキリスト教に結び付けて答えなくてはいけないのかと思うと、ゾッとします。普通に批判的な目を持ちながら、聖書やカトリックとはつき合って生きたいと思います。
で、11月のテーマに向けてまた色々考えたり、調べものもしたいと思います。ではまた。
Re: みんたた11月のテーマ - ノンクリ
2009/10/30 (Fri) 20:58:29
*.dion.ne.jp
>ちょっと批判的なことを言うと「そんなことはないと思う」、「イエス・キリストは真理です」って言い張られたことがあります。
愚痴になりますが・・・。私の周囲のクリスチャンってそんなタイプの人でして。カトリックはまだマシな方ではないでしょうか?
ここで発言しているようなこというと「聖なるものを汚さないで」とか「キリスト教に反抗的、みたいなことまでいわれるし・・。
聖なるものを汚すも何も、反抗的、批判的も何も、こちらとしては、でっち上げとかデマをもとにあれこれいっているわけではなく、まぎれもなく聖書に書いてあること、まぎれもなく聖書に書いてあるイエスの姿について、「これは一体??」という疑問を呈しているだけなんですが・・。
本当にキリスト教が嫌いとか下らんと思っていれば、はじめから聖書なんて読まないし、話題にすらしない、真面目に考えているからこそ、「批判的」な話も出るんですが、どうも、そういう感覚がこの種の人々には理解してもらえなくて・・。
どうしたらいいんでしょうね?
2009/10/31 (Sat) 09:35:23
203.140.72.82
文化祭のため、学校に泊まり込んで3日目の富田です。
みんたたの準備がなかなかできてなくてすいません。大変ですわ。
さて、このiChurch.meでカルト的なキリスト教に対する批判がなかなか収まらないのは、やはり、それだけカルト的キリスト教に与えられた傷や失望が大きかったからではないでしょうか。
キリスト教に真剣に救いを求める気持ちが大きかったからこそ、これに裏切られた失望、怒りは大きいのではないかと思います。
でも、その批判・非難を通過しながらも、その先に、ではどういう風に生きて行きたいか、ということも話せたらいいですね。
2009/11/02 (Mon) 12:34:57
*.hiroshima-u.ac.jp
> リベラルだと自認している人の間でも、聖書の記事はたいへん批判的に読みながらも、いつの間にか「聖書に書かれる以前の人間イエス」の姿を勝手に自分で、あるいは自分の属するグループで作り上げていて、そういう人も結局「人間イエス」でなんでも通してゆくというか、結局神格化してしまっている人がいます。
という牧師さんの言葉で思い出したので。
佐藤研氏の次の論文はご覧になりましたでしょうか。
「聖書学は<イエス批判>に向かうか : 「宗教批判の諸相」に寄せて」(『宗教研究』82/2, pp. 409-426)
本文はPDFで見られます。次のURL内の「本文を読む/探す」から入手可です。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006937282
2009/11/02 (Mon) 16:26:30
*.infoweb.ne.jp
ほえー! 友人さん、面白そうな論文を紹介していただいて、ありがとうございます。さっそく印刷してこれから乗る電車の中で読みますよ。
重ねてありがとうございます!!
あ、そうだ、元気でやってますか?
つい先日、うちの自治会長がそちらの大学に転勤になって、それでぼくが後任の自治会長になったんですよ(笑)。
でも、その人、友人さんの名前を言っても、ピンとこないようでした。理系学部と文系学部は、教授もぜんぜん交流がないそうですね。その人は微生物学が専門だそうで……。
2009/11/02 (Mon) 19:04:15
*.megaegg.ne.jp
うちの大学、教員1800人という大規模なので(でも学生はその割に少ないです。学部学生1万1000人、大学院生4500人)、学部が違えば全然わからない。そもそも、同じ学部の教員もわからない(130人くらいいるらしい)という状態です。まさにキャンパス内の微生物みたいなもんです。
佐藤氏が言っているように、イエスを人間として捉えることは、イエスの誤りや不完全さをも認めていくことにつながると僕も思います。そしてそれが、新約聖書学の方法を貫く限り不可避であるということも。
2009/11/03 (Tue) 01:45:20
*.infoweb.ne.jp
手前味噌になってしまいますが、ぼくはもう8年ほど前になりますが、『キリスト教との出会い 新約聖書』という高校生向けの教科書の中で、イエスの不完全さ、またイエスの成長という面をしっかり書き込んだつもりです。
でも、名のある大学の学者さんが書いた論文ではないせいか、全く評価されていませんね(笑)。
それどころか、それとは全く違う全然とんちんかんなところで「富田は初心者をつまずかせる」と言われて、いい迷惑ですよ、ほんと。
2009/11/03 (Tue) 14:21:03
*.megaegg.ne.jp
『信じる気持ち』はすごく評価されてるじゃありませんか。少なくとも、一応名のある大学の名もない学者が書いた論文や註解書よりずっと評価されてる。
「初心者をつまずかせる」ってのは、いかに正直にきちんと書けているか、っていう評価ですよね。どうして都合の悪いことを隠したりごまかしたりしてないのか?ってことだもん。
Re: みんたた11月のテーマ - トマス
2009/11/03 (Tue) 20:37:16
*.aol.com
面白いモノご紹介ありがとうございました。この『宗教研究』82巻2号は他にも面白いモノがたくさん載っていますね。
佐藤氏の論文、リベラルのつもりの私も「痛」と思いましたが、しごく真っ当なことを言っている(だけ?)のように思います。きっと佐藤氏も「自分の理想通りのイエスを描いただけ」みたいな批判を受けるんではないでしょうか。そういう論文ではないと思いますが。
順序が逆になりましたが、
「友人」さん、いつぞやは大変にお世話になりました。ありがとうございました。
Re: みんたた11月のテーマ
- ノンクリ
2009/11/07 (Sat) 11:57:49
*.dion.ne.jp
ただ、新約聖書に出てくるイエスをみて驚くのは実に多様なな面があること。もう一つは「こんなこと書かない方がいいだろ?イメージダウンじゃないのか?」といいたくなることも比較的正直に書いてあること、ですね。
言い方は悪いですが、皆、それぞれが心の中に「自分に都合のよい」イエス像を造り上げてるんでしょうね。
たとえばの話、左というか反体制的な思考を持つ方はイエスの「金持ちが天国に行くのはラクダが針の穴を・・」みたいな金持ち階級と関わりをもたなかったり、社会革命家っぽい部分を強調するんでしょうし、逆に右というか体制順応、というか保守の人々は「神のものは神のものに、カエサルのものは・・」といったように政治運動には決して関わらなかった点とか(イエスではなく、パウロですが)「権威には従え」みたいな部分を重視、強調するのでしょうし。
実際、日本のクリスチャンだけを見ても、右は国粋主義者から左は共産党員(個人的にはどちらもかなり違和感を感じますが)まで様々ですし。
ただ、右のクリスチャンも左のクリスチャンも、個人的に「やめてくれ」と思うのは、単なる自分個人の政治的立場、信条、価値観にすぎないものを「キリスト者の良心」とか「クリスチャン」としてどうのこうの、などといい、立場や意見の異なる人、同調しない人に対し「それはキリスト者としてどうか」とか「あなたはクリスチャンでないからわからない」みたいなこと、つまり、「キリスト教」を己の正しさの大義名分に使うことですね。
かのマザーテレサは、宗教家としてその辺のケジメをきっちりとつけていたのが、個人的に立派と思う点の一つでもあります。
すみません、なんか話がずれまくりで申し訳ないけれど、個人的にそう思う体験があったもので・・。失礼しました。
2009/10/31 (Sat) 11:24:06
203.140.72.82
みんたた2009年11月は「悔い改めない町を叱る」です。
マタイによる福音書11章20〜24節と、
ルカによる福音書10章13〜16節が並行していますが、最初と末尾の部分が違っています。この2種類を両方ともここに参照してみたいと思います。
【マタイのみ収録している前置き】
マタイ10章
20 それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。
【マタイ/ルカ共通部分】……以下はルカの節数で表記します。
ルカ10章
13 「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところでなされた奇跡がティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰の中に座って悔い改めたにちがいない。
14 しかし(マタイでは「しかし言っておく」)、裁きの時には(マタイでは「裁きの日には」)、お前たちよりまだティルスやシドンのほうが軽い罰で済む。
15 また、カファルナウム、お前は、
天にまで上げられるとでも思っているのか。
陰府(よみ)にまで落とされるのだ。
【ルカの末尾】
16 あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのである。」
【マタイの末尾】
23(後半) お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。
24 しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」
以上です。
この言葉はマルコ福音書には並行記事はありません。またトマス福音書にも並行箇所はないようです。
では、みなさん、どうぞご自由に意見を述べてください。
Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 - トマス
2009/11/01 (Sun) 01:25:15
*.aol.com
こんなふうに並べてみるとまた面白いですね。「みんたた」の新しい展開?
それにしても、相変わらず物言いキツイですね。これでは敵も多かったでしょうねぇ。
Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 - 毛利
2009/11/01 (Sun) 12:46:40
*.ocn.ne.jp
私の理解が浅いのかもしれませんが、「悔い改める」とは具体的にどういうことを指しているのか分からないという点を除いて、特に違和感は感じません。
聖書の中には「神から離れていく人間」と「それでは駄目だよ、罰せられるよ、と忠告する誰か」のやり取りが多いと思うので、イエスの今回の発言も「悔い改めさえすれば許してもらえますよ」と言っているだけじゃないのかな、と。
ただ、上にも触れましたが「悔い改める」とは、どういうことなのかはハッキリしません。イエスの言葉に耳を貸さなかったのか、それとも神から離れてしまっているのか、とか。
ずれたこと言っていたらすみません。
Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 - 牧師 Home
2009/11/01 (Sun) 21:58:19
*.infoweb.ne.jp
「悔い改める」というのは「メタノエオー」という動詞で、「後悔して反省する」、「回心(改心)する」、「罪から立ち返る」、「進む道を変える」といった意味があります。
名詞(悔い改め:メタノイア)という言葉はよく知られていますね。
罪を後悔して反省するという意味のみで日本ではよく使われますが、「生き方を変える」という意味にもとれる広がりのある言葉です。
Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 - hotaro
2009/11/04 (Wed) 09:58:49
*.bbtec.net
イエスの宣教の内容は、「神の国」の到来を告げ知らせる、ということでした。この神の国は、貧しい民衆の、「悔い改め」、今風の言葉で言うと、「パラダイムシフト」(いわゆる常識、とか一般的なものの考え方の崩壊)ですよね、これにより、一人一人の中に、決定的な意識変革が起こり、自分の周りのすべての システムを作り替えていくエネルギーが与えられる、というものです。当時のローマの支配にあえいでいた町々、村々の住民にとって、これは救いになったはずですよ。その「神の国」の先触れとして、イエスは、病人の癒しとかの奇跡をおこなったと思われます。(イエスは、今の言葉でいう「気功治療師」でした)しかし、現代人でもそうですが、こういう奇跡は、悔い改めにはつながりません。ですから、イエスの嘆きと裁きのことばは、当然だと思います。旧約聖書の伝統で、「ヤーウェのみ」に従う、ということは、当時の超大国ローマやヘロデ大王、また宗教的には、バアルとかギリシャ神話の神々に従わない、それらを拒否する、ということですから、イエスの運動は、当時の常識的なものの考え方に従えば、「カルト」と言ってもいいと思います。逆に現代日本では、カルトは、オームなんかは小者で、もっとも巨大なカルト「天皇制」を何とかしないといけないでしょうね。政治、マスコミ総ぐるみで、盛り立てて、おべんちゃらで祭りあげています。「王様は はだかだ!」と誰も言わない存在ですよね。ドイツが戦後、ヒットラーの第三帝国の罪責をつぐない続けて現在に至っているのに、日本はその最高責任者の罪責を不問にしているのみならず、ありがたがっているんですから。
Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 - 牧師 Home
2009/11/05 (Thu) 00:31:02
*.infoweb.ne.jp
hotaroさんに質問なんですが、イエスの宣教における「パラダイム・シフト」が貧しい人に意識変革を起こし、すべてを変えるエネルギーを与える、ということなんですが、その神の国の先触れとしての気功治療は人びとにパラダイム・シフトを与えることはできなかったということなのでしょうか?
では、奇跡的治療なんか行わずに、教説だけで意識変革を起こすほうがよかったということなんでしょうか?
ちょっとそのあたり、もう少し具体的に教えていただければ、ありがたいと思います。
Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 - nabe
2009/11/05 (Thu) 02:35:26
*.dion.ne.jp
はじめまして。
ぼくは、イエスの憤った後の言葉に注目しました。
「...そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。」
この言葉から、イエスのこの憤りは、人間的な普通の憤りだと思いました。イエスという人間としては、自分が力を尽くして、神様を見るように人々に働きかけているのに、何の成果も上がらない。それで、イエスは思い通りにならないので、怒りをあらわにしたのだと思います。
しかし、ゲッセマネで祈りのときに言われたように、イエスは、自分の考えではなく、父の御心を再び考えて、結局は心をしずめたように思えます。
マルコ14章36節
またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、私の願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」
だから、キリスト信徒としては、イエスは何の罪もなかった方だったと告白する人もいるし、それは素晴らしいことだと思いますが、イエス自身は、自分の思いと神様の心は、常に一致しているわけではないことを言っているように思えます。
イエスはただ神様から見て、どうすべきか、そのみこころをよく予想し、行動に移すことのできた人だと思います。彼が神の子だと告白するのは、結局イエスも含めて人だけです。神様がそれを認めていることは、誰にも確認できません。しかし、彼のそのような姿を見て、神の子だと感じる人もいるのは事実だと思います。
神のみこころが、この地で行われるようにと、イエスは弟子たちに祈りを教えるときに祈りました。
だから、彼の運動そのものが神の御心がこの地上で行われることだから、そのための運動が自分の思い通りにならなかったとしても、それを憤るのは矛盾ですよね。でも、それが人間らしさでもあると思います。(自分の行動に対する、自分なりに期待する評価が欲しいのに、それが貰えないことに対する不満)
Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 - hotaro
2009/11/05 (Thu) 13:42:41
*.bbtec.net
ご質問、ありがとうございます。
イエスの癒しが、人々に、悔い改めの念を起こさせた、ということは、大いにあったと思います。弟子たちも、奇跡的治療とか、魚が急に大量に捕れるなどの奇跡を見て、すべてを捨ててイエスにしたがったと思います。そのようなイエスの群れが、行く先々の町や村で「神の国」宣教をしました。説教だけでなく癒しも治療もすべて、大切なことだったと思います。しかし、このテキストで問題にしているのは、ある町や村が悔い改める、ということは、どういうことか、ということだと思います。もし、全体が悔い改めたとしたら、そこに、ローマや、ローマとぐるになっている宗教的指導者等に対する組織的な反乱が起きて、その町が、一種の自治区として、独立したかもしれません。教説だけでは、意識変革は無理です。私たちのN教団でも、教説と論理だけでは、お互い説得はされても納得はできません。
Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」 - 牧師 Home
2009/11/05 (Thu) 23:53:59
*.infoweb.ne.jp
>nabeさん
はじめまして! これからもよろしくお願いいたします。
これがイエス自身の言葉だとしたら、人間としての弱さ、苛立ちがでた言葉なのかもしれませんね。
>hotaroさん
なるほど……このやりとりで改めて思ったのですが、ここでイエスは、個人の悔い改めのことを言ってるんじゃなくて、町の悔い改めのことを問題にしていますね。
これってどうなんでしょう?
たとえば、私たちが伝道とか言ってるときって、個人の悔い改めを問題にしていることが多いじゃないですか。
でも、コラジンだとかベトサイダだとか、そういうのは、たとえば、「横浜よ、お前は悔い改めなかった」とか「札幌よ」とか「京都よ、奈良のほうが軽い罰で済む」とか言ってるのと変わらないんじゃないですか。
これって、何人まで悔い改めたら、全体が悔い改めた事があるとか、そういう基準があって言っているんでしょうか?
アブラハムの話を思い出しますが……。
Re: みんたた11月「悔い改めない街を叱る」
- ノンクリ
2009/11/07 (Sat) 11:22:01
*.dion.ne.jp
nabeさん(はじめまして)のコメントが一番、ああ、なるほど、と思わされましたかな。
イエスも「神とはなんぞや?」「神の意志って何」とあれこれ思考錯誤し、右往左往したり、ときには感情に任せてアホなことをいったりやったりしてしまう、という点では一般人の我々と変わらないんですね。
まあ、神様ってこの世で出会った人は誰もいないし、わからないのですからそれは当然で。だからこそ「知る」のではなく「信じる」しかないんでしょうね。
クリ・ノンクリの人間関係 - ノンクリ
2009/10/12 (Mon) 21:09:31
*.dion.ne.jp
連続投稿失礼します。とある教会のイベントに身内と行きました。そこで、身内の旧知の牧師と出会っておしゃべり、と相成りました。
そこまではいいのですが、身内が聞かれてもいないこちらの身内話、悩みなどをペラペラ、それも勝手な解釈で語りだします。
確かに牧師は信徒の相談、話を聞くことは仕事でもあるわけですが。それにしても、きちんとした相談の場ならともかく茶飲み話で、私の悩みとか身内話をされるのが、私としてはたまらなく不愉快でした。
さらに以前も身内はその牧師さんとは別の、知人の信徒ともそんな調子でだったので、腹が立って怒ってしまいました。
すると身内は「クリスチャン同士は心開いて話あうのもの。私だってただの会社の同僚にそんな話しない、ノンクリのあなたにはわからない」ってことを言い出します。
でも、私の言い分としては、身内にとって彼らは旧知でも、私にとってはまるっきりの他人だし、私のいる場で茶飲み話のネタに、勝手に周囲に人のいる場で話されるのは非常に不愉快千万でした。
あと、クリスチャン同士云々、という身内側の言い分にしても、それはクリスチャン、ノンクリスチャン云々というよりは個人的な親しさ、価値観の一致不一致の問題じゃないの?
キリスト教とか宗教でなくたって、例えば共通の趣味とか目的があるもの同士って非常に短時間で仲良くなっていろいろ深い話をする、ということはあるし、クリスチャン同士云々は関係ないだろ、というのが私の言い分。
逆にいえば、クリスチャン同士でないと心開かないの?クリスチャン同士といったってイエスを救い主とする、こと以外はみんな考え方も価値観も様々だし、誰でも彼でも、いきなり、なんでも話していい「親友」ってわけじゃないだろ?って思ったりしたものですが・・・。
ええと、まとまりのない文章、かつ前フリが長くてすみません。
結局、何が聞きたかったのか?言いたかったというと、皆さんは相手がクリスチャンだと、ノンクリスチャンの知人、関係者より「気が許せ」、かつ「プライバシーまで語れる人間」って考えますか? それとも、あくまで相手の人柄、相性次第でクリスチャンか否かはあまり関係ない、と考えますか?
確かに価値観が近い(ノンクリに比べ)分、日本ではマイノリティである分、親しみとか連帯感は湧きやすい、とは思いますが。
Re: クリ・ノンクリの人間関係 - れお
2009/10/12 (Mon) 21:46:48
*.home.ne.jp
私はまだ信者(クリスチャン)ではありませんし、カトリック教会に通ってますけど、別に教会の人だから色々話せるってワケではないですね。
やっぱり、そこは人それぞれなんじゃないかなぁと思います。こんなことを言うのもなんですけど、気をつけて付き合うことにしています。「クリスチャンは心を開いて話し合うもの」という前提があるんだったら、私は絶対にクリスチャンにはなりたくありませんね(苦笑)。人間関係って境界線を引かないとやっていけないし…。
ただ、その…ノンクリさんがプライベートを色々話して欲しくないことは身内の方と喧嘩ではなく、話し合いをされた方が良いと思います(そんなの分かっているとは思いますが…)。
お力になれず、ごめんなさい。
Re: クリ・ノンクリの人間関係 - ノンクリ
2009/10/12 (Mon) 22:20:19
*.dion.ne.jp
>カトリック教会に通ってますけど、別に教会の人だから色々話せるってワケではないですね。
カトリックとかプロテスタントでも大人数の教会ですと、確かにあまり互いに干渉しない傾向があるかも、ですね。身内が出入りするような教会っていうのは少人数で信徒同士の連帯感を重視する傾向が強いですね(あくまで、私の見聞の範囲で話してます)。
身内に対し、今にして思えば、何がイライラっとしたか?っていうとクリスチャン云々ってことをいいすぎる、なんでもかんでもキリスト教を理由にすんな、ってことでした。妙にノンクリとクリを線引きしたがるというか・・。
次から気をつけて、ということで妥協しましたので御安心を。お相手ありがとうございます
2009/10/12 (Mon) 22:45:59
*.infoweb.ne.jp
私はクリスチャンの代表ではありませんが、一人のクリスチャンの例です。
私は相手がクリスチャンと聞くと、相手がどんな教派とは限らず、「少し」親近感がわきます。
たとえば、相手がエヴァンジェリカルな傾向のクリスチャンだった場合、深く話せば絶対に相手が私のことを「悪魔の使者』呼ばわりするだろうとはっきりわかっている場合でも、とりあえず、親近感がわくのです。
だから、深い話をしないように気をつけながら、「神さまがこうして会わせてくださって、感謝ですね」と言ったりします。
ああ、だから、親近感がわくから本当のことを言ったらいいか、というとそうではないんですよね(笑)。仲良くするためには節度も必要ですよ。
それは、どんな人間関係でも一緒ではないですかね?
なぜ相手が、ぜんぜん違う信仰の持ち主なのに親近感がわくか、というと、やはりクリスチャンというのは日本では圧倒的にマイノリティだからというのはあると思うんです。
日曜日に教会に行くことひとつとっても、日本では特殊なライフスタイルじゃないですか。だから、いつも自分のアイデンティティを思い知らされてばかりいるんですよ。
限定的な意味で、在日外国人の気持ちと似ている部分があるんじゃないかと思います。
そういうことをずっとやってるうちに、なんでも自分がクリスチャンであることに関連づけて説明するようになっちゃっているんじゃないですかね。
くりかえしになりますが、相手がクリスチャンだったら、何でも話していいかというと、そんなことないと思いますよ。
相手が誰だって、プライバシーに関することをベラベラしゃべられたら、迷惑ですよ。
たとえば、保守的なクリスチャンには「罪」と言われかねないようなプライバシーはきっと話さないと思いますよ。都合の悪いことは、誰だって言えないです。
言えるということは、都合が悪いと思ってないわけで、身内としてはそれが問題じゃないですか?
Re: クリ・ノンクリの人間関係 - トマス
2009/10/13 (Tue) 19:28:33
*.aol.com
>仲良くするためには節度も必要
わたしもそうおもふ…
私も相手が同じキリスト教の人間だというだけではそうそう何でもかんでもは喋れません。むしろキリスト教といっても右から左まで幅があるだけに(近親感を持つ分だけ)かえって警戒して喋るかもしれません。特に信仰とか私生活とかに関わる部分に関しては。
Re: クリ・ノンクリの人間関係 - ノンクリ
2009/10/13 (Tue) 19:42:34
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>都合が悪いと思ってないわけで、身内としてはそれが問題じゃないですか?
そうですね、言っていいこと、悪いことの基準が根本的に違ってる、というかズレてるような気がしましたね。
ただ、やっぱりそれは、クリ・ノンクリ云々は関係ないだろう?、単なる個人の性格とか考えの問題だろ?というスタンスは変わらないですね。
とにかく、私の身内に対する言い分としては、もう少し力を抜いてというか、うまくいえないけど、自然な信仰を持ってくれないかなぁ、ってこと。牧師先生のおっしゃる通り、クリスチャンは日本ではマイノリティですから、どうしても、そのアイデンティティを意識せざる得ないのはわかりますけど、別にノンクリの日本人といきなり全くの別人になるというわけでもないでしょう?って思うんですが、どうですかね。
2009/10/13 (Tue) 21:17:06
*.infoweb.ne.jp
もちろんそう思いますよ。
クリ・ノンクリは本来関係ないんですよ。ただ、それを口実に使うクリスチャンが多いという事です。
本当に、力を抜いたほうがいいと、最近私も思うようになりました。
マイノリティとして苦しんだあげくの結論ですが。
固い頭のクリスチャンには、妥協とか背教とか言わせておけと思いますが、あんまり信仰というのは力を入れない程度がいいと思います。
熱心な信仰者にろくな人はいない、というのが正直本音です。
Re: クリ・ノンクリの人間関係 - とま
2009/10/13 (Tue) 21:58:03
*.dion.ne.jp
うちの教会でも、「腹を割って話す」なんて滅多にないですねぇ。
神父対信者でも、信徒同士でも。
なまじデカい教会だと迂闊にモノを話すとあっという間に広がったり、
自分の知らない間に自分に対する「評価」が出来上がったりしますし。
そんな状況下で「腹を割って」話すようにするんだったら、
まず人を見てからしないといけないと思います。
最初はバカ話から始まっても、積み重ね次第で最終的には真面目な話もできるようになっていくもんです。
Re: クリ・ノンクリの人間関係 - ぽとす
2009/10/13 (Tue) 23:34:37
*.asahi-net.or.jp
ごぶさたしてます(><)
ノンクリさん、そこらへんははっきりいって、いわゆる福音派の教会と、私が行ってるような教団の教会ではかなり温度差があると感じています。
福音派系の友人との付き合いでは、少なくとも私が経験した範囲では、クリスチャンの私からしてもプライバシーの感覚が常識外れなんじゃないかと感じさせられる経験を何度もしました。
たとえば、この人ならと(一応「伝道師」という肩書を持っている人だったので、秘密は守ってくれるだろうと思った)信頼して相談したかなりプライベートな問題を、気が付いたら他の色んな人が知ってたり、はなはだしい場合は私が直接それを話してもいない友達が、別の友達にそのことをベラベラ喋ったり・・・。
きっと彼らは「ともに祈ってくれた」のでしょう。
大きなお世話です。
そういう経験を繰り返して、私はそっちのほうの友人にはプライベートな話をしなくなりました。
しかし、ノンクリさんの場合には「身内」だから難しいですよねぇ・・・。
Re: クリ・ノンクリの人間関係 - トマス
2009/10/14 (Wed) 13:34:35
*.aol.com
>「ともに祈ってくれた」
キリスト教徒が陥りやすい大きな落とし穴ですね。
共に祈る力の強さを知っているだけに難しさが同伴します。そのことを意識していない人は確かに多そうですね。
ウチでは会員さんから家族の病気とかについて聞かされた時は、
口頭での報告にしますか?週報に載せましょうか?
と確認することにしています。
Re: クリ・ノンクリの人間関係 - ノンクリ
2009/10/14 (Wed) 18:37:58
*.dion.ne.jp
おお、ポトスさんもお久しぶりです。あまり、教会、教派云々ということはいいたくないんですが、私もうすうすそう思うことが・。
でも、少なくとも身内はそれを「クリスチャン」らしさと思ってるフシがあるんですよね。
私としてはchっと、くどくなっちゃいますけど、「使徒信条」の内容を肯定する以外は、皆、様々な価値観、考えの持ち主の集まりで、政治的にも、信仰面でも右から左まで様々なのに、そういう現実を無視して、あまりにも「クリスチャン」ということを云々しすぎるのが、どうも気になってしょうがないですね。
ただ、「共に祈る」というのは決して悪いことではない、というか、キリスト教の素晴らしい風習、美点だと思うんですよ。たとえ建前とか偽善でであっても。
だから、ピントがずれていても、あまりあからさまに否定はしたくないんですけどね。ただ、それが「善意の押し付け」になっちゃダメですよね。
それに(キリスト教には)、一方で原罪思想があって、つまり性悪思想でもあるのだから、クリスチャンだからプライベートも何でも話せる、ってお花畑な発想にはならない、と思うんですけどね・・。
Re: クリ・ノンクリの人間関係 - ぽとす
2009/10/14 (Wed) 19:53:00
*.asahi-net.or.jp
そう、「ともに祈る」ことの意味や重要性は私も否定しません。
でも、「みんなで祈るから誰それにも話していい?」となぜ一言聞けないのかと。
そしてそれを、「なんであなたが知ってるの!?」みたいな人に、宴会の話題にされた日にゃ(実話)。
きっとそれも「証しになると思ったから」とかいうピント外れな理由がつくのでしょう。
そこらへんが常識から外れていると思う点です。
理解不能です。
とても簡潔で… - れお
2009/10/26 (Mon) 20:04:02
*.home.ne.jp
>私としてはちゃっと、くどくなっちゃいますけど、「使徒信条」の内容を肯定する以外は、皆、様々な価値観、考えの持ち主の集まりで、政治的にも、信仰面でも右から左まで様々
まだ私が勉強中のせいなのかわかりませんけど、こんなに簡潔な表現は出てきませんでした。確かに、クリスチャンと一括にしてみても、そういうものだと思います。
お悩みなのに、こんなことを言っては失礼かもしれませんが、ノンクリさんの書き込みを読んでいると、ふと漱石の「草枕」の冒頭を思い出してしまいました。人間関係の難しさをあれほど簡潔にまとめた文章は今まで他にありません。
クリスチャンと衝突しそうになったとき、ここを思い出したいと思います。
Re: クリ・ノンクリの人間関係 - ノンクリ
2009/10/28 (Wed) 20:17:52
*.dion.ne.jp
>れおさん
お誉め(?)いただきありがとうございます。でも、立派な思想や高尚な教養から出たセリフではないんです。
個人的に、クリスチャンだからって、都合のいいこと、悪いことをなんでもキリスト教だから、クリスチャンだから、みたいにいわれるとイライラしてくるのです。「そんなのイエスとかキリストとかとは何の関係もない、単なるてめぇ個人の価値観、意見だろ!自分のやること、いうことには自分で責任もてよ!」みたいな・・。
まあ、そのイラ立ちをまとめると、ああいう表現になるわけで、繰り返しになりますが、そんなに立派な考えはありません。
>夏目漱石
って、すみません「坊ちゃん」しか読んだことないんです・・・。話が脱線して、おまけに「草枕」とも何の関係もないんですが、「坊ちゃん」って今思うと、日本の「朝日が丘の総理大臣」から「GTO(グレートティーチャーオニヅカ」に至る、学園ドラマ、マンガ、アニメの元祖みたいな作品だな、って思うことが・・。
ほら、八方破れの若い教師が、学園の腐敗、悪ガキ、事なかれの上司、先輩教師たち、アイドル的な美人女教師に挑んだり、絡んだりってよくあるパターンじゃないですか。夏目漱石氏とその作品「坊ちゃん」はそういう日本の学園ドラマの黄金フォーマット嚆矢的存在と私は認識しております。
まあ、いうならば、明治時代の「GTO(グレートティーチャーオニヅカ」みたいなものかと・・。
Re: クリ・ノンクリの人間関係 - れお
2009/10/28 (Wed) 23:23:21
*.home.ne.jp
ノンクリさん、笑えました。
坊ちゃん→明治時代のGTO…。
そんな感じかもしれない。
私は自分の考えるクリスチャン像とかあるのかもしれないですが、心の中だけで済んでいるならいいんだけれど、裁いていることが多くて…。でも、この簡潔な文章を思い出せば、「そうそう、そうだよなぁ」と落ち着きを取り戻せるのです。
褒めてます(笑)
2009/09/30 (Wed) 23:37:28
*.infoweb.ne.jp
10月の「みんたた」テーマ聖句を挙げておきます。
今月はマタイによる福音書10章34〜39節です。
34「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
35 わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。
36 こうして、自分の家族の者が敵となる。
37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしく ない。
38 また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。
39 自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。
では、どうぞみなさん、たたいてください。
Re: 10月のみんたた - トマス
2009/09/30 (Wed) 23:46:06
*.aol.com
いきなり他のスレに書き込みして「みんたた」がだいぶんと下に行ったので上に上げておきます。
富田先生、無題は無いっしょ。
2009/09/30 (Wed) 23:50:31
*.infoweb.ne.jp
へい、すんまへん。無題はやめて、ちゃんとしたタイトルに書き直しました。これで、いいですね(笑)。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - トマス
2009/09/30 (Wed) 23:54:08
*.aol.com
どうもです。
月末にアップする時は最初の3レスはバッサリ削除?(笑)
Re: 2009年10月の「みんたた」 - ノンクリ
2009/10/01 (Thu) 22:32:34
*.dion.ne.jp
これは、困った聖句ですよね。善意に現代風に解釈すれば、家族、血縁関係を超えた、人間愛、人類愛を訴えたのかもしれないけれど。
あるいは、旧約聖書とかユダヤ教の、例えば子孫繁栄に繋がらない性行為は自慰すら悪とする、お家第一の考えに対する過激なプロテストか?
正直、イエスは一体どういうつもりで?との疑問が抜けないですね。これを悪用する怪しげなキリスト教系カルトも多いですし。
私にとって、キリスト教と聖書に対する躓きの一つですね。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - トマス
2009/10/01 (Thu) 22:48:47
*.aol.com
ちゃんと調べてないのですけど、パッと読んだ印象では、34-36、37-38、39と3つの伝承をひとつに纏めたような感じですね。
39節だけを見れば、迫害下における殉教に対して永遠のいのちを保証したことになるのでしょうか。でもイエスの時代に殉教は視野に入っているのかなぁ。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - 入谷
2009/10/02 (Fri) 18:52:05
*.cyberhome.ne.jp
教えて君 としてふるまうのが、感心したことではないのはわかっているつもりなのですが、他の福音書の対応箇所がどうなっているのか、教えていただけませんか。
どこそこのサイトを覗いてみたら、といった情報も歓迎です。
よろしくお願いします。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - トマス
2009/10/02 (Fri) 23:54:35
*.aol.com
>対応箇所
私も気になったのでチェックしてみました。
10:34-35は ルカ12:51-53 とトマス16 に対応していますね。
ちなみに、10:34はルカ12:49&トマス10にも近いです。
マルコには平行箇所はなさそうです。
後半
10:37-38は ルカ14:26-27 とトマス55、101 に対応しています。
これはマルコは微妙ですね。10:38がやや書き換えられた16:24はマルコ8:34とルカ9:23におおむね対応
10:39は ルカ17:33 とヨハネに平行あり。
さらに、参照箇所として、16:25がマルコ8:35とルカ9:24とほぼ完全に平行。
平行の組み合わせとしてはなかなか面白いですね。
でもなんか少々ややこしいです。書き間違えていたらご指摘ください。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - トマス
2009/10/03 (Sat) 00:18:18
*.aol.com
さらにこういうネタも発見
10:35-36は旧約ミカ書の7:6から引用
とすると、ここでイエスは何が言いたくてミカ書を引用したのでしょうね。
ミカ書って何やら曰くありげな預言書のような気がします。
ちなみに、新共同訳ではミカ書7:1-7の小見出しは「民の腐敗」
さて…
Re: 2009年10月の「みんたた」 - グレゴ
2009/10/03 (Sat) 02:17:01
*.infoweb.ne.jp
すみません。お騒がせしたグレゴです。
この個所の僕の理解は、
キリストに従いなさい。この世の事柄に執着してはなりません。たとえ、家族であってもキリストが優先されるべきである。
いままでの常識を覆す教えを説くので、紛糾することのなるかもしれないが、その苦労を背負ってでもキリストに従わなければならない。
(十字架が出てくるのは、キリストの最後を暗示している。)
キリストが復活するように、この世の命をなくしても(この世に執着しないで)永遠の命を得られる。
ということかと思っています。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - 毛利
2009/10/03 (Sat) 10:23:50
*.ocn.ne.jp
ノンクリさんの意見に凄く近いです。
特に「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」は、失言としか思えません。何ら肯定的な答えが私には見あたりません。
本当にイエスがこんなことを言ったとは、どうにも考えられませんので、信者獲得(か、それに相当すること)を狙った福音書作家が勝手に付け足したのではないかと想像しています。
今でこそイエスは愛の神というイメージを定着させていますが、当時は実はかなりカルト的だったのではないかな、と思えてならないです。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - 入谷
2009/10/03 (Sat) 13:40:35
*.cyberhome.ne.jp
イエスとその教えは、当時既成の制度の枠組の中でぬくぬくと「仲良きことは美しきかな」などと嘯いていた育ちの良い人々の目に、「その残忍性のため、ローマ帝国でも反逆者のみが受け、ローマ市民権保持者は免除されていたところの最も重い刑罰 (http://ja.wikipedia.org/wiki/キリストの磔刑)」 である十字架刑に処せられ当然のスキャンダルと映っていたとのだろう、と私は表象しています。(このサイトからも啓発されるところ大でした、ありがとうございます。)
とすれば、34 - 37 節は、イエスの意思の掛け値のない表白であり、同時に、親しいものをイエスとその同調者に奪われてしまった人々の率直な思いでもあったのでは、とすんなり理解できます。
この箇所への異和感は、現時点では特にありません。
2009/10/05 (Mon) 19:25:41
203.140.72.82
この箇所は、イエスがまるでカルトの教祖のように感じられるような言葉ですね。
しかし、じっさいカルトだったんじゃないかな、と思ったりもします。
39節の「自分の命を失う者が命を得る」というのは、弾圧を前提とした言葉のように思えますので、イエス以後の教会の産物かも知れません。
ちなみに、マルコ8章35節では「わたしのため、また福音のために命を失う者は」となっているのですが、マタイでは「福音のため」がありません。
38節の「自分の十字架を背負って」というのも、十字架刑の後に出てきた言葉じゃないでしょうか。イエスは、自分は殺されると予期していたでしょうけど、「十字架で」殺されるかどうかはわからなかったでしょうから。石打ちで殺される可能性もあったのではないか。あるいは剣で暗殺される可能性もあったでしょうし。
話が前後しますが34節の「剣」はマタイ独特ではないでしょうか? ルカ版には「分裂をもたらすため」と書かれていますね。なぜ剣なんでしょう?(とぼけてるんじゃなくて、本当に質問です。だれかわかる人、書き込んでください)
「剣」か「分裂」か、どちらがイエスなのか。あるいは、どちらもイエスの言葉ではない可能性もありますね。
35節はミカ書7:6ということですが、イエスがこういう風に旧約を引用したということが、そのまま伝承されて記述されたのでしょうか、疑問です。むしろ、イエス以後旧約との照らし合わせが行なわれたのではないでしょうか。
そうなると、イエス自身に遡れるのは37節くらいかな?(わたしより父、母、息子、娘を愛する者は)
しかし、そうだとしても、家族を捨てて自分に従いなさいと言っているわけですから、これは非常にカルト的です。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - ノンクリ
2009/10/05 (Mon) 20:40:03
*.dion.ne.jp
>イエスの言葉ではない可能性もありますね。
個人的にはそうだと思いたいんですけど・・。でも、福音書にはイエスの家族仲は至って醒めたものであったことを伺わせる記述がチラホラ出てくるし、イエスの物語全般に家族の影が薄いところをみると、さもありなん、と思ってしまうのもまた事実。
現代はもちろん、福音書が書かれた当時の基準でみたって過激なセリフ(ですよね?)であるわけで、キリスト教の伝道、イエスのイメージにとってマイナスにこそなれ、決してプラスになるとはいえない、こんなエピソード、記述をどうしてキリスト教業界はそのまま残しているのかな?との疑問もわきますね。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - 毛利
2009/10/05 (Mon) 20:53:55
*.ocn.ne.jp
> しかし、じっさいカルトだったんじゃないかな、と思ったりもします。
キリスト教的には神を冒涜したと当時の人々から思われたから処刑されたことになっていますが、実際にはこんなことを言い続けていたからカルト扱いされて処刑されてしまったのかななんて思います。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - グレゴ
2009/10/05 (Mon) 22:51:58
*.infoweb.ne.jp
私は、新約聖書は全てイエスの言葉と思っています。
ただ、どれもが正確に書きとめたかどうかは疑問ですが、
イエスの言葉を聞いて書いたものと信じています。
ここの部分は、皆さんがおっしゃるように非常に衝撃的です。
しかし、この世で平和を享受するよりも、重要なことは死を迎えてからの後、
永遠の生命を得ることのほうが重要であり、
そのためには福音、イエスの言葉に従わねばならないことを
言っているのだと思います。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - 毛利
2009/10/06 (Tue) 00:03:03
*.ocn.ne.jp
グレゴさん、確かにこの箇所は「生きている世界よりも死んだ後の世界を強調している」ように読めますよね。それが自然な解釈だと思います。
で、私が常々疑問なのは、イエスは生きている今の世界と、亡くなってからの後の世界、どちらにより重きを置いていたのかな、というところなのです。
他の箇所も総合的に見て判断しなければならないですし、そんな簡単に結論付けをする訳にはいかないですが、どうもこの聖書箇所に限って言えば「後の世界」を強調しているように見えます。
ところが、カトリックの場合には「手っ取り早くあの世に行ける」自殺を禁止している。一体、どうしてなんだろうって思ってしまうのです。生きることを重視して、自殺は罪とまで言い切っている。それって、このイエスの言葉に反しているんじゃないかなって。
話、思いっきり脱線させてしまってすみません。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - ノンクリ
2009/10/06 (Tue) 22:07:40
*.dion.ne.jp
>カトリックの場合には「手っ取り早くあの世に行ける」自殺を禁止している。
話を脱線させて申し訳ないんですが・・。最近のカトリック教会はよほど保守的な神父でない限り、自殺者でも普通に葬儀してますよ。
逆にプロテスタントでも保守的な教会では、「牧師として公式に葬儀を司式することはない」とおっしゃる牧師もいますし、そんなに単純でもないですね、近年は。
離婚も、表向きは禁止で、あまりおおっぴらにはいいませんけど、よく聞くと(離婚)してる人結構いるんですよね。婚姻を無効にする、つまりなかったことにするみたい。そもそも問題になるのは、夫婦双方がカトリック教徒同士の場合だけのようですし。
まあ、カトリック信者でない人間に「神が引き合わせた者を云々」などと説教してもしょうがないですしね。
これは私の独断と偏見ですので、間違っている、あるいは不快感を覚えられたら、謝まるより他いないですが、どうもカトリックの方々は二律背反をとぼけた顔してやり過ごす傾向があるみたいで。カトリックが保守的でいられるのは、信者が「それはそれ、これはこれ」で面従腹背するからのような気も。
良くも悪くも、あまり「宗教の信者」という感じのしない人が多いです(賞賛してるわけでも批判してるわけでもありません、念のため)。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - ノンクリ
2009/10/06 (Tue) 22:07:45
*.dion.ne.jp
>カトリックの場合には「手っ取り早くあの世に行ける」自殺を禁止している。
話を脱線させて申し訳ないんですが・・。最近のカトリック教会はよほど保守的な神父でない限り、自殺者でも普通に葬儀してますよ。
逆にプロテスタントでも保守的な教会では、「牧師として公式に葬儀を司式することはない」とおっしゃる牧師もいますし、そんなに単純でもないですね、近年は。
離婚も、表向きは禁止で、あまりおおっぴらにはいいませんけど、よく聞くと(離婚)してる人結構いるんですよね。婚姻を無効にする、つまりなかったことにするみたい。そもそも問題になるのは、夫婦双方がカトリック教徒同士の場合だけのようですし。
まあ、カトリック信者でない人間に「神が引き合わせた者を云々」などと説教してもしょうがないですしね。
これは私の独断と偏見ですので、間違っている、あるいは不快感を覚えられたら、謝まるより他いないですが、どうもカトリックの方々は二律背反をとぼけた顔してやり過ごす傾向があるみたいで。カトリックが保守的でいられるのは、信者が「それはそれ、これはこれ」で面従腹背するからのような気も。
良くも悪くも、あまり「宗教の信者」という感じのしない人が多いです(賞賛してるわけでも批判してるわけでもありません、念のため)。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - れお
2009/10/06 (Tue) 22:50:34
*.home.ne.jp
このテーマで躓いたと先月書き込みしたれおです。
よろしくお願いいたします。
グレゴさん、私のほうこそ、お騒がせしました。
不快な思いをさせて、すみませんでした。
ここの解釈も大体同じです。
ただ、「剣」とか物騒なことを言い出すなんてちょっとイエスの言葉とは思えないなぁ…と躓きました。
しかし、結局「家族とかごく親しい人間でさえも振り切って、己の信じる道(イエス・キリストについていく)をとるべき」という意味だと解釈して、早くこの言葉に会えればよかったと思っています。個人的には物凄く励まされます。「私は私なんだ」と解放されました。
しかし、見方を変えれば、カルトにも見えなくもないですね…。
※脱線した話の件では、確かにウチも自殺者の葬儀をしています。ノンクリさんのカトリックの人の印象は私も同じことを感じています。なんだか…その時々で臨機応変に対応していて、一貫性がないような…。「ま、いいか」と思いながら通っている私もそんな風になってしまうんだろうな〜と思っています。カトリックはそのうち消えてしまうんじゃないかなとさえ思っています。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - れお
2009/10/06 (Tue) 23:14:08
*.home.ne.jp
追記です。
「平和」の意味は「何事もなくのほほーんと過ごすこと」ではないと思います。
イエスの考える平和と、人間が考える平和は違うという説教を昔読んでなんとなく納得したのですが、そうなんじゃないかなと今でも思っています。
ここでイエスは時と場合によっては対立する必要がある…そういう意味だと思っています。そういう意味で「剣」なんて言ったのかな??
キリストが重きを置いているのが今か死後については、「今も死後も」と思います。今この時点からこれから先ずっとの永遠だと思っています。どこに証拠が有るかといわれれば、困りますけれど。
イエス・キリストは今この時点に一緒にいるのではないでしょうか。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - ノンクリ
2009/10/06 (Tue) 23:37:37
*.dion.ne.jp
>※脱線した話の件では
(カトリックについて)賞賛してるわけでも批判してるわけでもない、と申し上げましたけど、聖書一辺倒、絶対視ではなく、聖書と伝承をほどほどに信仰の軸とする、「それはそれ、これはこれ」というあり方は宗教のあり方としては健全かな?と思ったりもするのですよ。キリスト教最大の教派の地位を保っているのは伊達ではない、というか、長年の知恵というか・・。
聖書の場合、仏教の経典のように言っていることがさっぱりわからない、ってことはないのですが、なんていったらいいのか、解釈というか取扱いが難しい書物ですよね。
あまり、これを絶対視しすぎるとややこしいことが多すぎるように思います。
大体、世間から何かと指弾されスキャンダラスな扱いをされるエホバの証人や、ひと頃、世間を騒がせた「イエスの方舟」も聖書的に厳密にいえば、「間違っている」とは言い難いし、オウム真理教など、あらゆるカルト団体の終末思想、末法思想のネタ元となっている「ヨハネ黙示録」とか、正直、こんなもの削除すれば?って文書もありますし。
偶像崇拝、異教崇拝の排除も、あまり度がすぎると「じゃあ、クリスマス(元は古代ローマの未とら教の太陽神崇拝)も止めようぜ」という話になりますし、第一世間との摩擦の元ですし。
聖書の解釈は教会がコントロールする、というと現代の感覚では「言論、思想の自由」の妨害、という感じがしますが、聖書に関してはその方がよい、健全、と個人的には思ったりもします。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - 毛利
2009/10/07 (Wed) 18:51:42
*.ocn.ne.jp
> イエスの考える平和と、人間が考える平和は違うという説教を昔読んでなんとなく納得したのですが、そうなんじゃないかなと今でも思っています。
これ、原文がどうなっているのか知りたいところですね。日本語にないから無理矢理日本語の「平和」を使っているのかと思いました。
あと、今回のテーマの1つ前の33「しかし、人の前で私を知らないという言うような者なら、私も天におられる私の父の前で、そんな者は知らないと言います」も、イエスにしては心の狭い発言だと思います。
どうも、この辺りの一連のイエスの発言は寛容性に欠けている気がしてならないです。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - 入谷
2009/10/08 (Thu) 19:11:21
*.cyberhome.ne.jp
「カルト」という言葉が何回か出てきているのですが、皆さんそれぞれがイメージするカルトって、どういうものなのでしょう。
私はちゃんと調べもせずに、「その構成員を支配するのにマインドコントロールと呼ばれる一連のの技法をもちいる集団」みたいな理解をしていたのですが、これはカルトの一特性に過ぎないのかもしれません。
wikipedia を覗くと、
<quote>
1978年、米国から南米のガイアナに移動した人民寺院信者の900人に及ぶ集団自殺は、米国で社会問題化し、社会的に危険とみなされる宗教団体を指して「カルト」と呼ぶようになる。これを機に 1979年、連邦議会を初め、各州が公聴会を開催した[6]。
</quote>
なる記述があって、「「社会的に危険とみなされる」って何、多数派が「これ駄目」っていったらカルトかよ」というような疑問をもちました。
この米国風の定義に従えば、イエスとその同伴者からなる集団は文句なしにカルトかなという気がします。
皆さんのお考えはいかがですか。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - れお
2009/10/08 (Thu) 19:24:49
*.home.ne.jp
言いだしっぺなのに、「なんとなく…」で捉えていることばかり書いてしまって、申し訳ないです。
私が解放されたというのはたまたま私の個人的事情が先にあったからで、普通は対立したくもない家族と対立しなくてはいけない、そんなつらい状況を書いてあるというのは理解しています。
毛利さんがおっしゃるように、「原文」までたどらないと分からないですよね。平和という言葉を無理矢理使った…というのは考えもしなかった…浅はかでした。
私は日本語訳しか持っていませんが、フェデリコ・バルバロ訳でも「平和」と書かれてありました。注釈にて「イエズスは平和の王であるが、その平和は欲望と不条理な愛情に反する戦いの果実である」とありました。参考までに記しますね。
33節はうーん…そうですね、人間である私達はどうしても表と裏の顔を持っていますから、イエスから「神との関係ではそんなの通用しないぜ」と言われると「いやーん、いけずう(意地悪ね)」って答えたくなりますね。そのくらいの気概でついて来ないとダメだよってことでしょうね…たぶん。
イエス・キリストは優しい、おおらかな方ですけど、ここを読むと厳しい面もお持ちなのかなぁと思います。優しいだけだと、なんというか優柔不断みたいに映るし、やはりこういう厳しさがないといけないような…。しかし、このテーマの箇所は弟子達が勝手に作っていったとも考えられそうな気もします。
また悩むことになってしまった…しかし、悩むけれど、悩ませてくれるからこそ面白いです。楽しいです。
※脱線した話について
カトリックはなくなる…と書きましたが、書いたあとに「だからこそ長生きする」のではないかと思いました。ノンクリさんが書かれていることに納得しました。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - 毛利
2009/10/09 (Fri) 01:34:44
*.ocn.ne.jp
私のカルトに対する定義(イメージ)は
1. インチキな教義を用いている、或いは教義はまともなものを使っていても、それを曲解して説明している。
2. 反社会的である(長期的な作戦で徐々に信者を増やして国を乗っ取るということも含めて)。
3. 信者を洗脳して、正しい判断能力を損なわせる。
4. 常識で考えれば多額と思われる金を献金/お布施させる。
を満たしている団体、というところです。ちなみに、2を満たしていなければ、単なる悪徳宗教と考えています。一時期、原理主義教会に通っていたことがありますが、私の定義ではその教会は悪徳宗教になります(創造科学を主張する、洗脳する、洗礼後は1/10献金の強制)。
イエスの場合を考えると、当時の人からしてみれば聖書を曲解しているので1は該当する、当時の社会から照らし合わせると反社会的なので2も該当する、盲目的に従った信者も多かったと思うので3も該当していると言えます。ただ、4については全く満たしていないと思っています。少なくともイエスに金を払うというシーンは聖書を通して1度も無い筈です。ですので、限りなくカルトと思われても仕方ないような行動を取っていたけれど、最後の一線でカルトではない、と私は思っています。
2009/10/11 (Sun) 09:49:42
*.infoweb.ne.jp
前に書き込んだことと矛盾するようなことを言いますが、最初の34節がイエスの言葉の核になる部分で、その後、あとの部分がくっついて伝承が成長してきたという考えもありかな、と思います。
35節以降の家族との対立に関する記事のために、「平和ではなく剣を」と言っているのが家族との対立のように私たちは思わされていますが、実はイエスはそういうつもりで「平和ではなく剣をもたらすために私は来た」と言っているのではない可能性があるからです。
34節での「平和」はエイレーネー、やはり普通に言われる平和という単語です。
「平和ではなく剣を」と言ったイエスの真意がどこにあるのか、はっきりとはしませんが。
注意しなくてはならないのは、私もよくやることなので自戒をこめて言いますが、ついついイエスを理想化しすぎてしまって、自分の依り頼んでいるイエス像と合わないものを、「これは本当のイエスの言葉ではなく、後代の加筆ではないか」と思ってしまいがちなのですよね。
そうではなくて、イエスというのはわけがわからんやつだ、ちょっと普通の感覚ではない言葉を口にしている、むしろわけがわからんことを言っている言葉ほどイエス自身のものなのではないか、と考えることもできるのです。
そういう風に考えると、最初の「俺は平和をもたらすために来たんじゃない。平和ではなく剣だ」というわけのわからん言葉の切っ先をかわすために、家族との対立の説明、あるいは十字架を背負うという観念化が行われてこの聖句になっているのではないかとも考えられるのですが、どうでしょうか。
2009/10/11 (Sun) 09:56:39
*.infoweb.ne.jp
あと、「剣」という言葉なんですが、まだ日本語でしか確認してませんが、ここではマタイは「剣を」と書いてますが、並行のルカでは「分裂を」です。
それからマタイだけは、イエスの逮捕の場面で、有名な「剣を取る者は、剣で滅びる」という言葉を記録していますが。他の福音書の記者は、この言葉を記していません。
特に違いはルカで際立っていて、ルカ版ではイエスと共にいた人間が大祭司の手下に斬りかかって耳を切り落とすと、「やめなさい。もうそれでよい」と言っています。
暴力の部分肯定ですね。
ルカの場合もっと面白いのは、剣を用意しなさいと言っていますから、絶対非暴力ではないんですね。
「剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい」
「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」
「それでよい」(ルカ22章35−38節)
Re: 2009年10月の「みんたた」 - れお
2009/10/12 (Mon) 22:05:36
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後代の加筆と考えるのは早計なのかなぁ…。確かに、その…こう言っちゃあ何ですが、変人だからなぁ、イエスは…。「は?今何て言ったの?」と耳を疑いたくなるようなことをサラッと言う人ですからね…。「平和ではなく剣をもたらす」の部分は本人が言ったのかもしれませんね。
なんだか、最近「後代の加筆」と考えて読むことが多くなってきました。そういう癖を見直す良いきっかけになりました。おかげさまで。
あと二十日間ほどありますから、じっくり考えようと思います。また振り出しですなぁ…。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - とま
2009/10/13 (Tue) 21:45:55
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ご無沙汰ぶりに、たたいてみまふ(爆
>34「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
「外ヅラだけの"平和(なあなあ主義、とも言う)"なんてクソ喰らえ、そんなんだったら本音ぶつけろ」
…という事を言ってるのかなと思ったのですが。。。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - トマス
2009/10/14 (Wed) 13:40:21
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>「外ヅラだけの"平和(なあなあ主義、とも言う)"なんてクソ喰らえ、そんなんだったら本音ぶつけろ」
それ、いいですね。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - hotaro
2009/10/15 (Thu) 18:31:25
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当時の社会状況を考えると、イエスの運動は、熱心党(ゼロテ)やエッセネ派と似たような反ローマ的な性格のものだと思われます。また、そのローマと結託して、民衆の貧しい生活を顧みることなく、奢侈や単なる律法主義に堕している、パリサイ派のような宗教貴族をも激しく攻撃しました。私たちは、現在の南北問題を考えただけでも、資本主義社会における、徹底した収奪と虐げられている貧しい人々のことを、福音の原点に立ち返って考えるなら、イエスのことばは充分に、そのまま理解できると思います。平和、というものも、安定とか魂の平和・平安のような精神的なものだけではありません。家族や財産を捨てて、従ったというのも、誇張ではないと思います。剣や暴力も完全に否定してはいませんけれど、ゼロテのような権力奪取ではなく、最後までいと小さき者と共に歩み、死んだ、というところが、すごいと思います。
Re: 2009年10月の「みんたた」 - れお
2009/10/26 (Mon) 19:43:32
*.home.ne.jp
hotaroさんの考えもなるほど…と思いました。「家族や財産を捨てて、従ったというのも、誇張ではない」というのも分かるなぁと思いました。
牧師さんの「ルカによるとイエスは絶対非暴力ではない」という箇所ですが…暴力とまでは呼ぶかどうかは個々人によるかもしれませんが、そういえば「マルコ11章15〜19節 神殿から商人を追い出す」では随分過激な一面があったよなぁ…と思い出しました。
で、ここから提案ですが、もうそろそろ11月のみんたたのテーマの募集をかけてはいかがでしょうか。次回も楽しみです。
神社・仏閣は気持ち悪い? - ノンクリ
2009/10/11 (Sun) 23:02:24
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私、諸事情ありまして、保守派プロテスタント教会の方々と関わりがありまして。人間的に気に入らない、という方は決していないんですが、どうにも気になるのは「信仰歴が長いともう神社仏閣とかにアレルギーが出て、入ったりすると気持ち悪くなるんだよな」なんていうこと。
もちろん、悪意とか仏教・神道への中傷誹謗なんて意識はないのはわかります。でも、そういう話聞くと、正直胸糞が悪くなるんですよね。
別に私自身仏教・神道に対するシンパシーが特別あるわけじゃないんですけど、非常に身近な身内に仏教系の団体の信徒もいたりしますし、どうも、一言いってやりたくなる衝動を抑えるのに苦労します。まあ、黙ってはいますけど・・・。
大体、私とか別の非クリスチャンが「教会はいると気分悪くなるんだよな」なんてたとえ悪意がなくても、言ったり思ってたりしたらどんな気がするんだい?って聞きたくなるもんで。
正直、人間関係にいろいろな宗教の人間が入り混じっていると気を遣いますね。別にこれと言って主張したいことがあるわけでなく、単なる愚痴ですけど。失礼しました。
2009/10/12 (Mon) 00:57:29
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私は、ほんとに一言言ってくださったらいいのに、と思いますよ。ここではちゃんとおっしゃているわけですし(笑)。
もし、あんたが逆の立場だったらどう思うさ? と聞いてみてくださいよ。
業界人じゃないからこそ、素朴な疑問をぶつけることができる特権があると思いますよ。
Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - ラム太郎
2009/10/12 (Mon) 01:07:14
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実はですね、最近車に乗り始めて、交通安全ということに非常に敏感になっています。
そうなると、”神社でお祓いしてもらいたいなあ”とやはり思ってしまいます。
だって、キリスト教会ではしてもらいないですから。。。でも、初穂料って、それなりに高そう。
”アレルギー”とかでしたら、まだ可愛いものだと思います。
過去に某教会で、世界三代宗教のうちの一つの
救世主に対し極めて無神経な発言をした人がいました。
私は、べつにこの宗教とは関係は無いのですが、非常に腹が立ちました。
というのは、”世界平和”とは限りなく遠いものを感じてしまったからです。
こういうところから、宗教戦争が始まったりするんだなあ、と悲しい思いをしました。
”知らない”というのは、本当に恐ろしいことですね。
2009/10/12 (Mon) 11:23:16
*.infoweb.ne.jp
あ、私でよかったら、おはらいの祈祷しましょうか?(笑)
以前、職場の学校の先生で、「このズボンをはくと、かならず怪我をする。おはらいしてもらえないか」と頼まれて、やったことがあります。
まあでも、それは私個人でやったことがあるだけで、キリスト教会の共通理解にはなってませんけどね。
もともと信者ではなくて、だんだんとキリスト教会に入ってきて現在に至っている者の一人として、昔から私が思ってきたのは、「本当に唯一の神というのだったら、あの神はおかしいとか、この仏は間違っているとか、そんなことは言わないはずだろう」ということです。
本当に唯一の神がおられるのだったら、それは全ての人のための神なのであって、宗教間の対立などはありえないはずだろうということです。
でも、それと同時に、いろんなクリスチャンや他の宗教の人たちを観て思ったのは、「誰も究極的な真実を完全に会得した人はいない」ということでもありますね。
みんな自分が正しいと言っていろんなことを主張するけれども、客観的に見て、どれがいちばん正しいと判別できないくらい、いろんな立場で立派なことを言う人がいるわけですよ。
そしてまた、自分たちが正しいとか完全だとか言いながら、人間的には非常に欠点が多い、ともすれば、「どんなに正しいかなんだか知らないけど、この人と同じ信仰をもって、この人のようになるんだったら、この人と同じ信仰は持ちたくないな」と思わされるようなこともあるんですね。
もちろん、私自身についてもそう思っている人はきっといるんでしょう。
そうすると、「人間は神など完全に把握することなどできないのだ」と思わずにはおれなくなります。
ですから「無知の知」とも言いますけど、自分が本当は何も知らないに等しいのだと、各々が自覚して、互いを尊重しながら行きてゆくしかないような気がするのですが……。
まあ、そんなことを言っても、「それはおまえが真理を知らないだけだ。自分が無知だからといって、人まで無知と言うな」と、立派な方々からはご批判を受けるかもしれませんが。
Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - ノンクリ
2009/10/12 (Mon) 11:24:54
*.dion.ne.jp
いや〜、小心者ですし、私。実は彼ら(今回のスレの人々)ではないんですけど、別の人(保守系のクリスチャン)にですね、私がかねてからこの板で主張していること、例えば、「そんなに異教崇拝、偶像崇拝がイヤなら、なんでクリスマス(元がミトラ教の太陽神崇拝)は平気なの?日本の異教はダメであっちのはいいの?」みたいなことをいったことはあるんですよ・・。
そしたらですね、少々キレられましてね「信仰のない人間にガチャガチャいわれる筋合いない」とか「そんなことは大したことじゃない(なら、それこそ神社仏閣をそんなにタブー視することないじゃんって思いますが)」って感じで話しにならないもので、つい、日常生活に支障をきたさないことで、いらん波風立てるのはやめとこ、って思うもので。
とにかく、この種の人々は理屈とか理論でどうこういってもダメです。例の進化論云々とか、ここの「みんたた」でやってるような聖書の話に関して、いくら客観的な事実とか矛盾を突きつけても、聞く耳もたず、余計、いこじになりますから・・。
蛇足ですけど、ようつべ動画をいろいろ漁ったら、こんなのがありました、参考まで。
http://www.youtube.com/watch?v=LACyLTsH4ac
Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - ノンクリ
2009/10/12 (Mon) 12:15:56
*.dion.ne.jp
>交通安全祈願
お祓いまでやってるかどうかは知りませんけど、カトリック教会ですと交通安全の祈祷文とかお守り(のような)グッズがあったように思います、確か。現実的というか世俗的というか。
まあ、こんなところがルターやらカルバンやらの攻撃材料となったんでしょうけど。
>世界三代宗教のうちの一つの救世主
たぶん、最高にして最後の預言者であるあの方かな?と想像しますが。(的はずれならすみません)
確かに、他宗教、それも全世界に何億もの信徒を抱える信仰に対する故なき中傷誹謗は厳に慎むべき、っていうのはわかりますし、当然です。
また、その教えの優れた部分は十分認識してるつもりですし、原理主義者、過激派はごく一部ということもわかってます。
でも、その辺を考慮した上であえていうのですが、「あの方」にはあまりにもタブーが多すぎなんじゃないか、と。間違っても「聖おにいさん」みたいなマンガのキャラにはできないし(原作者がインタビューでシャレにならないからやめた、とはっきりいってますし)。まあ、単純にイエスやブツダに比べてキャラ立ちがいま一つってこともあるんでしょうが。
そもそも、人であり神であるイエス様と違い、あくまで人間であるあの方に対する扱いの方がよっぽど気を使われている、というのもなんだかなぁと。あまりにタブーが多かったりとか、自主規制を徹底してしまうと、悪意が陰にこもって却ってヒドいことになるんじゃないか?と思わないでもないです。
実際、「あの方」の教えを信ずる人々への中傷誹謗の主に欧米系の動画、サイトはネットでいっぱいみかけますし。
これ問題発言ですかね?こういう意見を開陳するとやっぱり断罪(差別肯定ということで)されちゃうのかな?
ちなみに「聖おにいさん」なんですけど、最近はそのセルフパロディーというか別バージョン「最聖☆戦隊ホーリーメン」なるものが連載されてますね。
なんでも、一般人として立川で暮らす聖イエスと聖ブッダ。しかしひとたび立川に危機が訪れれば最聖☆戦隊ホーリーメンに変身して悪と戦う、ようですが(未読)。
ここで、戦隊に「あの方」も参戦すれば面白いなぁ、とは思うけどダメでしょうね。
Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - 毛利
2009/10/12 (Mon) 14:20:25
*.ocn.ne.jp
ノンクリさんの話に登場する「少々キレた人達」って、人前では矛盾についても言及しないでしょうが、自分達の頭の中では、矛盾などについてどのように処理しているのでしょうか?
例えば10月のみんたたの聖書箇所を読んだ時に「あれ?」とは思わないのかな、とか、色々な科学番組で数億年前のことを普通に取り上げているのに、聖書では1万年前に宇宙が出来たことになっているとか、聖書は1言1句正しい神の言葉だと言っていながら、福音書間でも微妙ながら内容が食い違っているとか、そういう場面に遭遇した時に、彼らはどう処理しているのでしょうか?そこのところに興味があります。
まぁ・・・YouTubeにもありましたが、結局は洗脳されてしまっているのかな、なんて思っていますが・・・そういう人達とは関わりを持ちたくないというのが本音です。
Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - トマス
2009/10/12 (Mon) 14:38:48
*.aol.com
>交通安全祈願
最近ネタがカトリックに寄ると出て来ている気がする(苦笑)
手元に、カトリック札幌教区典礼委員会の手による『祝福の祈り』があるのですが、この中には「物への祝福」の部がありまして、信心用具、典礼用祭服・祭器具、復活祭の卵、などの祝福と並んで、家(定礎式、棟上式、新宅)、自動車、船、家畜、田畑、の祝福の祈りの式文が載っています。
で、自動車のところを見てみると、交通安全だけを祈るのではないですけど(そこがカトリックらしいかも)、ちゃんと交通安全も祈っていますね。
Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - ノンクリ
2009/10/12 (Mon) 19:07:33
*.dion.ne.jp
まあ、聖書に矛盾があること自体はドキュメンタリーとは違いますし、別に批判されるようなことでもないんですけど、それがあまりにも過剰に絶対視されると、ちょっとね、ってことで。
>「少々キレた人達」
いえ、社会生活上は常識人ですし、もちろん、カルトってわけじゃありません。ただ、その信仰には個人的についていけないなあ、話合わせるのがつらいなぁ、って愚痴っただけでして・・。YOU TUBEの人たちみたいではないですよ、念のため。
あの映像にはあまりにびっくりしたんで、つい紹介してしまいました。なにしろ、いきなり「世界には二種類の人間しかいない、イエスを信じる者、信じない者しか」なんて挑発的なセリフですからねぇ。
>最近ネタがカトリックに寄ると出て来ている気がする(苦笑)
トマスさん、本当にカトリックにお詳しいですよね。本当にプロテスタントの牧師さんですか?もしかして、改宗したんじゃ?(笑)
カトリックは一見、古臭いようにみえて、ミサにしてもマニュアルが全世界共通できっちり整っていて、信徒のニーズに合わせた式文、グッズの開発と、実にシステマチックですね。まさに、キリスト教業界のトヨタ、世界一の多国籍企業といった趣ですね。(違うか?)。
2009/10/12 (Mon) 22:26:30
*.infoweb.ne.jp
いやーノンクリさん、興味深い映像のご紹介ありがとうございます。
Jesus Campという子ども向けのキャンプなんですね。これはひどい。犯罪ですね、これは。
うちの学校でやってる礼拝なんかのほうが、よっぽど健全ですよ。インパクトはないかも知れませんが。
お祈りに「アーメン」と声を合わせてね、と言うくらいですね。それも「賛同できる場合にね」と言ってますからね。
礼拝メッセージも、過度に感情的にならないように、みんな気を遣ってますよ。
たとえば、よく人気のある教師が、感情的に高ぶって涙なんか流して、故郷の親の愛のこととか話して、生徒がもらい泣きしたりするのも、ぼくは嫌いなんですよ。
あと、本題とは違いますが、あの説教師、原稿も見ずに、よくあれだけ人を巻き込む話ができるなあ、と変なところに感心しました。
まあ、原稿読んでたら逆にできないですかね。べつに人を洗脳したくもないですけど。
Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - 毛利
2009/10/13 (Tue) 01:02:53
*.ocn.ne.jp
会話の脱線王ですみません・・・。
洗脳って、ああやってやるんですか?上手に洗脳すれば私も仕事が楽しくて楽しくて仕方ない、そう思えるようになるのでしょうかね・・・。それが出来るなら、洗脳を受けてみたいです。
Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - さかな
2009/10/13 (Tue) 18:58:19
*.ezweb.ne.jp
あらあら、久しぶりに来てみたら、今度は石を投げるなと言った本人達が石を投げてるのね?
何でしたっけ?
>(2)自分以外の個人または団体を中傷・攻撃したりしないでください。
または団体を中傷・攻撃したりしないでください…はあ…おが屑を取らせて下さいと言う前に、目の前のまるたに気づきましょう!(笑)
ま、しょうがないですね、人間ですから(笑)
あと投稿しませんよ
なんか馬鹿臭くなってきた(笑)
Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - トマス
2009/10/13 (Tue) 19:07:27
*.aol.com
無視しようかと思いましたが、すぐ上の御下劣な投稿の管理人削除を要望します。
あ、けっして毛利さんの投稿のことではございません。
Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - トマス
2009/10/13 (Tue) 19:09:35
*.aol.com
>洗脳
ウチの回線は激安低速ADSLなので動画再生はしないことにしているので、どんな画像が上がっているのか見ておりませんのですが、…
毛利さん、そらぁアレですよ
>上手に洗脳すれば私も仕事が楽しくて楽しくて仕方ない
成れると思います(キッパリ)
ノンクリさん、グッズの方は知りませんでした。面白いネタをいただきまして感謝です。
カトリックは世界共通の部分だけでなく、国や修道会ごとのバリエーションがスゴイです。またそれだけバリエーションを持たせることができるという懐の深さが半端じゃないです。(以下自粛)
Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - とま
2009/10/13 (Tue) 21:52:00
*.dion.ne.jp
>信仰歴が長いともう神社仏閣とかにアレルギーが出て、入ったりすると気持ち悪くなるんだよ
…とすると、昔神社の雅楽会に所属して観月会に出たり
今現在のご近所のお気に入りゾーンが氷川参道と氷川神社だというワタクシは何でしょうねえwww
プロ系の幼稚園に入ってた甥なんて、隣の教会の礼拝堂に入ったら
「暗くて怖い」って真っ先に泣き出したそうだし、
ワタクシの今の所属教会なんか見方によっては洞穴みたいだし。。。
Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - ノンクリ
2009/10/13 (Tue) 22:15:59
*.dion.ne.jp
とまさん、お久しぶりですね。そういえば一昨年のオフ会でお見かけして以来のように思いますが。
そうですね、私なんかはこの業界(キリスト教世界)に関わるようになって却って、神道とか仏教への関心、敬意というか奥深さも理解できるようになった気が(あくまで「気が」ですけど)するようになったと思うんですけどね。
ちなみに私、保守系の教会でよく言われる「BORN AGAIN」って言葉、苦手なんですよ。
別に仏教、神道シンパでもないのに、神社・仏閣忌避のクリスチャンとか教会にアレルギーを感じるのは、なんでだろ?と考えると、(クリスチャンになることは)、これまで、自分の人生を構成する上で関わってきたもの、培われたものを否定、破棄しなきゃいかんの?みたいな乱暴さ、というか押しつけがましさ、というか洗脳じみたものを感じてしまうからなんですよね。
それこそ偏見かもしれませんが・・。
Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - とま
2009/10/13 (Tue) 22:31:58
*.dion.ne.jp
ノンクリさん、皆さんお久しぶりです(爆
ご挨拶が遅れまして。。。
「BORN AGAIN」という言葉に関してはワタクシも駄目ですね。
自分が生まれ出た場所を切り離してしまったら「己の何たるか」という「根拠」が完全に失われるわけで、
そのようなことは本来ホイホイやることではないはずですしね。
「切り離す」のではなく「通過点」として自分の一部にしておくのがおそらく正解なんだと思います。
そういえば富田先生の「おはらい」で思い出したんですが、ウチの教会でも
「魔鬼を祓うための祈祷」とか、「成聖祈祷(カトで言う"祝別")」などが結構あります。
ロシアあたりだと種類が沢山あって、まるで神社のお祓いみたいです(笑)。
Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - ノンクリ
2009/10/13 (Tue) 22:58:48
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神社仏閣忌避系の教会の牧師さんたちの言い分は「(焼香など)別にやっちゃいけない、とはいっていない。でも、信仰が深まると自然とそうなる(そのような行為はできなくなる)」とのこと。
でもねぇ、日常的に「神社仏閣に入ると気分が・・」とかいう会話を聞かされ、教会報などで、クリスチャンになるために仏壇ぶっ壊した人の話を読まされたりすると、そりゃ、「自然」と「(神社仏閣に関わることが)後ろめたくなりますよね。
いや、確かにクリスチャンになれば仏壇は不要ですし、破棄したり、売ったりするのもやむなしとは思うんですが、それを得々と記事にするセンスが私にはどうにもついていけないものがあって・・。
とくに純真な人ほど、「神社仏閣には関われないんだ・・」って思うでしょうね。ここでいう純真っていうのはこういう問題(他宗教に対する対応)はキリスト教世界でもかなり意見が割れていることを知らない人って意味で。
Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - とま
2009/10/13 (Tue) 23:14:21
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>信仰が深まると自然とそうなる(そのような行為はできなくなる)
あ、それってウチの教会でも時々言う人います。
かと言って、そういう人でも「信徒の事情を無視してもいい」とはさすがに言いませんけど。
いつだったか、今の教会の昼食でお菓子が回ってきた時にいつもの習慣で手を合わせたら
「ここは教会だから、手を合わせられると違和感ある」
と面と向かって言われてしまい
「…は?」と言いたくなった思い出があるのですが、
実はこの「違和感ある」と言った人は4代目の信徒さんで、
他の宗教・教派のことをご存じない人だった…
というオチだったりします。
Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - トマス
2009/10/14 (Wed) 13:22:27
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>信仰が深まると自然とそうなる(そのような行為はできなくなる)
とまさん、おひさしぶりです。
ガキの頃は一途に神社仏閣のたぐいは偶像崇拝と思っておりましたです。ハイ。そんなこと言っている私も○代目です。
でもねぇ、そうじゃないんだな、ってことが年齢を重ねるごとに判ってきたような気がします。今では山そのものを御神体にした神社(関西だと三輪山とか)の良さなんかも随分と判ってきたように思います。詳しく書くと長くなるのでやめておきますが。
仏教のことなんかも仕事の都合で多少勉強してみたら、あれはあれでナカナカによいものだと思うようになりましたね。実はガキの頃は同じぐらいにカトリックのことも不勉強だったということを痛感中。
それぞれにいいところがありますよね。ただ、政治がらみで個人を神格化した神社は相変わらず苦手です。
仏教はお嫌い? - 愚峰
2009/10/21 (Wed) 17:28:20
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お久しぶりです。
そもそも、クリスチャンの方って、仏教嫌いって方が多いのですか?
Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - hotaro
2009/10/22 (Thu) 17:42:46
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以前は、キリスト教を信じていれば、仏教と衝突するのは、あたりまえ、と考えていましたが、今はそうでもないです。紀元前 700年頃、老子直前の中国、ヒンドゥー教が、バラモン教だったインド、そして旧約聖書ができる直前のヘブライ人は、共通の霊性を持っていたのではないか、と考えています。これは、ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」を読んで、かなりその確信が深まりました。「宇宙を流れる生命のエネルギー」と言われる、「気」です。これが、三輪山の霊気ではないか、と思います。まだキリスト教も仏教もない時代の、この霊性を共有できれば、いっしょに、それ以降の生臭い、権力と癒着したり、特定の個人をあがめるような堕落した諸宗教の罪悪と戦えると思います。
Re: 仏教はお嫌い? - トマス
2009/10/24 (Sat) 08:14:37
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愚峰さん、お久しぶりです。お元気にしておられますでしょうか。
>そもそも、クリスチャンの方って、仏教嫌いって方が多いのですか?
よくわかりません…。
一般的な話としては、やはり日本のプロテスタントはアメリカン・ピューリタニズムを経由して輸入されていますから、他の宗教を「異教(多分に偶像崇拝=邪教のニュアンスが籠もっている)」と見る部分が有る、あるいはすくなくとも有った、と言えるかと思います。
ただ、カトリックが第2バチカン公会議で大きな方向転換を遂げて以来、海外のキリスト教界に目の向いた人であればプロテスタントの信者もかなり変わったと思います。カトリックの場合、少なくとも現在の公式の立場としては、自らの信じるものの真理性を疑うことではないけれども、他宗教にも一定の真理契機が有ることを我々は理解する、ということになっています。
日本のプロテスタントの場合、そのあたりが「自分たちにしか真理はない」人が多いわけでして、下手すると仏教どころかキリスト教の中でも「自分たち」以外は間違っているということも…。ま、そうなると当然のように仏教の中の真理契機を受け入れる余地はないのでしょうねぇ。
そこまで行かなくても、今でもアメリカン・ピューリタニズムに「しっかりと立っている」(←これはキリスト教用語?俗な言い方をすれば、頸までどっぷり浸かっている?)人たちの中には、第2バチカン公会議を「堕落」と評してはばからない人が…。
2009/10/24 (Sat) 23:52:34
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私も、洗礼を受けた当時は、キリスト教以外の宗教は、邪宗だと思っていました。某日本キリスト教団のN教会というところでしたが、そういう信徒教育をしていたんですね。
いつごろからだろう、仏教もなかなかいいぞと思い始めたのは……。
ちょっと思い出せませんけど、同志社大学の神学部に入ったころには、そういう独善的な考えからは脱却していたと思います。
カトリックの第2バチカン公会議(とまさんのボキャで言うと「ニバチコ」(笑))の影響って、じっさいどの程度浸透しているのでしょうか? リベラルな人が動きやすくなったような話は聞いてはいますけど、ラッツィンガーの支配で逆戻りしているという話も聞いています。
伝聞ばかりで申し訳ありませんが。
プロテスタントは確かに仏教嫌い多いですよ。
あ、火曜日の夜、京都で飲んでましたらね、玄侑宗久さんに会いました。見かけたので、挨拶しに行ったんですが、挨拶だけで頭下げて帰ってきましたけど(笑)。「何をしたかったの?」という目で見られました、ハア。
Re: 神社・仏閣は気持ち悪い? - ノンクリ
2009/10/25 (Sun) 11:32:52
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仏教が嫌い、というより、キリスト教の(偶像を拝まない)優位性を信じて疑っていない(もちろんストレートにはいいませんが)タイプと、純粋に偶像崇拝、異教崇拝はダメと真面目に考えるタイプの2種類(神社仏閣忌避タイプのクリスチャンには)がいるような気がします。
真面目タイプの方には、神社仏閣そのものを眺めるのは大好きって人がいて、つい、手を合わせたりしないように気をつけているとのこと。
やっかいなのはキリスト教の優位を信じて疑わないタイプですけど、これにしても、自分の信仰が正しい、との確信がなければ宗教などやっていられないわけで、一慨には非難できないですね。ただ、何事も極端なのはダメよというだけで。
繰り返しになりますが、問題なのは、子供時代、若い時分から所属する教会以外のことを知らず、純真に(神社仏閣ペケ)って信じこんじゃってる人ですね。
まあ、どちらのタイプも、私がエラそうにいうのもおかしいんですが、もっと広く、自分の所属する教会以外のクリスチャンとか別宗教の見聞を広めてもらいたいな、と思います。その上で、神社仏閣はやはりクリスチャンとして近寄れない、という結論に至ったのなら、もうそれはしょうがないし。
2009/10/10 (Sat) 16:16:54
203.140.72.82
ここ数週間、大阪市およびその近辺のプロテスタント教会が襲撃されているという事件をご存知ですか?
消火器が消化液を噴射した状態で、教会に投げ込まれるのです。投石もあります。
教会のガラス窓を突き破って、かなり強烈な力で投げ込まれています。
時間は深夜から明け方です。
もう40件以上の被害が出ています。
カトリックと聖公会の教会には被害は出てないそうです。しかし、プロテスタントと言っても、日本キリスト教団の教会だけではなく、純福音系の教会も襲撃されているそうです。
この事件について、お心当たりのある方はいらっしゃいますか?
牧師たちは皆悩んでいます。「自分が傷つけたあの人、この人……」と思い当たる節が、皆あるそうです。襲撃されたから怒るのではなく、自責の念にかられている牧師さんたちがたくさんいます。
この一連の襲撃が終わることを願ってやみません。
また、犯人の抱えている問題が解決されることを願います。
Re: 教会襲撃事件 - 毛利
2009/10/10 (Sat) 16:52:43
*.ocn.ne.jp
はじめて聞いたニュースです。
40件以上とのことですが、1人でそこまで教会を探して攻撃することは無理ではないでしょうか?
特定の個人が恨んでの犯行と言うよりも、もっと集団によるものではないかと思われます。
人命に関わる事件に発展しなければ良いのですが。
Re: 教会襲撃事件 - ノンクリ
2009/10/10 (Sat) 23:23:47
*.dion.ne.jp
私も毛利さんと同様、これは個人的な恨みとか心の傷がどうのこうの、という問題ではないような気がします。関東では今のところそんな話は聞かないですね。
カトリックと聖公会が襲われない、というのも妙というか何なんでしょうね?。中世ヨーロッパじゃあるまいし、今更、教派間の争いじゃないでしょうし?
2009/10/11 (Sun) 02:04:35
*.infoweb.ne.jp
大阪府警があまり積極的に操作しようとも思ってない態度なのが、悔しいところです。マスコミが注目しないと、本気で操作する気がないのでしょう。まあ、世の中事件が多すぎて、何もかも本気で取り組むわけではないでしょうが。
Re: 教会襲撃事件 - ラム太郎
2009/10/11 (Sun) 19:08:27
*.ocn.ne.jp
うーん、これって単なる悪質なイタズラのような気がしますが。
カトリックや聖公会は概して敷地が広く、一旦敷地内に入らないとその手のイタズラは難しいと思います。
でもプロテンスタントの教会は、敷地が狭く、建物の窓が道に面しているような所が多いですね。
それに教会の窓って、たいてい大きくて数が多いですよね。
しかも、警備体制なんて皆無でしょうから。
(セコムしてる教会なんてないですよね?)
イヤな世の中ですが、まずは防犯カメラを
設置するとか?ああ、設備の性質上無理なのでしょうか。。。
それほど頻発しているのでしたら、教派を越えた
連絡体制で監視しないと、解決は難しいのではないでしょうか。
Re: 教会襲撃事件 - ラム太郎
2009/10/12 (Mon) 00:08:35
*.ocn.ne.jp
自責の念にかられている牧師さんたち、というのが良く分かりません。
そういう犯罪が多発しているのなら、まず止めさせないといけないではないですか。
そうしないと、実行している輩は、益々罪を重ねることになると思います。
そうなったら、より自責の念にかられるのではないですか?
第一他の犯罪に波及する可能性もあるし、
特に消火器・・・どうせ手近にあるご町内の消火器を放り込んでいるのでしょう。
そうなると、いざというときにご町内で消火器が
使えなくなります。
もはや教会だけの問題でなく、地域のそして社会の問題になっていきます。
長老会議とか、こういう時にこそ機能しないといけないのでは?
それと、牧師さん達も警察だけでなく、地域の町内会の会長さんとか、議員さんとかとも話をしないと、このような件は解決が難しいと思いますが?
牧師さん方のお仕事は大変なことが多いとはお察ししますが、自責の念云々は、まずこの事件が解決してからでも遅くはないはずです。
しかし、この事件を放置しておくともっと波及していくかもしれない。。。それが怖いです。
落書きなども、最初は少なくても、放置しておくと大変なことになっていくようですよ。それよりもっとタチが悪そうです。
被害に遭われた牧師の皆さん、こういう時こそしっかりして欲しいです。
悪いことは、悪い! はっきりしましょう。
2009/10/12 (Mon) 11:09:09
*.infoweb.ne.jp
長老会議というのが、一軒の教会のなかの長老さんたちの話し合いなのか、それともある教団のなかの「長老会議」という組織のことなのか、あいまいなままでお話ししますが、異端審問と魔女狩りのような内向きの宗教裁判にうつつを抜かしているようなところもありますから、こういう現実の問題への対処には疎いところがあるでしょうね。
消火器は、近所にあるものを盗んで行っているようです。ですからラム太郎さんがおっしゃるとおり、地域の問題として深刻な犯罪です。
自治会については、私は自分が自治会長をやって初めてわかったのですが、クリスチャンや教会がいかに地域との結びつきに疎いかということですね。
まあ町内会にもよりますけど、地域の神社と結びついていたり、逆に宗教は疎ましがられるから、といって孤立的な立場になっているところがあったりするのではないかなと想像しています。
Re: 教会襲撃事件 - トマス
2009/10/12 (Mon) 14:28:32
*.aol.com
きちんと捜査してくれないというのも困りますが、下手に報道されて模倣犯が出るのも勘弁して欲しいですね。
一般的な消火器はピンを抜いてから十数秒しか薬剤が出ませんでしょう。その間にガラスを狙って投げ込むのですから、相当に手慣れた犯行のように思います。それとも窓を破った衝撃でピンが抜けるように設定してあるのかな?だとすると相当に悪意のある行為ですね。
Re: 教会襲撃事件 - 毛利
2009/10/12 (Mon) 14:45:27
*.ocn.ne.jp
日本の、某宗教団体施設に火炎瓶だかを投げ込んだ人は、凄く重い刑に服しているのに・・・。以下略。
Re: 教会襲撃事件 - hotaro
2009/10/13 (Tue) 17:57:58
*.bbtec.net
単発的でない、ということから、私は、こういうものは、よくその社会的な背景を考えないといけないと思います。牧師さんがたは、個人的な恨みかもしれないと思って、牧会上のトラブルをお考えのようですが、私は、この事件に関しては、自分の考えの投影かもしれませんけれど、プロテスタント教会に対する、ある種の苛立ちから発展した社会的な恨みのようなものを感じます。イエスだったら、どのようなリアクションが考えられるか。おそらく、その犯人の思い、あるいは、そのようなアクションにいたるグループの精神的に追い詰められた状況に思いを寄せるのではないでしょうか。
Re: 教会襲撃事件 - トマス
2009/10/13 (Tue) 19:22:06
*.aol.com
>自責の念
一般的な話として、こういう場合にまず自分が誰かを傷付けなかったか?と疑うのは牧師一般の気持ちの持ちようとしてあると思います。
まぁ、腹の中では「ゆるさん、しばいたる」と思っている人もいるかもしれませんが、立場上なかなかそれを表には出せませんでしょう。
もっとも、今回は連続してということですから、hotaroさんが書いてくださったように、個人的な恨みとかではなくて、もう少し広い背景を考えた方がいいのでしょうね。個別の恨みがプロテスタント教会全部に及んでいる可能性もあるのでしょうけど。
でもって、ラム太郎さんが書いてくださったように、敷地が狭いから道路から直接狙えるというのはあるかもしれませんね。それって厄介だな。
>セ○ム
するだけの資金的余裕がない教会がほとんどだと思います。いずれは考えなきゃいけないのでしょうけどね。まぁでも人目に付くところに警備会社のシールを貼ってある教会、って確かにちょっと違和感あるかも。わたしが一見さんだったら安心感よりも「ここは狙われるの?」って心配が先に立つかも。少なくとも、ここはそんなにお金持ちなの?とは思わないだろうなぁ。あ〜でも目に付くところに貼らないと意味無いですよねぇ(苦笑)
Re: 教会襲撃事件 - とま
2009/10/13 (Tue) 22:02:28
*.dion.ne.jp
>消火器が消化液を噴射した状態で、教会に投げ込まれるのです。投石もあります。
これってはっきり言って犯罪ですよね?
だったらなおのこと放っとかずに通報したほうがいいような。
「人を許せ」とか言ったって、社会的な責任を果たせないようでははっきり言って無意味だと思います。
Re: 教会襲撃事件 - トマス
2009/10/14 (Wed) 13:28:13
*.aol.com
>これってはっきり言って犯罪ですよね?
器物損壊ですね。何処かに設置された消火器をパクって来て投げたのなら窃盗も加わります。
石や消火器を投げるために敷地に立ち入っているとすれば不法侵入も問えるかもしれません。
ただ、良くも悪くも?現住建造物放火に比べると器物損壊は刑が軽いですね。窃盗は実は案外に重いのですが。
Re: 教会襲撃事件 - G
2009/10/20 (Tue) 16:53:58
*.asahi-net.or.jp
本当に困ってしまいますよね。
先日からテレビのニュースでも取り上げられました。
早くおさまるといいのですが・・・
Re: 教会襲撃事件 - トマス
2009/10/20 (Tue) 19:58:04
*.aol.com
Gさん、はじめまして。
本当に困ります。私もボチボチマスコミが取り上げ始めたな、と思って見ているところです。たしかに、早くおさまってほしいですね。
Re: 教会襲撃事件 - ののか
2009/10/21 (Wed) 07:48:38
*.dion.ne.jp
こんなことが起こってたんですね。
怖いです。
こういう卑劣な犯行はやめてほしいですね。嫌がらせなんでしょうが。
2009/10/16 (Fri) 23:27:43
*.infoweb.ne.jp
さっきまで、新しいドラマ『おひとりさま』見てました。観月ありさ、きれいやなー。
私立の学校が舞台なんですが、パッと見てキリスト教学校というのはわかりますね。
「どこだ、どこだ?」と見ているうちに、娘たちが「窓が麦のデザインのステンドグラス風になってる!」「あっ! 本棚に「旧約ナントカ」という本があった!!」と発見、さすがわが娘たち。
エンドロールを見てたら、「恵泉女学園大学」とありました。あー、やっぱりね。しかし、きれいな校舎です。こういうドラマに出てると話題になると、学生集めにも有利に働くだろうなあ……と生臭いことを考えてしまいましたが。
友達がここで働いています。
Re: おひとりさま - トマス
2009/10/20 (Tue) 20:07:33
*.aol.com
>生臭いこと
いやぁ、今は何処も深刻ですものねぇ。
考えてみると(と言ってもドラマはあんまり見ない人なのですが)キリスト教系の学校って、建物にせよ、キャンパス全体にせよ、こういう時に絵になるのでしょうね。適度に飾りがあったりしますものね。
【いのんど】の表記 - 揚州義臣
2009/10/17 (Sat) 12:06:16
*.infoweb.ne.jp
@牧師様へ
お久し振りに書き込みます。
【下世話なQ&A Q. 神さまはなぜ地震や洪水から人間を助けてくれないんですか?】
を興味深く拝見しました。
>奇跡は私たちの心に起きます。それを信じたいと思います。
主のご意志とお力が顕現したであろうこのお言葉は、私にも大いに感銘を及ぼしました。
個人的には最近統計学の本も読みましたので、
「森羅万象のみならず物理法則や事象の確率をご創造しご存続させている事こそが、主のご意志でありお力である」。
「日常的且つささやかな充足や閉塞・偶発的且つ重大な幸福や不幸自体に対して、主は直接ご意志やお力を及ぼしておいでではない」。
「殊人間に対しては、新羅万物の存在や事象の確率に対し魂の成長に繋がる形で意味を見出す様にご意志をお持ちになりお力を及ぼしておいでだ」。
と考えています。
先の話題からの引きですが、酒井法子さん(序でに押尾学氏)にも主のお力とご意志が顕れる様に祈っています。
敢えて申し上げると、御業の解釈に関してインテリジェント・デザインの領域に入り兼ねない箇所があると思いますので、「(異端且つ)進化論の乗っ取りたるID論とは一線を画している」旨ご明示頂ければ何よりです。
私が見落としているだけでもうなさっているかも知れませんし、「主のご存在とみ業を肯定した上で森羅万象を理解する立場からは、創世記も進化論も宇宙物理学もID論も宇宙生命の想定も人間の謬見に過ぎない」といった解釈をすればすっきりしそうですが。
今回の質問ですが、マタイによる福音書23章23節に
>律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。
とあります(新共同訳)。
いのんどは辞書に
>[(スペイン)eneldoから]ディルに同じ
と出ていますが、ディルや【蒔蘿(じる・じら)】はおろかイノンドとさえ表記されていません。
産物の表記が和語やカタカナ英語はおろかカタカナ他国語でさえない例は他に思い当たりませんので、不思議でなりません。
長文の上に肝心の質問はイエス様のご論旨には直接関係なく重箱の隅も良い所で恐縮ですが、どうぞ宜しくご教授下さい。
2009/10/17 (Sat) 21:08:02
*.infoweb.ne.jp
すいません。いのんどというものをよく知りません。
ウィキペディアでわかる程度のこと以上のことは、私は知りません。
聖書植物辞典というのがありますので、それで調べてみましょうか……。明日から遠方に出かけますので、しばらく無理ですが……。
Re: 【いのんど】の表記 - トマス
2009/10/18 (Sun) 04:16:49
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あら、富田先生出張ですか?
御無事のお帰りを。
出張で抜けた分の授業って、結局別の日にやることになるから大変ですよね。まぁそのまま抜けても進度に差が出て大変でしょうけど。
とりあえず、気になりましたので私の方でも調べてみます。さっき一応手元の日本語訳は見たのですが、ちょっと今は書いている時間無いのでまた明日にでも。
Re: 【いのんど】の表記 - トマス
2009/10/19 (Mon) 15:38:43
*.aol.com
さて、手元の翻訳ですが、岩波、岩隈、塚本、バルバロ、フランシスコ会、ではいずれも「いのんど」ですね。塚本訳だけは「蒔蘿」と書いて「いのんど」と振ってありました。
岩波では、注に「セリ科の草で、実は香料に、葉や花は食料になった」と書かれています。ひょっとして少し古い時代にはよく知られた草だったのでしょうか?
ついでにTEVを見たら(今はTEVも新しい訳が出ているとか)"the seasoning herbs, such as mint, dill, and cumin" とのこと。いずれも香料、ハーブの類なのですね。
結局よく判りませんでした。ということで、植物(特にハーブ類)に詳しい方がおいででしたらよろしくです。
Re: 【いのんど】の表記 - れお
2009/10/19 (Mon) 21:13:38
*.home.ne.jp
こんばんは。「いのんど」で検索したら写真つきのがありましたから貼りますね。
http://www2.seisen-u.ac.jp/~hirobe/2002herb3.htm
Re: 【いのんど】の表記 - トマス
2009/10/20 (Tue) 20:01:34
*.aol.com
れおさん、検索ありがとうございます。
れおさんが探してくださったページから少し回送(違)を上がった
http://www2.seisen-u.ac.jp/~hirobe/2002march2.htm
で、広部さんの研究紹介全体を見るとこれもなかなか面白いですね。
こんな事って! - 一郎
2009/09/06 (Sun) 19:39:23
*.wakwak.ne.jp
僕はある牧師に非常に蔑まされました。
女と付き合った事がないだろとか、、
お前の人生低レベルだとか、、
etc.....
僕はその牧師にむかって「殺す」と言い返してしまいました。
そしたらどうでしょうその牧師警察に被害届けを出して、僕は逮捕されて留置場に10日間入れられました。
物凄く憤りを覚えました。
僕は間違ってたのでしょうか?
皆さんこの牧師どう思いますか?
なんでも良いです何か意見下さい。
悔しくて、悔しくて夜も眠れません!
Re: こんな事って! - さかな
2009/09/06 (Sun) 21:21:04
*.ezweb.ne.jp
その牧師、最悪ですね!
私は信者じゃないし、どちらかと言うと道徳的でもない人間ですが、中傷して喧嘩売っといて通報するとかって女々しい奴だと思います、その牧師
酷い目にあいましたね、そんなカスの事気にすんな!と言われても怒りも悔しさも引かないと思いますが、眠れないくらい悔しいってのは辛い事だと思います
ムカつく時の対処法として一応、私なら壁をおもいっきり蹴ったりします
答えになってないですね;;
とにかく私、その牧師フニャ〇ンだと思いましたよ!
Re: こんな事って! - 毛利
2009/09/07 (Mon) 17:48:43
*.ocn.ne.jp
一般論で言うと、牧師=聖人君主、ということではありませんので・・・と言われても、普通は牧師と言えば人間的に出来ているだろうと思ってしまいますよね。
そんな牧師でも教会をきちんと持てるものなんですか。
2009/09/07 (Mon) 18:14:17
203.140.72.82
持てます。
だいたい、牧師になる試験で、人間的にどうとかいうことは問われません。ギリシャ語とかヘブライ語とか、歴史とか哲学とか、そういう試験はありますが。
まあ、人間性をはかるものさしもないですし、試験しようがない面もありますけどね。
でも、どの教会に赴任するかというのも、人脈できまったり、神学校の教授にゴマすってた奴が大きな教会に行くとか、そういうこともあります。
それから、本題からは外れますが、さかなさん、「女々しい」「フニャ○ン」は、不適切な言葉だと思います。性差別につながる言葉です。今後は使わないでくださいね。
Re: こんな事って! - 一郎
2009/09/07 (Mon) 19:15:21
*.wakwak.ne.jp
牧師さんの意見が聞きたいです。
牧師さんへ - さかな
2009/09/07 (Mon) 21:04:41
*.ezweb.ne.jp
>それから、本題からは外れますが、さかなさん、「女々しい」「フニャ○ン」は、不適切な言葉だと思います。性差別につながる言葉です。今後は使わないでくださいね。
なるほど?性差別でしたか、じゃあ牧師さん、他のスレであなたが書いてた
>いつかは必ず幻滅するときも来ます。結婚相手みたいなもんです。
と、「いつかは結婚相手にも幻滅する」なんて書かないでもらいたいものです
私にとって他人事ではない事ですから
そういった父親の被害にあった者として
主さん、関係ないコメすみません
楯突く訳じゃないけど… - トマス
2009/09/07 (Mon) 22:21:41
*.aol.com
>どの教会に赴任するかというのも…
基本はたまたまその時にどこのポストが空くか、です。富田先生の中ではそれは前提なので省略されたのだと思いますが、ま、あんまり詳しくない人のために一応付け加えておきますね。
でもたしかに人脈の部分もあります。教会の方で一本釣りすることもあります。その地方の中核になる教会が動くと、ヘタすると全国規模で玉突き人事になることもあります。
そしてたいていの牧師は「たまたま空いたポスト」を「主の御心」と言って赴任するわけです。特に田舎の小さな教会に赴任した時に「たまたまです」なんて公言(放言?)することはまずしないでしょうね。
2009/09/07 (Mon) 23:54:18
*.infoweb.ne.jp
>牧師さんの意見が聞きたいです。
その牧師のことを詳しく知らないので、何とも詳細にコメントできません。
ただ、一郎さんが本当にその牧師から被害を受けていると感じておられるのであれば、その牧師を逆に訴えるということはできないでしょうか。
こちらのほうから警察に言うとか。裁判所に訴えるとか。
そこまでやるのは最終的手段にしても、その牧師が属している教団には、人権侵害の窓口はないのでしょうか。
たとえば、日本キリスト教団だったら、教区に人権侵害窓口があり、牧師を飛び越えて、直接そこに相談を持ち込むことができます(教区によって違うかもしれないですが)。
教会における牧師の立場というのは、なんだかんだ言って権威に守られていますから、牧師に自覚が無いままに人権侵害していることは案外あるものだと思います。
そういう牧師に直接言っても、わかってもらえないことがあります。
そういうときは、別の窓口を探して「外圧」を与えたほうがいいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
>さかなさん
うかつな発言申し訳ありませんでした。
私の妻に対しても失礼なことを言ってしまった。反省しています。
Re: こんな事って! - さかな
2009/09/08 (Tue) 02:29:01
*.ezweb.ne.jp
何度もレスの邪魔失礼!
再度、自分の文章と主さんの文章を読み比べてみて分かりました
私も主さんを中傷した牧師と同じ事を言ってたんだと
自分も留置場に入った過去がある事から、ダブって感情が入ってしまいました
でもこれでは、間接的に単語で主さんを攻撃してしまっていたかも知れないです
すみませんでした
それに気づかせてくれた牧師さん、言い過ぎました
すみませんでした
私の発言で気分を悪くされた男性方も本当申し訳ない!
感情的になりすぎました
Re: こんな事って! - hotaro
2009/09/08 (Tue) 20:43:02
*.bbtec.net
一郎さんへ。
こんにちは。
hotaro といいます。
私も 10年間くらい、ある教会の トンデモ牧師と戦って、その結果、ようやく、聖書で、イエスがなぜ、当時のユダヤ教の教会システム、祭司長とか律法学者連中とあのように やり合っていたかが、理解できました。イエスは、いかなる教会システムにも属しませんでした。洗者ヨハネから洗礼を受けて、彼の弟子を引っこ抜きましたけれど、彼とも分かれましたし、熱心党シモンの一派に入って、ローマ転覆の革命に乗り出すこともしませんでした。教会に来ないと救われない、などという牧師もいますけれど、そんなことはありません。私は、昔から、ヒルティとかトルストイ、今はこの i-church のラム太郎さんと「シッダールタ」を読んでいますけれど、その作者、ヘルマン・ヘッセも、これらの人たちはみんな、教会から離れて、しかし救われた人たちです。どうか、お気を落とさないで、聖書と聖霊を友として、歩んでいきましょう。
Re: こんな事って! - れお
2009/09/08 (Tue) 21:58:15
*.home.ne.jp
書いてあることに圧倒され、何も思いつきませんでしたが…そこまで言う、そこまでやる牧師さんもいるの…ですねぇ。
牧師や神父と喧嘩したという話がかつては信じられませんでしたが、ウチもご多分にもれずそういうことがおきているようです。「教会から離れても、神様からは離れないでね」と言ったある神父の言葉は忘れられません。
Re: こんな事って! - 一郎
2009/09/08 (Tue) 22:02:23
*.wakwak.ne.jp
その牧師殺そうと思ってるんですけど。
Re: こんな事って! - 毛利
2009/09/09 (Wed) 01:33:51
*.ocn.ne.jp
精神的に追い詰められるまで苦しめられたのなら、なぜ裁判を起こさないのですか?
Re: こんな事って! - 一郎
2009/09/09 (Wed) 05:20:23
*.wakwak.ne.jp
牧師さん、じゃあ協力してくれないか?
僕裁判の起こしかたや、警察に訴える方法知らない
まず証拠がないんだ!
もうそれで無理じゃないですか。。
その牧師検事調べの調書でも平気で嘘つくような人なんだ。
僕は一回被害届けだされて不利な立場にあるし。
どうしていいか解らない。
富田さん頼む協力してくれ。
どうにかしてその牧師を苦しめたい。
Re: Re: こんな事って! - さかな
2009/09/09 (Wed) 13:43:19
*.ezweb.ne.jp
同じ教会の人で同じような被害にあった人っていないんですか?
証拠がないとか、不利な立場にあるなら、被害者の人数が多い方が訴えるにしても勝ち目あるんじゃない?
そういった事に手かしてくれる団体とかってないのかな?
誰か詳しい人書いてくれるといいですね
Re: 裁判 - トマス
2009/09/09 (Wed) 19:44:19
*.aol.com
私の苦手なネタっぽかったのでスルーしかけたのですが…。私は法律の専門家ではありませんけど、結論から言うと裁判起こすのは非常に難しいでしょう。
まず刑事裁判。
何を言われたにせよ、「殺す」と言い返した時点で刑事は負けです。取り返しようはありません。
そして民事。
まず思いつくのは名誉毀損でしょうか?
ですが、名誉毀損を成立させるには、公衆の面前で名指しで言われた。言われたことによって具体的な損害があった(この場合だとたとえば「女と付き合ったことないだろ」と言われたことによって職業上の不利益がある)。この2条件は必須かと思われます。プライドを傷付けられた、というだけでは無理でしょう。
他に思いつくのは、最近メジャーになったパワハラとかセクハラでしょうか。
ですが、これは「蔑まされた」という一件よりも前の時点で、牧師と信者という関係が継続的に成立していないと難しいです。つまりその教会の正規のメンバーないしはそれに準じる立場でないと無理でしょう。それも牧師から言われたということ自体にも継続性が必要でしょう。1回限りでは厳しいだろうな。
ついでながら、おそらくはこれも「殺す」と言い返した時点でハラスメント不成立になると思われます。そのように言い返せないからこそハラスメントなのですから。
何かご参考になれば。
Re: こんな事って! - 一郎
2009/09/09 (Wed) 21:26:45
*.wakwak.ne.jp
トマスさん有難うございます。
清く諦めようと思います。
泣き寝入りですか?
でもこの憎しみは一生忘れません。
もし神がいるのであれば、、、
公正な裁きが待っているはず!
こんな牧師が存在していいわけないでしょ?
だれか俺の気持ち解って下さい。
2009/09/09 (Wed) 23:15:57
*.infoweb.ne.jp
私も自分が牧師になる前は、ある牧師に非常に苦しめられたことがあります。
しかし、その人も今は脳内出血して引退してしまいました。
自分が復讐をしなくても、結局自分が健康に気をつけて長く生きた方が得だなと思いました。自分を苦しめた人よりも長生きしよう、自分より若い人を大事にしようと思います。
大丈夫ですか? - ソーキ
2009/10/14 (Wed) 11:50:54
*.ezweb.ne.jp
こんな事ってあるんですか?
富田牧師の守備範囲 - 入谷
2009/10/12 (Mon) 19:02:36
*.cyberhome.ne.jp
「父を癒す」を読んで、フロイトですか?
「宇宙的に考えてこの世の生活を送る」を読んで、ウェーバー (マックス) ね。
「誰も究極的な真実を完全に会得した人はいない」で、モンテーニュもですか? で、この投稿をしてみました。
ご存知ない方が多数だと思うので紹介しておくと、フランス宗教戦争 (1562 - 1598) の時代を生きたモンテーニュ (1533 - 1592) の座右の銘が「クセジュ? (私が何を知っているだろう?)」です。
すべての世界認識に優劣はないとの価値相対主義の立場を意味するわけではなく、議論と相互承認を通じて人間は、あるいは社会は、「それがキリスト教徒であることと何の関係があるのか?」という問いにかかわる肝腎な事柄において進歩しえるものだというのがモンテーニュの考えだと、私は解釈していますが、当っているか外しているかは保証しません。
ラブレー研究の第一人者である渡辺一夫さんは、これを「それが人間であることと何の関係があるのか?」と言い換えて座右の銘とされていたようです。
かくありたいものと念じながら、なかなかそうはまいらぬ私です。
2009/10/12 (Mon) 22:05:16
*.infoweb.ne.jp
守備範囲とは、それらの学者の思想を専門的に研究していて、精通しているかということですか?
もしそういう意味なら、全然私は精通していません。
また、先人が言ったことと似ていて、オリジナリティに欠けるというご批判でしたら、甘んじて受けます。
おっしゃっている言葉の意味が、受け取りにくいのですが、私の頭が悪すぎるからかもしれません。
「人間であるために、何が大事なのか」という言葉づかいだと、私にもわかるような気がします。しかし、これでは入谷さんがおっしゃっていることとズレているのでしょうか。
どうも、要領を得ないレスで申し訳ありません。
Re: 富田牧師の守備範囲 - 入谷
2009/10/13 (Tue) 18:45:17
*.cyberhome.ne.jp
一般教養といった程度の意味です。
そういった知識のベースがあっての富田さんの発言かな、という感じで私は読ませていただいています、ということです。
こちらこそ、わかりにくい投稿で申しわけありません。